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スキャン~004~ショートストーリー

 ほんの数日前まで毎日遅くまで残業をして、少し寝たら朝になりまた仕事。休みもろくにとれず、上司と得意先には嫌味と愚痴を言われ何度も頭を下げる。それを二十年もの間くり返してきた。二十年もだ。
 その結果、業績が悪化したというだけでクビになった。私の二十年が無駄になった。
 私はそのことを妻には言えず、しばらくの間いつものように「行ってきます』と言っては、隣の駅の少し離れた公園で時間を持て余していた。

 四日目に、それを見つけた。いつも座るベンチにコンビニやスーパーなんかで使っているバーコードを読み取る機械がぽつんと置いてあったのだ。スキャナーとかバーコードリーダーとか言うのだろうか。
「なんだこれは?」
 二十センチ程の品物、先端が黒く手元に液晶画面と『決定』と記された赤い色のボタン。電源が入っていた。液晶には何やら数字が写っている。
 私はポケットから駅で買った開封済みのガムを取り出すと、ガムの横に印刷されたバーコードにこれを当ててみた。
 すると液晶画面に『○○ガム 百五円』と表示され、決定ボタンが点滅した。真ん中の決定ボタンを押してみる。ピィっと言う電子音がして、機械のお尻のほうから百五円と『○○ガム 百五円』と書かれたレシートが出てきた。
「なぜ急に現金が現れたんだ? なんだこのレシート? ガムってなんだ?」 
……よくわからないが、この機械でスキャンするとお金が手に入るのか?
 すぐにバーコードが付いている品物を探した。公園のゴミ箱のなかには、空き缶やお菓子の袋などがたくさん捨ててある。それらを拾いあげると、さっそくスキャナーを使ってみた。
「なんだ、壊れたのか?」
 どれをスキャナーにあてても、液晶にはなにも表示されないし、もちろんお金も出てこなかった。
「……壊れたのか? 食べ終わっていたら駄目なのか、……それとも自分で買ったものじゃないと駄目なのかな? よく分からないが、どうにかすると金が出てくるかもしれない」
 恥ずかしいことに、手元にバーコードが付いている品物は一つもない。職安の給付金の支給は来月からだ。今月は妻に内緒で貯めた貯金で埋め合わせるつもりだった。財布には千円札が三枚。無駄遣いはできない。金は喉から手が出るほど欲しい。いらない電化製品、趣味で集めたカード類。そんな物でも買ったときの金額になれば大助かりだ。
「今日は家に帰るのが楽しみだな」
 それから本屋やコンビニで時間を潰して日が暮れるのを待ち、時計の針が九時を指すと家へと向かった。

「ただいま」
「おかえりなさい。最近、早いのね」
 いつものように妻と一人息子が玄関の横のリビングで返事をする。私はスキャナーを下駄箱の引き出しに隠し、そのまま洗面所で手を洗ってうがいすると、部屋着に着替えてからキッチンへと向かった。
 テーブルには食事の支度ができている。食欲がないので簡単に済ませると、リビングで妻と子どもが寝るのを待った。
「おやすみなさい」
 妻と子どもがそろってあいさつをする。
「あぁ、おやすみ……」
 気の抜けた返事をすると、さっそく下駄箱からスキャナーを取り出しスキャンする品物を探した。だがバーコードは、そもそも箱やパッケージに付いているものだ。部屋中を探してもバーコードが付いている物といえば、買ってきたばかりの食料品や安っぽい雑誌くらいだった。
「いらない物はいっぱいあるのに、バーコードが付いていないなんて……」
 私は諦めてその中でも、読まなくなった本や賞味期限が切れている食料品をスキャンしてみた。
「すごいぞ!」
 思ったとおりだ、決定ボタンを押すと、品物がレシートと現金に変わった。自分で買った商品は現金になるのだ。私は次々とスキャナーでバーコードを読み取っていく。
「これだけか……」
 全部で一万円にもならなかった。もうスキャンする品物は何もない。私はスキャナーをテーブルの上に置いた。すると驚いたことに液晶に『テーブル 一万二千円』と表示されたのだ。
「バーコードがなくても大丈夫なのか!」
 私はうれしくなって、いらない物や使っていない物を手当たり次第スキャナーにかけ、決定ボタンを押していった。
お金がどんどん増えていく。私はお金をテーブルの上に集めた。
「もう少しで今月分の生活費が何とかなる」
 たが、いいことばかりではない。私は何をスキャンしたのか忘れてしまっていた。おそらくその品物を買っていないことになるのだろう。例えばたこ焼き機をスキャンすると、たこ焼き機が消え、変わりにレシートと九千八百が出てくる。そのレシートで何をスキャンしたのかは分かったが、たこ焼き機を買ったことも、家でたこ焼きを作った記憶もなくなっているという具合だ。まぁ、現金があれば必要ならまた買えばいい。
「タバコの箱を全部取っておいたら、一本も吸っていない事になって、肺が綺麗になっていたのかな」
 そう思うと、いろいろな物を捨ててきたことを後悔した。

