ものさしを、定規からメジャーへ
「ものさし」とは、
物事を評価する際の基準として 「ものさし」で図ることがあります。
その基準の対象は様々で、
自身や他者へ向けて比較される「ものさし」もあると思います。
私自身も、無自覚ながら他者を物差しで測っていることがよくある。
私は一時期映画鑑賞にハマっていた時期があった。
映画鑑賞の魅力を感じていた部分は、
スクリーンを通すことで自身の中にあった概念のようなもの
その概念を覆されるところ。
または
概念を捻じ曲げられる。
概念を確固たるものに
なるところだった。
映画に限らず、
本や旅行、仕事を通した他者との関わりを通して
外界からの刺激を受けることで、
各「ものさし」を伸ばしたり、縮めたりすることがあると考えています。
ですが、
ものさしのメモリが定規の場合だと
固く意固地な「ものさし」ばかりを携帯してしまう。
せっかく得た大事な「ものさし」が、
自身の確固たる定規のせいで、メモリが鋭く
時に自身の喉元に突き出されてしまう。
私は、
メジャーを持つことにしました。
もっというと、
メジャー も 持つことにしました。
しなって、どこへでも伸ばせることのできる
有能な30mメジャーを携帯していきたいと思った。
年齢や、経験によって
メジャーの長さを、50mなどに伸ばすことができるし。
自己防衛のために、5mにまで縮めることができる。
とても有能なメジャーは
心を均衡に保つためのアイテムになり、
他者と比較し、責めやすい自傷的な自分を
「まぁあの人のは硬い定規なんだろうな」と
時には守ってくれる、応急措置的な役割として
心の砦の看守に持たせておくことも
自分を守り抜く術ではないか。
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