見ず知らずのおばさんに救われた話

 それは、私の大学生活が終わりを迎える日のことだった。めでたい門出の日だというのに、私はというと、パニック障害のせいで、それどころではなかった。鏡に映った自分の目には恐怖と絶望が入り混じった色が浮かんでいて、いかに「普通」に生きることが難しいかを物語っていた。ここで言う「普通」とは、「健常者として不自由なく日常生活を送る」ということを意味する。障害者手帳を持っていない人を健常者と言うのならば、私は紛れもなく健常者であるのだが、健常者である私が日常生活をまともに送ることができなかったというのは、なかなかの大事件である。

 パニック障害というものがどのようなものであるのかを一言で言うと、「終わりのない水責め拷問」という表現が一番しっくりくるような気がする。何の前触れもなく動悸が始まったかと思えば、どうあがいても逃げられない窒息感に突然襲われるのだ。その発作が一日に何回、酷いときだと何十回もやってきて、寝ている間も容赦なく襲ってくる。さらに残酷なことに、いつまでその状況を耐えればいいのかも、誰からもまったく教えてもらえない。

 パニック障害の症状は人それぞれであるが、私の場合は、密室に閉じ込められたり、じっとしていなければならない状況に置かれたりしたときに、頻繁に強い発作が起こった。反対に、あまり人がいないような場所を自由に動き回ることができれば、気持ちが楽になり、発作を頻発しなくて済んだ。

 そのような状況の中で卒業式を迎えるのは、私にとって並大抵の試練ではなかった。卒業式というと、閉鎖された空間の中に多くの人間が閉じ込められ、長時間じっと座っていなければならない、まさに「地獄のオンパレード」のような行事である。当時の私は、その地獄に耐えられるかどうか、考えただけで激しい貧乏ゆすりが止まらなくなるくらいに、不安で不安で仕方なかった。当日まで、参加しようかどうか迷ったくらいだ。

 そんなつらい思いをしてまでも参加したいと思ったのは、きっと後にも先にも、大学の卒業式はこの一回きりだと思ったからだ。この機会を逃したら、きっと後悔するだろうという気持ちが強かったのだ。だから、無理をしてでも、卒業式に出たかった。

 案の定、卒業式は耐え難い苦痛の連続だった。ずっと座っているのがつらくて逃げ出したかったが、周りの目が気になって逃げ出すこともできなかった。ただひたすら、自分を落ち着かせるための呼吸法を実践したり、貧乏ゆすりをしたりして、自分をごまかしながら時間をやり過ごすことに必死だった。

 式自体は地獄のような時間であったが、それが終わってからは、友人や後輩達と青空の下でかけがえのない時間を過ごすことができ、やはり、つらい思いをしてでも参加する選択をしたことは、間違っていなかったのだと自分の選択を誇りに思った。

 卒業式が終わり、友人たちと居酒屋に行こうという話になった。不安を抱えてはいたものの、またしても後悔したくないという気持ちが先行し、私もその話に便乗することにした。

 その居酒屋は半個室となっていて、ゆっくり座っていられるような造りになっている。なかなかいい店だと思うだろうが、当時の私からすると、狭く閉鎖された空間に閉じ込められ、気軽に立ち上がることのできないというのは、最悪の状況だった。その上、冷たい液体が顔に近づくと、息ができない感覚に襲われるという症状があったため、冷たい液体を大量摂取しなければならない居酒屋自体が、私にとって最悪の場所であった。

 案の定、何度も激しい動機と窒息感に襲われ、何度も席を立つ羽目になった。友人たちに感じが悪いと思われるのは嫌だった私は、自分の置かれている状況を説明することにした。皆、理解を示してくれて、頻繁に席を立つ私に嫌な顔をする人はいなかった。友人たちの優しさを感じ、感謝するばかりだったが、その反面気をつかわせてしまった罪悪感で押し潰されそうになった。友人たちが、私に対して本音ではどう思っているのかも気になって仕方がなかった。どうしても友人たちの目が気になり、なるべく限界まで席を立たずに耐えるようにしていた。

 席を立つのは何回目なのか、もう数えられなくなったときのことだった。私は、少し遠回りをしてトイレに向かった。じっとしているのが耐えられなくなってきて、少しでも多く体を動かしたかったのだ。トイレに着いたら誰もいないことを確認し、手洗い場の前で何度も何度も飛び跳ねた。息が上がってきて、飛ぶのに疲れたと感じ、今度は、昔習っていた空手の型を、今まで我慢してきたエネルギーを込めて力の限りやってみた。

 ガラガラガラ――。

 突然トイレのドアが開いて、見ず知らずのおばさんが入ってきたのだった。完全に油断していた。奇異の目で見られて、この店からも追い出されるかもしれないと覚悟した。しかし、次の瞬間その見ず知らずのおばさんは、私に対してこのように言ってきたのだった。

 「あら、かっこいい!あ、邪魔しちゃってごめんなさいね。ごゆっくり」

 その見ず知らずのおばさんの言葉や表情には、皮肉や嫌味といった意味はまったく込められていなかった。純粋に心からそう思って言ってくれているのがわかり、私はその見ず知らずのおばさんの言葉に救われたような気がした。

 つらく苦しいのに、私は周りの目があるからと、何でも我慢してきた。でも、その我慢はあまり意味のないものだったのかもしれない。そのおばさんに出会ってから、もう少し自分の要求を素直に聞いてあげてもいいのかもしれないと思えた。症状はそう簡単に軽くなりはしなかったが、少しだけ生きやすくなった気がした。

 見ず知らずのおばさんの顔も声も、もう覚えてはいないが、あの時かけてくれた言葉だけは、今でも私の心の中を優しく漂っている。

 私を救ってくれてありがとう! 

 声を大にして言いたい。

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