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全部お酒のせいだ

 ――お酒大好きだもんね

 よく、そんな言葉を投げかけられる。別に好きでもなんでもないのに......。


 初めて飲んだお酒は心地良いものだった。意識が少し遠くなり、頭が軽くなる。自分を抑えていたものが解き放たれ、少しだけ自由になれる。今までに経験したことのない感覚に、心が解きほぐされる感覚だった。

 お酒を飲むことで、コミュニケーションが活発になった。本音もたくさん語り合えた。お酒に出会えたからこそ、絆を深めることのできた人も多くいる。最高のツールに出会えたかもしれない。そう思えた。

 だが、そんないいことばかりも言っていられなくなってしまった。父の死を境に、私は頻繁にやけ酒をするようになった。苦しい感情をすべてお酒で洗い流そうとしたのだ。

 お酒を飲めば、嫌なことを忘れられる。それは一時でしかないと分かっていても、記憶をなくすまでお酒を飲むことをやめられなかった。たとえ、何時間もトイレにこもることになろうとも、二日酔いで丸々一日動けなくなろうとも、意識を失って救急車で運ばれようとも、一時的な快楽に縋ってしまう自分がいた。

 だが、その代償は数年経って重くのしかかってきた。自律神経系がやられて、「人が当たり前にできていることができない」という場面に出くわすことが多くなった。

 度々、麻薬で捕まる芸能人のニュースを目にするが、その度に「私もこの人たちと大して変わらないのではないか」と感じてしまう。つらいことがあれば、それを忘れたいと思うのはごく自然なことだ。

 ざっくり言ってしまえば、お酒と麻薬の違いなんて、合法か非合法かの違いでしかない気がする。専門家や麻薬経験者からすると、異論もあるだろうが、お酒も麻薬の一種だと感じる。一時の快楽の後に、苦しい副作用が待っている。だが、その快楽を忘れられずにまた手を出してしまい、気づけば心も体もボロボロだ。

 お酒に手を出して後悔している自分がいる。お酒に手を出さなければ健全な暮らしができていたのだろうかと考えることばかりだ。お酒に出会えてよかったと思うことだってあったはずなのに、どうしてもお酒を憎まずにはいられない。そのくせ、完全に手放すこともできないでいる。

 きっと周りの人たちは、飲んだくれている私を見て、「お酒好きなんだもんね」なんて言ってくるのだろう。お酒の力で嫌なことをすべて忘れている姿が、周りの人たちには楽しそうに見えるのかもしれない。

 お酒を口にすればするほど楽しくなるが、裏を返せば、その分だけ息が詰まるような苦しい気持ちが心の中で眠っている。そんな姿を見て楽しそうだと思われるなんて、なんとも皮肉なものだ。

 こんなことを続けていても、救われないことなんてわかっているはずなのに、なぜまたお酒に頼ろうとするのか、そんな矛盾だらけの自分に苛立ちを覚える。

 「全部お酒のせいだ」

 そう言い訳して、また逃避する。何かに縋って、その何かせいにしたくなるのだろう。私の場合、その「何か」がお酒だったのかもしれない。

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