 その後もスキャナーでいらない物を現金に変えていると、おかしなことに気づいた。リビングでテレビをスキャンしたときだ。液晶に二千八百円と表示されたのだ。
「なんだ、壊れたのか?」
 このテレビは十万近くしたはずだ。今まで出てきたレシートを見ても、その品物にあった正当な金額が表示されているし、同じ額の現金も手元にある。
「……まてよ、その後で別のテレビを買っているのか? それで差し引きが二千八百円なのかもしれない」
 私は過去に妻が『テレビはもう少し小さいほうが良くない?』と言っていたのを思い出した。これより安いテレビを買ったのか? まぁ二千八百円でも、私には大金だったので、迷わずに決定ボタンを押す。目の前には二千八百円とレシート、それと小さめのテレビがあった。

 それから何気なく隣の部屋に行き、寝ている妻と子どもの様子を眺めた。
「私はこの二人のために生きているのか……」
 しばらく妻と子どもを眺める。冗談半分で寝ている妻にスキャナーをあててみた。液晶には『祐子 八百五十万』と表示されていた。それが妻の生涯習得する金額なのだろうか?
 私は隣で寝ている子どもにもスキャナーをあててみた。
「な、なんだって……」
 声を上げそうになった。驚いたことに、液晶には『さとる 十八億円』と表示されていたのだ。
「……なんだ、この子にそんな金を使った覚えはないぞ?」 
 スキャナーが間違っているのか? 
 ……いや、違う。おそらくこの子が将来稼ぐ金額なのだろう。芸能人かプロ野球の選手にでもなるというのか? 私はうれしくなって二人を起こしそうになった。だがそんな話を二人が信じるだろうか。それに子どもに変なプレッシャーをかけることになる。
 とりあえず、私は部屋をあとにした。もちろん、その場で決定ボタンを押して、子どもを現金に変えることはしなかった。
 十八億、想像もつかない金額だ。テーブルに置かれた寄せ集めの現金とはわけがちがう。いったい、どんな生活ができるのだろう。しばらく考えてみたが、やはり想像もつかない。これは夢の数字だ。
 時計の針が二時をまわる。キッチンで一時間もぼぉっとしていた。とりあえずは今月の生活費だ。手元の現金を数えてみたら、まだ足りなかった。
「この冷蔵庫でなんとかなるだろう。たしか、この大型の冷蔵庫は十四万もしたからな」
 冷蔵庫にスキャナーをあてると『冷蔵庫 九万円』と表示された。
「こんどはかなり安い冷蔵庫にしたようだな」
 決定ボタンを押して九万円を手に入れる。お金をテーブルの上に置くと目の前の小さな冷蔵庫のドアを開けた。缶ビールが一本だけ入っていた。他には調味料くらいで、たいした品物は入っていなかった。
 私はビールを飲みながら、集まった金を数えてみた。全部で二十五万円にもなっていた。
「少ないがとりあえず今月分の生活費は工面できたな」
 久しぶりにリラックスして眠れる。抱えている不安も今夜は顔を出さない。不安なんて物は心の隅でじっとしていればいい。

