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From the Cradle To the Battleyard〜揺り籠から戦場まで


第7話 禁じられた舞 The forbidden perform.

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「江戸時代初期、阿波地方の領主・十河存保(そごうまさやす)は、自身の藩の存続に江戸幕府が脅威になると考え、遥か昔、縄文の海人(うみんちゅ)の時代から伝承されてきた武術を民の踊りに仕舞った。」


「…しかしそれが四代将軍徳川綱吉の耳に入り、明暦2年(1656)、盆の時期の3日間以外は踊りを禁じ、さらにはその祭中は徳島藩士に謹慎令を出し、武術としての踊りはここで息途絶えたかに見えた。…しかしその秘技は脈々と生き長らえていたのだった…。」


 …と木戸(標準語変換済)は教えてくれた。


 しかしあまりに信じ難い話だったので

吾郎は言った。

 「でも私は誰からもそんな話聞かされませんでしたよ?私の父なんて阿波踊り実行委員長を随分長い間務めていたんですけど。」


木戸は吾郎の眼を見ながら溜息を付いて言った。

「おまはん、ゴロさんは19才で上京したじゃろ? …トクシマの人間はな、今でも地元で成人式を迎えた者にのみこの真実を明かすんじゃ。それが阿波の親の責任でな。


 ー軽率に地元から離れる様な薄情もんに大切な土地の秘密ばバラすとでも思っちゅうかじゃ…。」


「クッ、」

吾郎は納得しながらも、…唇を噛んでいた。


 ー若かりし日の吾郎は毎年毎年、たった3日間の夏の祭りの為だけに1年間、親にほぼ毎日ひたすら踊りを教え込まれた辛い記憶があった。


…“ほらもっとヒザを曲げェ! コラ! いつも嬉しそうに笑顔作っとけ”


自分もいずれこんな親になるのかと、高校在学中にずっとアルバイトし、その貯めた数十万を片手に卒業式のその日に、吾郎は四国から出た。


吾郎は力無く言った。

「もっと色々教えて欲しいです…木戸さん。」


木戸はそうか!と両膝を両手で叩いて言った。


「では!」


「おまはんら(君達)、カポイエラっちゅう武術は知っとるか?」


 吾郎は佐藤と目を合わせ、言った。

 「しっちょります。や、知っています。

ブラジル人が体制に反抗する為にダンスの中に戦闘術を仕込んだって言うやつですね?」


 木戸は話した。

 「おう。それは知っちょうな? あれも悪ゥない。…しかしありゃ動きも大きく、武術バレバレもええ代物じゃ。そこに来て徳島の舞は動きも掛け声もほんに面白うて、ずーっと昔からあったきに(あったのに)全然バレんかった。

 …だが、情けない事に、太平洋戦争後に上陸してきたアメリカのマッカーサーちゅう将軍にバレてしもうた。」


吾郎と佐藤は固唾を飲んだ。

「それで…どうなったんですか?」


木戸は言った。

 「…奴は、屈強な何名かの兵士と踊り子を闘わせたんじゃが、ことごとく兵士は負かされて…その様子をこう記した。


『ー何度我々が阿波の人に挑んでも、彼等の繰り出すまるでブクブクと泡が湧き出るかの絶え間ない美技と幻影に、(中略)…やがてそのうち集中力が削がれ、気が付いたら天を仰いで倒れている。

 これはまるで


“The Dance with Bubbles(泡踊り)”


だ』と。」


木戸は続けた。

 「その後、徳島ではその“泡”と“阿波”を掛けて“阿波おどり”自分達の舞を呼ぶ様になった。

 それまではただ単に、


”盆踊り“ (盆に踊る踊り) とか

”騒踊り(ぞめきおどり)“ とか

”組踊り(くみおどり)“ だとか


勝手に好きに呼んじょった。」


…それは驚くべき内容だったが

 この後木戸の口から伝えられた内容が吾郎には1番の衝撃だった。


 「…んでマッカーサーがの、日本人でも未だに知らん武術ちゅう事で阿波おどりを永年、米軍エリートに伝授するっちゅう事で踊りの廃止は免れた。


 …しかしゴロはん、やっぱりあんたはワシが観た舞の中でもピカイチじゃ。


 いずれぁCIAの頂点とひと踊りせんといかんやろな。」


「なんせここ50年間米軍に阿波おどりを教えとったんは


あんたの親父やからな


。」


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(通信終了まで5秒)

…吾郎をどこにでもいる高齢者と紹介した事は謝罪する。彼は現代の伝説なんだ。


ただ、結局彼も一発の銃弾で死ぬ君達と同じ普通の人間なんだ。


だから君達に彼の話を聞いてほしい。


それが君達が未来を変える力になるのだから。


2136年8月17日


東京都千代田区日本武道館跡にて


著者


(続く)


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