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ナチュラルマウント両者への提案

最近、宇多田メドレーに乗って朝ルーテインをやるととても捗り、おまけに機嫌も良くなるので、彼女のおかげでQOL爆上がりを体現出来ていて嬉しい限りです。

さて、タイトル通りナチュラルなマウントって日常的に潜んでいるなと思っていて、そもそも「マウントをとる」とは、自分のほうが優位であることを周囲に示す行動のことなんだけど、
ただのマウントとは違う、
この「ナチュラルマウント」つうのが、ちょっと厄介なのだ。

私自身も振り返ると、このナチュラルマウントをしたことがあるし、されたこともある。割りかし全人類がして、されてで、思い当たる節はあるのではないか。

ナチュラルマウントの問題は、日常的にそこら辺で起きていて、
した側はそもそも身に覚えがない、てかそんなこと言ったっけ?そんな風にとっちゃったの?!と理解に苦しむし、
された側は1つの単位としては小さなかすり傷のようなものだが、蓄積するとダメージがでかく、その人間関係が崩壊する要素になりうるということだ。


だたナチュラルマウントした側が悪いとは言えない。そもそも良い悪いではないからだ。

また、ナチュラルマウントされた側が正しいという言及や擁護をしたいわけでもない。

ナチュラルマウントをした側のその無自覚さに加えて、ナチュラルマウントされた側がそう捉えてしまう事の両者に原因があると思っている。


まず、ナチュラルマウントした側としては単純に自分の思った事を話しているだけだし、自分の感情や気持ちを述べているだけなのに、なぜそう思わせてしまうのだろうか。


1つは

自分が思った事をそのままダイレクトに話している点だと思う。


よく、良い人ではあるんだけど時たま言葉に棘がある人や、なんか感じ悪い人ってその傾向がある気がする。


それは裏表がないという証でもあるから言葉に信用性がある、あるいはこの人はストレートな言葉を投げるパーソナリティという認識があれば、捉え方は変わってくるかもしれない。

が、ナチュラルマウントされた側の思考や性質によっては「傷ついた」という気持ちやマイナスな感情が残ってしまうと、その人間関係に溝ができてしまう要素に繋がってしまうのだ。


そして、その最大の溝の原因は、

ナチュラルマウントされた側はそれらを相手に言わないということ。

今のそれ、ちょっと傷ついたよ〜という気持ちや、私はそう思わないけど、あなたはそう思ったんだね!
と伝えればいいところを全て飲み込んでしまう。
なんなら笑顔さえ向けてしまう。

そしてそれらを蓄積してしまい、この人に会うとなんだか疲れてしまう。
そして疎遠になってしまうという構図だ。


両者への提案としてはこうだ!


★ナチュラルマウントする側

①ナチュラルマウントしてしまう人は、まず自分がナチュラルマウントをしている自覚をもつ。それ気味という認識をもつ。


②それでもこれが自分だからいいよ!という人は、それはそれでいいのよ。


③いや、少し気をつけたいなと思ったなら、まず自分の思った事をストレートに言葉に発する前に一白おく。


④次に、相手の言っている事をよく聴く。その文脈から、自分が思った事の言葉を言い換えられないか考えてみる。


⑤例えばよくありがちだけど、いい加減→おおらか、うるさい→活気がある元気、暇→時間や余裕がある、仕事が遅い→仕事が丁寧などだ。


⑥言い換えに加えて、伝え方も少し工夫をしてみる。
例えば相手が難しいと思っていてそう言った発言をしていたが、自分にとっては簡単な事だとする。
ストレートに言ってしまうと「それ簡単なんだけどどこが難しいの?」を言い換えと伝え方を工夫すると「〇〇にとっては難しいけど、自分には簡単にできたよ、どうやったらできるようになるかね?」と相手の言っている事を受け止めて、自分の言いたい事を伝える。そうすると受け手の印象も変わる。


★ナチュラルマウントされる側

①相手がまず傷つけようと思って言っているわけではない事を知る。

②相手の性質やパーソナリティ、自分自身の捉え方の傾向を理解する。

③文脈から勝手に察知しない。自己完結しない。
マイナスな事含めて自分が思ったことを相手に伝える努力をする。言葉にして伝える。
例えば「〇〇には簡単だったんだね!すごい!コツとかあるの?」とか「自分にとっては難しいから、今のはちょっとぐさっときたな〜」とか正直に素直に自分の感情や思ったことを相手に伝える。
言いにくい事もめんどくさがらず、伝える努力をする。

④相手から思いもかけない言葉が返ってくる。誤解が解ける、そんな意図がなかった事を相互に知る。互いの性質を知る。理解しようとする。関係性に軌道修正がはいる。

どうだろうか。

言葉は人を励ますこともするし、下げることも出来るツール。
言葉の使い方によっては、関係性をも左右する。
難しいことではあるが、だから言葉を磨き続けることが大事なのではないか。

自分と同じ人間なんてこの世に1人もいない訳だし、全てを分かり合えるなんて無理な話だ。
だから、その言葉のキャッチボールを適当に投げちゃダメだし、投げ返すのを諦めてはいけない。

自分をわかってくれないと殻に閉じこもる前に、伝えることはしただろうか?言ったつもりになってはいないだろうか?
相手に伝わる言葉で言えただろうか。

言わないと、伝えないと、相手は一生わからない。言わなくてもわかってよは甘えなのだ。

そして、キャッチボールは相手がいてのことだ。
壁打ちなら別だが、時には相手に合わせた速度や取りやすい位置に投げてあげる、そんなコントロール力も必要なのではないか?


そして、対相手や場面が違えば、
ナチュラルマウントする側→ナチュラルマウントされる側にスライドする事はある。
その逆も然り。

だからこそ、人は謝る事をするしできるし、許す事をするしできるのだ。
そうやって右往左往しながらも、良い人間関係を築いていけると理想だ。

全人類よ、ナチュラルマウントには気をつけよ。

自戒を込めて。

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