チャットモンチー「シャングリラ」 希望の光なんてなくったっていいじゃないか
子どもが小さいころ、この曲が、車の中でよく流れていたことをよく覚えている。でも、チャットモンチーの活動内容自体は正直言って詳しくない。
私の知っているチャットモンチーは徳島県出身の橋本絵莉子さんと福岡晃子さん、愛媛県出身の高橋久美子さんの3人グループというイメージ。
改めて、ウィキペディアの来歴を見ると、初期には福岡さんと高橋さんはいなかったのですね。
高橋さんが2011年9月に抜けて2人になったのは、なんとなく知っていた。高橋さんは今も作家活動を続けていて、いくつかの作品を読んだ。私が読んだエッセーは、文章を練りに練っている感じで、非常に面白いものでした。ただ、その後の活動を追っているかと言われると、なかなかそこまではできていない。
ところで、なぜ高橋さんは脱退したんだろうかしら。事情は、全然知りません。
シャングリラは、チャットモンチーの3枚目のシングルとして、2006年11月15日にリリースされた(作詞:高橋久美子、作曲:橋本絵莉子)。言わずとしれた、チャットモンチーの代表曲。
歌詞を見ていく。
「僕」が「君」に対して、結構、無謀なことを要求しているように思えてしまうフレーズです。
「幸せだって叫んでくれよ」
「僕の胸で泣いてくれよ」
こんなことをわざわざ言葉にして、要求するなんて・・・。現実的な「君」が、「僕」の身近に親密な状態でいるとは考えにくいよね。思いを寄せる相手に勝手な妄想をぶつけているだけのように感じる。
「夢の中でさえ、うまく笑えない君のこと ダメな人って叱りながら 愛していたい」
これなんか、とんでもない。自分の夢の中で「君」がうまく笑えないからって、「ダメだなあ」なんて叱られたら、私なら、怖すぎて、逃げ出したくなる。
「昨日さあ、君が僕の夢に出てきたんだけどさあ、そこでも君はちゃんと笑えてなかったよ。ダメだなあ。ちゃんと笑ってよ。でも好きだよ」ってことだよね。恐怖エピソードやん。まあ、「僕」の妄想だからこそ、ギリギリ許されるのではないかと思います。
ここは「僕」の独白のように聞こえますが、もしかして、この曲は、携帯電話に縛られていた僕の解放を歌った曲なのかしら?
大サビと言っていいんでしょうか。
特に印象的な部分があります。
これは、誰が誰に訴えているんだろう・・・。
とても、元気になる言葉ですよね。妄想好きな「僕」から発出されるイメージは湧かないので、第三者の励ましみたいなものをここに差し込んでいるのだろうか???難解。
最後に答えがあったような気がします。
やっぱり、すべて、理想の「君」に対する妄想なんだろうなあと、勝手に推察しています。
高橋さんの文章、歌詞はとっても面白いので、作品をもう少し読んでみよう。
チャットモンチーの解散ライブとして知られる「こなそんフェス2018」が2018年7月21、22の両日、徳島県で開かれました。
この時点では既に、高橋さんはもちろん脱退していた。ですが、その会場に高橋さんが号泣しながら登場し、チャットの3人+「いろいろな仲間」で、このシャングリラを演奏しました。
この会場におられた方は、涙なみだのライブだったことと思います。事情をちゃんと知らない私がそのときの動画を見ても、泣きそうになるのですから。
「ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン・・・」と高橋さんが足で刻むシャングリラのドラム音が鳴り響き始めると、会場は最高潮に。橋本さんも感極まって、途中からちゃんと歌えなくなるほどだった。
この動画、ネットに落ちていたので見られたんだけど、DVDか何かで発売されているんだろうか・・・。ちゃんとしたファンは、このシーンをどう見たんだろうねえ。
この解散ライブでの高橋さんの乱入シーン。一見の価値がある。
2022年10月30日 トラジロウ
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