米津玄師「メランコリーキッチン」 それにどれだけ救われたことか 多分あなたは知らないな
米津玄師さんのアルバムの中で最高傑作と言えば、個人的には完全に2ndアルバム「YANKEE」(2014年4月23日)。このアルバムには化け物のように魅力的な曲が詰め込まれているのだけど、5曲目「メランコリーキッチン」は少し目立たない存在かもしれない。
オルガンっぽい前奏から、「トン トン トトトン ト ト」という軽快なリズムが加わり、「あなたの横顔や髪の色が・・・」という米津さんの声で一気に曲が始まっていく。
何の情報も持たず、白紙で、この歌詞を冒頭から眺めても、「ん?どういうこと?」となってしまう。なので、先に読み進めていく。
このあたりまで来ると、いろいろなものが想像できてくる。
登場人物は「あなた」と「自分」。この歌詞の語り手は「自分」。
ここで冒頭の歌詞の意味を振り返る。
「少し薄味のポテト」と「塩っけ多すぎたパスタ」は自分がいま作って食べているところ。その味のダメさに、いつもおいしく作ってくれる「あなた」の横顔や髪の色が見えてきたのかしら?
あなたが既にそばにはいない夜を過ごしている中で、自分は反省しているようにも見える。
「けんかして、泣かせてしまったあなたの涙」や「陰鬱な空気を打ち払おうとおどけて笑ってくれたあなたの顔」を思い出しては、自分の矮小さを反省しているようだ。
反省を経て、ここまで来ると、「後悔の念」が表出している。
「いえない いえないな 独りでいいやなんて」
2人でいると見えない「あなた」の大切さを、ここにきて「自分」はやっと認識し、上記のような心情で表現している。
いま、一人になって「自分」は、「あなた」の献身について、強く思い至っている。
「救えない憂鬱を おいしそうによく噛んで あなたはのみ込んだ」
この米津さんの表現の美しさに感服する。2人の「救えない憂鬱」を「あなた」はなんとか我慢して、やりすごそうとしてくれた。
「自分」から「あなた」への素直な気持ちにあふれている。
「明日、あなたに、そう伝えたい」と書くんじゃなくて、「明日会えたらそのときは 素直になれたらいいな」と表現する。
でも、本当に伝えられるんだろうか。また、2人になったら、素直さがなくなっちゃうのかもね?難しいね。
だいたい、歌詞の全体像がつかめてきた。
「あなた」と「自分」の間でトラブルがあり、「あなた」はいなくなった。「自分」はその状況に陥って、食べ物を通じて「あなた」の大切さを認識する。そして、「自分」は「あなた」にあした、感謝を伝えようと心に決める。
この状態を、米津さんは「メランコリーキッチン」という形で提示するのだ。
ここまで来て、やはり、「自分」と「あなた」の関係性について、やはり考えなければならない。米津さんの歌詞はいつもそうだ。
「自分」は誰なんだろう?「あなた」とは?
後半部分のサビを見ると、自分とあなたは、「息子と母親」のようにも取れる。
「嬉しそうに息を吹いて僕に差し出したんだ」だもんね。
ささいな喧嘩の中で、これに類することって、夫婦間でもよくあるような気もするので、中年のわたしのような人間からすれば、「夫と妻」のようにも解釈できる。
若い恋人同士って想定もすんなり入る立場の人はいるだろうね。
もちろん、料理を作ってくれる人が男性ってこともあるだろうから、性別は逆になっても全然成立するし、同性同士でももちろん大丈夫。
毎回、米津さんのYANKEE時代以前の歌詞を解釈すると、いつも「息子と母親」という関係性をつづったようにも解釈できるのが不思議だ。
いつもいつも奥の深い歌詞。
トラジロウ 2022年11月3日
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