米津玄師「花に嵐」 苦しいとか悲しいとか 恥ずかしくて言えなくて
「花に嵐」と言えば・・・。
上記の漢詩「勧酒」を作家・井伏鱒二が訳した以下の文が有名だ。
「花に嵐」とは、桜は咲き誇ってもすぐに風雨で散ってしまうという儚さの象徴としての表現。どちらかと言えば、「さよならだけが人生だ」の方が有名だけどね。
題名の「花に嵐」はここから取ったものと推察される。
アルバム「YANKEE」の7曲目。アップテンポの曲で、ライブでもかなり盛り上がる曲ですが、内容は決してハッピーではないような気がしている。
この歌の解釈も非常に難しいので、とりあえず、歌詞を見ていきたい。
ここまでは、次のところで出てくる「私」が置かれた状態の説明と、推察ですね。
【嵐が起きている今、一人取り残されている私。「あなた」は土砂降りにぬれてやってきてくれるはず】って感じかしら?
ここは過去の回想シーン?
【かつて、不細工な花をくれたけど、「いらない」と突き返してしまった。それなのに「あなた」はただただ謝り続ける】
【「私」は「あなた」に伝えたい。あの花がどれほどうれしかったのか、「私」にとって大切だったのかを】
【あなたがこの嵐の中、来てくれたら、うれしくて、涙があふれて、何も言えなくなるだろうな】
ここも回想シーンに思える。
かなり具体的な記述があり、負の感情をもたらすような出来事(いじめのような)を推察させる情景が浮かんでくる。
【誰かにいたずらされて、「私」は、自分の荷物をぐちゃぐちゃにされて嘲笑されている。それを一つ一つ拾い集めてくれる「あなた」の姿が忘れられない】
【この嵐が終わったら、あなたにすべてを伝えたい】
はにかんで笑うのは、誰?あなた?
ここ。ここがこの曲「花に嵐」の本質部分。
【苦しい、悲しいって、自分からは恥ずかしくて誰にも言えなくなった。感情がどっかいっちゃって、へへへと笑うことしかできなくなった。そして動けなくなってうずくまったまま。嵐の中、あなたが来てくれるのをずっと待ってる】
【この嵐が終わったら、あなたに、ありがとうって伝えたい】
ここのいじめっぽいシーンを全体に広げて考えていくと、
「嵐」は「いじめ」
「花」は「助けようとしてくれた『あなた』の勇気」
そんな風に仮定すれば、ある程度、すんなり歌詞の流れを追えます。
ブサイクな花(勇気)を突き返したのは、好意を素直に受け取れなかったのかしら?それとも、あなたを守るため?
この曲、ライブで、ものすごく盛り上がってしまうのですが、今となれば、「花に嵐」で、手を掲げて盛り上がっていたなんて、違和感しかない。
米津さん、どう思ってたのかしら?
こんなに悲しい曲だったとは・・・。
花に嵐
→桜は咲き誇ってもすぐに風雨で散ってしまう
→壮絶な「いじめ」の前には、誰かを助けようとする「勇気」も雲散霧消し、発揮できずに動けなくなることもある
そして。結局、「あなた」は来なかった・・・。
次回、「海と山椒魚」の悲劇へと続きます。
2022年10月25日 トラジロウ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?