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私が家庭を築きたくない理由

 なぜ、人は家庭を築きたがるのだろうか――。

 「結婚しました!」と報告を受ければ、当たり前のように「おめでとう!」と返す。これまで幾度となく、その形式的なやり取りを繰り返してきた。しかし、心の底から「おめでとう」と思ったことは、この人生の中で一度たりともない。こんなことを言ってしまえば、「人の幸せも祝えないような嫌なやつ」と思われても仕方がないが、決して幸せを掴んだ人間に嫉妬しているからではない。

 世間では、まだまだ「結婚して子どもをつくること」が当たり前とされている。そして、その道から外れれば、誰かしらが何かしらの文句を言ってくる。結婚しなければ、「早くいい人見つけなよ」と言われ、結婚しても子どもをつくらなければ、「なんで子どもつくらないの?」と咎められる。時代は進んで、個の尊重を働きかける動きを見せつつあるが、異分子を排除しようとする人間は少なからず残り続けるものだ。だが、どうしても私はそのような人間に従うことはできない。世間に蔓延る「当たり前」を受け入れられないのだ。

 私は子どもがほしいとも思わなければ、結婚したいとも思わない。このように考えるのは、私が同性愛者だからということも多少は影響しているのかもしれないが、大きな理由はそこではない。今日の日本では、未だ同性婚が認められているわけではないが、赤の他人の同性同士が家族関係を結ぶ方法も、同性同士で子どもを得る方法も、ないわけではない。(もちろん、その方法があまりにも煩雑で、異性間のそれと比べるとあまりにも不平等なため、訴訟が起きているのだが…)

 問題は、「したいのにできない」ということではない。「したいと思わない」ということだ。「同性愛者だから」ではないとしたら、一体何が私を頑なにさせているというのだろうか。それは、家庭環境ではないかと思う。少し、私の昔話を聞いてほしい。


 私は父が公務員、母が専業主婦という、当時としては「ごく普通」の家庭で育ってきた。父はよく働き、家事や育児にも積極的で、暇さえあればよく一緒に遊んでくれるような、家庭を大切にする人だった。母もそれなりに気にかけて育ててくれたが、怠け癖がひどく、父に面倒事を押し付けている様子がしばしば窺えた。今思えば、父の弛まぬ努力によって、私たちは平和に暮らすことができたのだと思う。

 しかしあるとき、父が衝撃的な一言を放った。

 「仕事辞めたから」

 父曰く、正義感が強いあまり、周囲の人たちと衝突を繰り返し、嫌がらせを受けていたのだと。真面目に生きている父が、なぜこのような理不尽で酷い目にあわなければならないのかと、叫びたい衝動に駆られたが、母はそうではなかったようだ。母は父を強く咎めた。そんな母の態度を見て、父は「所詮、お母さんはお父さんのこと、金づるとしか思ってないんだよ…」と寂しそうに言っていた。母の気持ちも理解できなくはないが、まだ子どもだった私の前で、母にばれないようこっそりと愚痴を言わなければならなかった父を思うと、不憫でならなかった。

 だが、仕事を辞めたからといって、かわりに誰かが養ってくれるわけでもなく、父はすぐに新しい仕事を探すことを強いられた。しかし、当時40代の、しかも元公務員だった父を雇ってくれるような会社はなかなか見つからなかった。コンビニのアルバイトをしながら、ハローワークに入り浸る生活が続いた。

 そんなあるとき、ようやく父を雇ってくれるという会社が見つかった。父の努力が報われたことと、やっと生活が安定することに対する安堵と喜びで、私たちは完全に浮かれていた。これが後に取り返しのつかない大惨事を招くこととも知らずに――。

 いざ蓋を開けてみると、その会社のあまりにも酷い実態が見えてきた。業務内容は肉体的にも精神的にも過酷なもので、その上、毎日残業ばかりだった。残業をしたからといって、残業代が適切に支払われるわけでもなく、代休なしの休日出勤までさせられていた。選挙時には特定の政党に票を入れるよう、会社の人間に電話しろという理不尽な要求をされたり、何の募金なのかも知らされず「募金に協力してくれ」と上から圧をかけられ、協力すれば全部社長の懐に入ってしまったりなどと、普通ならまかり通ってはならないような酷い話も多々あったようだ。

 そんな中でも、父は真面目に働いた。父が一度職を失ったことでパートに出なければならなくなった母への罪悪感からか、家事も父がほとんど負担していた。そんな過酷な状況が続けば、壊れてしまうのは当然のことである。それは父も例外ではなかった。

 仕事から帰ってきてから晩酌をするのが父の日課であったが、日に日に酒の量が増え、体の不調を訴えるようになった。そして、いつしか「死にたい」という言葉が口癖になっていた。だが、私たち家族はその言葉を重く受け止めはしなかった。「仕事を休んでハワイにでも行きたい」というような、そんな軽い言葉だろうと受け流していた。

 だが、事態は思った以上に深刻であった。父は「会社に行く」と言って家を出たが、まだ空が明るく、仕事をしていなければおかしいような時間に、私は父が自宅最寄りの駅周辺で、ふらふらしているのを発見してしまった。さらにおかしなことに、顔には明らかに不審な傷を負っていたのだ。本人は「転んで怪我した」と言っていたが、転んだくらいでできるような傷ではなかった。その傷は、刃物で抉らなければできないような生々しい傷だった。私はそんな傷を負った父を見て、胸騒ぎが止まらなかった。

 父と一緒に家に帰ると、すぐさま母が詰め寄ってきた。父が会社を無断欠勤した旨の連絡が入ったらしい。母は、父に対して責めるような口調で、「会社から電話来たんだけど、仕事どうするの?」と言い続けた。さすがにそれはいけないと思い、私は母に「今はそういうこと言わないほうがいいよ」と注意したが、母は聞く耳を持たなかった。母の身勝手さに腹が立ったが、一方で私自身も「少しそっとしておけば、また元気になるだろう」という、とても甘い考えを持っていた。

 だが、その翌朝、父は首を吊って死んでいた。私は父が自殺して初めて、自分が自分のことしか考えていなかったことに気がついた。母と同様、父の命よりも、自分の生活の方が大切だったのだ。家族思いで人情に厚い父は、自分のことしか考えようとしないろくでもない家族のために命を落としたのだ。父の人生とは一体何だったのだろうか――。


 父の人生を考えると、家庭を持つことが本当に幸せなことなのかと疑問を持たざるを得ない。家庭を持つということは、家族に対して責任を持つということだ。私はその責任を負う覚悟がない。家庭を築けば、少なからず依存が生まれてしまうだろう。私はそれが嫌で仕方がない。依存されて他人の人生を背負うことも、依存して他人の人生をぶち壊してしまうことも、嫌なのだ。

 また、家庭を築くということは、生計を共にすることである。すると、必ずと言っていいほど利害関係が生じることになる。私たち家族が、父の命よりも自分の生活を優先したように、愛情を疎かにしてお金に目が行ってしまうような家庭はごろごろと存在するはずだ。だが、それはもううんざりだ。私は純粋な愛情を共有できる関係を欲しているのだ。それには、住居を別にし、月に1、2回会う関係がちょうどいいのではないかと思う。私には、家庭を築く幸せがわからない。

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