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最期の願い〜002〜ショートストーリー

「では、次の者入りなさい」
 静まり返った冷たい廊下に低い声が響き渡る。
「失礼します」
 男がドアを開け、会釈をして部屋の中に入ると、向かいの壁際にテーブルを挟んで五名の面接官が並んで座っていた。ずいぶんと広い部屋だ。その部屋には窓もなく、電灯もうす暗い。重苦しい雰囲気が漂っていた。部屋の真ん中には安っぽいパイプ椅子がひとつだけ置かれている。男は五名の面接官の視線を一斉に浴びながら、その椅子を目標に歩いた。
「座りなさい」
 男が椅子のとなりに来るのを待って、中央に座っている者が優しく声をかける。
「それでは、失礼します」
 男は一礼をしてパイプ椅子に腰を下ろす。再び中央に座っている者が男に声をかけた。
「君は、なぜこの面接を受けようと思ったのかね?」
「はい。やはり、誰もが一番に憧れる職業だからです」
 男が正面を向いて、はっきりとした声で答えた。
「そうか」
 男の答えに互いの顔を見渡す面接官。男から向かって右端がイフリート。その隣がベルゼブブ、中央にはサタン。そしてルシファー、ネビロスと並んでいた。彼らすべてが悪。そこには悪魔の確固たる面々がそろっていた。男の背後、入り口のドアの横には地獄の番犬と言われるケルベロスが、口元に笑みを浮かべ男をじっと見つめていた。そう、そこは悪魔による悪魔になるための面接会場だったのだ。

 男の『憧れの職業』という言葉に、いくぶん気を良くしたサタンが答える。
「それもそうだな。我々は人間を悪の道に引き込み魂をもらう。我々はその魂で永遠の命と力を得ている。……まぁ、誰もが憧れて当然だろう」
 サタンが納得してうなずいた。
「人間で、歳は三十五で独身か……。では、まず今までしてきた悪事を言ってみろ」
 ルシファーの問いに、男は内心では極度に緊張していたものの平然と答えてみせた。
「人を五人ほど殺しました」
「ほう、それはたいしたものだ。人間の魂を奪うことに抵抗がないというわけか」
「はい。私は他人の生死になど興味がありません」
 男はクズのような人間だった。平気で人を裏切る。生まれつき容姿に恵まれた男のターゲットは年寄りと女。この面接を受けたのも、悪魔になれば楽をして永遠の命を得られると思ったからだ。
「信仰している宗教なんかあるのか?」
 次々と悪魔たちの質問が続くが、それにそつなく答える男。そして、最後の質問が男に向けられた。
「では最後に、今までで一番の悪事といえばなんだ? 教えてくれよ」
「はい。色々とやってきましたが……」
「なんだ。言いにくいことでもあるのか?」
 男は少し考え込むと、思い切った様子で答えた。
「……実は、本日の面接の答えに、すべて嘘をつきました」
 それを聞いて、椅子に座っていた悪魔たちが一斉に男を睨みつけた。男はクズだが根っからの悪人ではなかった。もちろん人も殺したこともないし、犯罪といえば詐欺行為くらいだった。一瞬にして部屋に重苦しい空気が流れる。
 左端に座っていたネビロスが目の前のテーブルを激しく叩くと、立ち上がり声を張り上げた。
「貴様。我々に嘘をついて、このまま帰れると思うなよ!」
 ドスを効かせた低い声が部屋に木霊する。他の悪魔たちも各々立ち上がり、恐ろしい顔をして男を睨みつけている。男は、こうなることを予想していたものの、心臓が恐ろしい速さで動いているのを感じていた。そして、ゆっくりと深呼吸をすると話し始めた。
「失礼しました。ですが、あなた方に嘘をつくのは最大の悪事かと思いまして……」
 沈黙のあと、まずサタンが笑い出し、他の者もそれにつられて笑い出した。
「気に入った。確かにその通りだ。我々を前にして嘘をつくとはたいした度胸だ。……よし、おまえを採用してやろう。おまえは今から俺たちの仲間だ」
 サタンの言葉に、立ち上がっていた他の悪魔たちは互いに顔を合わせると頷き、腰を下ろした。
「ありがとうございます」
 男はこれで『永遠の命と悪魔の能力を身に付けることができる』と思い、今までの緊張が解け安心して微笑んだ。
「じゃあ、通常業務を説明してやる」
 と、まるで大きなハエのような容姿のベルゼブブが話し始めた。そのベルゼブブの口からは腐った魚のような悪臭が男の鼻先まで届いてくる。男は強烈な吐き気に襲われたが、それを必死で我慢した。
「ターゲットはお前と同じ人間。その人間の魂を集めてくるのだ。だが神との協定があって、そのまま殺して奪ってくる訳にはいかねぇ」
 男は黙って話を聞いている。
「人間に願いを聞き、一つだけそれを叶えてやるのだ。その代償に魂を頂くってわけだ。言わば神に背いた者だな。それなら、神も文句は言わねぇ」
 ベルゼブブが厭らしい顔を見せて笑う。だが、目は笑ってはいない。その目は男を真っ直ぐに捉えていた。
「魂を奪われた者は、どうなるのですか?」
 男が質問をした。
「五年間だ。五年経ったら魂を貰う。まぁ、そいつは死ぬってことだよな」
 ベルゼブブが答え、ルシファーがそれに補足をする。
「でも、例外がある。それは願い次第だ。仮に独裁者に成りたい奴が居るとするよな。そいつは当然、他の人間に恐怖や苦しみ、死や悲しみを与える。そうすれば五年過ぎても、そいつは生かしてやる。なぜなら、それは俺たちのエネルギーになるからだ」
 男がうなずき、ルシファーが話を続ける。
「歌手になりたいって奴も一緒だ。ビックに成れば成るほど長生きができる。そいつがビックに成れば、誰かが苦しみ泣いているし、そいつを憎んでいる奴が必ず居るからな。結局、人間ってのは誰かが幸せになれば、誰かが不幸になるんだよ」
 男の脳裏に、数年前の記憶が浮かんできた。
 ……あの婆さん。今頃、何してんだろう。死んじまったかなぁ。結婚してすぐに旦那に先立たれ、何十年も欲しい物を我慢して、一人息子を育てながら、やっと貯めた金だ。それを俺は、ちょろまかした。……婆さん、俺を憎んでいるだろうな。
 ……いや、あの婆さんの性格なら自分を責めるか? まぁ、関係ねぇ。……でも、息子はどうなったんだ? あの金は息子と一緒に店を開く資金にするって言っていた。たしか、息子は支払いを済ませた筈だ。あとは婆さんの金。息子には嫁と子供が居るって話だったな。家族揃って一気に借金まみれか。……知ったこっちゃねぇ。『誰かが幸せになると、誰かが不幸になる』たしかにその通りだ。
 ……俺は、二ヶ月で婆さんの金を使っちまったっけ。

