ハートの風船

好きという感情はどこまでもすごい

 私は先日、大好きないきものがかりのライブに行ってきた。それは、言葉にしようとすると、あまりにも多くの感情が溢れ出てきて、頭がパンクしそうになるくらい、素晴らしいライブだった。私は、このライブに並々ならぬ思いを抱えて参戦した。

 2017年1月、彼らいきものがかりは「放牧」という言葉を用いて、活動休止をしていた。だが、2018年11月3日、彼らの結成記念日を気に、「集牧」という言葉を用いて活動を再開した。その間、約2年の月日が流れていた。

 私は、いきものがかりのファンクラブの会員である。彼らの放牧期間中、会員をやめようとは思わなかった。いつ活動を再開するかもわからないグループに対してファンクラブ代を払うのは馬鹿馬鹿しいと言う人もいたが、私はまったくそうは思わなかった。

 彼らの放牧を機に、ネットでは「不仲説」だの「解散の危機」だの、根も葉もない噂ばかりが飛び交っていた。しかし、ファンからすると、あまりにも見当違いな記事ばかりで反吐が出そうだった。「急に現れた部外者達が、いきものがかりの何を知っているんだ!」と腹立たしくもあった。いきものがかりが、再び笑顔で戻ってくると確信していたからだ。

 その根拠として、「活動休止」をあえて「放牧」と表現したことに注目した。彼らは、ネガティブなものだとファンに心配させたくないという思いで、「放牧」という言葉を用いたとのことだ。これは、「また絶対に戻ってくる」という意思の表れだと思った。そうでなければ「放牧」なんて呑気な言葉は使わないだろう。彼らはファンを期待させておいて、裏切るような行為はしないだろう。それだけ誠実なのだ。

 私はその言葉のおかげで、彼らが再び戻ってくる日を呑気に待つことができた。約2年という月日は長かったが、再び会えるとわかっていれば格段に気が楽だ。「『放牧』という言葉を選んでくれてありがとう」と、彼らにお礼を言いたい。

 彼らは、集牧して初めてのツアーをファン限定のイベントとして行うことに決めた。ファンとして、これ以上嬉しいことはない。ファンだけの空間で、しかもライブハウスという狭い空間で、いきものがかりと再会できることがこの上なく幸せなことだと感じた。それだけで、ファンをやめずに続けてよかったと思えた。

 さらに幸運なことに、私は一番前の席のチケットを当てることができたのだ。会場がライブハウスだっただけに、お互いに手を伸ばせば触れ合えるくらいの距離だった。肉眼でもはっきりと表情がわかった。3人の生き生きとした表情がよくわかり、それだけで感動して泣きそうになった。確実に目が合い、こちらを向いて手を降ってくれたことが夢のようだった。

 素敵な曲が素敵な歌声に乗せられて、私の耳に、心に響いてきたとき、私はこれ以上幸せなことはないと思った。今まで私を悩ませていた無数の問題も、「もうどうでもいいや」と思えることができた。私はただ、「いきものがかりが大好きだ」「胸がいっぱいで幸せだ」という思いで心が満たされた。

 「大好きだ」という思いを人に伝えるのは難しい。あらゆる感情が心から溢れ出てきてコントロールが効かなくなる。こうして書いている文章も、傍から見れば支離滅裂に見えるのかもしれない。だけど、今私はとても幸せだ。現代社会の中で、心から「幸せだ」と言える瞬間は、皆そう多くはないはずだ。だが、私は今、確実に幸せだ。そんな気持ちにしてくれたいきものがかりに心から感謝したい。

 好きなことというのは、それだけで自分の人生を豊かにできる神器となる。だからこそ、人それぞれどんなことであってもいいから、人からなんと言われようとも、自分の「好き」を大切にしてほしい。「好き」は偉大だ。どこまでもすごい。

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