 翌日、妻はなんら不思議そうな顔を見せなかった。私はいつもどおり会社に行ったふりをすると、時間を潰してから少し早めに帰宅した。久しぶりに子どもと一緒に風呂に入り、買ってきたビールをリビングで飲み、二人が寝るのを待った。
 寝室から二人の声がしなくなると、そっと部屋に入り、例のスキャナーで子どもをスキャンしてみた。もう一度、金額を確認したかったのだ。
「……」
 言葉が出なかった。液晶には無情にも『さとる 一億五千万円』と表示されていたのだ。何度やっても一緒だ。
「これは普通のサラリーマンの生涯賃金じゃないか……」
 何かが変わってしまった。私は昨夜のことを思い返してみる。
「まさか……、あの後なにかをスキャンしたことで、生活が変わってしまったというのか?」
 すぐに部屋に戻り、昨日スキャナーから出てきたレシートを調べた。
「テレビか? 将来、子どもが芸能人になるとして、私がテレビをスキャンしたから、子どもがテレビを見られなくなった。それで……。いや、テレビはある。スキャンしても過去の自分は小さめのテレビを買っているのだ」
 私はレシートを見ながら考えた。
 ……それとも、今日あの子に何かあったのか? 取り返しのつかない怪我? いや、さっきまで隣で元気そうに居たじゃないか。それならなんだ? 記憶を探る。
「そうか、冷蔵庫だ!」
 子どもをスキャンしてから、スキャナーで現金に買えたのは冷蔵庫だけだ。テレビでもなんでもない、冷蔵庫だ。手元に『冷蔵庫 七万円』というレシートがある。
「何てことだ……。プロのスポーツ選手だったのか? スキャンしたことで食生活が変わってしまったのか? 以前はもっと大きな冷蔵庫で食料品がたくさん入ってたのか……」
すぐに冷蔵庫を確認しに行く。
「こいつか」
 小さな冷蔵庫だ。ドアを開けると、たいした食料品は入っていない。調味料のほかはハムと納豆。
「……」
 取り返しのつかないことをしてしまった。子どもの可能性を摘んでしまったことより、十八億円を失ったことの方が悔しかった。悪魔が横切る。液晶の十八億円の数字、その下の点滅した赤い決定ボタン。あのときに押していれば……。赤く点滅した決定ボタンが頭から離れない。
 いまから大型の冷蔵庫を買う金なんて、どこにもない。
 
私は、あらゆる場所に子どもを連れて行った。スポーツも一緒になって色々とやってみた。金はなかったが、子どもに向いてないと思えば、買ってきた道具をスキャンするだけだ。食べ物だって自分は我慢してでも、子どもには栄養があるものを与えた。それでもスキャナーの液晶には、いっこうに十八億の数字は出てこなかった。
 一年が過ぎた頃、大切にしていたスキャナーが壊れてしまった。だが私には、もうそんなことはどうでも良かった。小さい会社だったが就職も決まっていた。月給は少なかったが週休二日でめったに残業もなかった。子どもと過ごす時間が増えるにつれて、気持ちが変わっていったのだ。
 子どもとサッカーをしたり博物館に行ったり、最初はこの子が将来稼ぐ金目当てだったが、子どもが楽しんでいたり不思議そうに絵画を見たり、子どもの笑った顔を見ていることが私はうれしかった。きっと、それが幸せなのだろう。
 もちろん子どものために生きているわけではない。子どもと一緒に公園へ行って虫取りをする。夏になると『ただ、うるさい』としか思わなかったセミが、朝方に孵化することや、その瞬間を狙っている鳥がたくさんいること。セミにも何種類もいるって知ったことも、大人のくせになんだかうれししかった。
 月を見ると思い出す。私が生まれた頃、あんなに遠くまで行った人間がいたことを。前に進めなくてどうしようもなくなると、月を見ては『あそこまで行った人間がいるんだ。俺も、もう少しがんばろう』と思っていた。
夕暮れの公園で、妻と子どもが花火を楽しんでいる。空には月が眩しく光っていた。
「俺も、もう少しがんばろう」
 妻と子どもが笑っている。私は妻が用意してきたサンドイッチを口に放り込んだ。

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