 ……そういえば、俺も母子家庭だったな。

「おい、聞いているのか」
 ルシファーが男を問い詰める。男は我にかえった。部屋ではサタン以外の悪魔たちが雑談をしていた。
「でも、あいつの願いは『首相になって良い国を作りたい』だったんだぜ」
「そいつが、三万人の人間を虐殺したんだからな」
「それなら、こいつはどうだ?『論文を実証したいから、地震を起こせ』ってのがあったぜ」
「それで、どうなった?」
「結果、二万人が死んだよ。それなのに、そいつは大地震があると、今もテレビに出て、もっともらしい話をしているんだぜ」
 悪魔たちの下衆な笑い声が部屋中に響いた。

 男は悪魔たちの会話をよそに、幼い頃を想い出していた。母親と歩いた川辺の景色が男の脳裏から離れない。その視線の先には、いつも子供を見つめて笑っている母親と、夕焼けに染まったオレンジ色の空が映っていた。母親は子供の小さな手をしっかりと握っている。

 面接会場では話の内容が悪魔たちの自慢話へと変わっていった。
「お前たち、いい加減にしろ。これは面接だ!」
 サタンの一言に室内の空気が一変した。
 突如として、男の瞳から涙がこぼれてくる。……俺はどうして、こんな風になっちまったんだろう。男は、ただそれだけを考えていた。
「願いを……。願いを叶えてくれ……」
 気が付くと男はそう呟いていた。
「なんだと、貴様!」
 悪魔が男に牙を向けた。
「もう一度、言ってみろ。お前は悪魔に成りたいんじゃなかったのか!」
 ルシファーが立ち上がり目の前のテーブルを蹴り上げる。だが、男の耳には何も届かない。
「願いを叶えてくれ……」
 男は流れ落ちる涙を拭おうともせず、サタンに懇願した。
「俺を、母親の、……母さんのお腹の中に戻してくれないか。……なぁ、頼むよ」
 嗚咽が止まらなかった。
「どうやら、こいつらが喋り過ぎたようだな。だが、これが人間の本質だ。それでも、人間がいいというのか?」
 サタンが男を諭す。
「あぁ、人間がいいよ。……俺は、毎日仕事帰りの母さんを迎えに行くんだ。川のほとりに一本の太い木があってさ。そこでいつも少しだけ休むんだよ。母さんは、いつだって俺の話を聞いてくれた。貧しかったけれど、俺は母さんと歩くのが好きだった。……もう一度、もう一度最初からやり直したい」
 そう言うと、男は目の前のサタンを見つめる。瞳からは涙が止め処もなく流れ落ちている。清らかな顔だ。一瞬、サタンは男を神族かと錯覚した程だった。
「五年間だ。生まれてすぐの子供じゃ、他人に恐怖や苦しみを与えることは出来ぬ。お前の命が五年以上延びることは絶対にない。五年経ったらお前は必ず死ぬんだぞ」
 男とサタンが一対一で話す。
「あぁ、それでもいいよ……」
 小さな声だが、男ははっきりとそう答えた。
「わかった。叶えてやろう。お前を母親の胎内に戻してやる」
 サタンが答えると、周りの悪魔たちは怪訝そうな顔を浮かべ、一斉にサタンを見つめる。だが、誰一人として苦言を呈するものは居ない。絶対悪のサタン。
「ありがとう……」
 男が笑った。それは、まるで子供のような顔だった。
 サタンが男を見据え何かを念じると男が消えて、部屋には安っぽいパイプ椅子がひとつだけ残った。

 小さな生物が液体の中を浮遊している。ゆっくりと、そしてのんびりと体を丸めながら液体の中を漂っている。目を閉じているがその顔は微笑んでいるようにも見えた。
 遠くの方から声が聞こえてくる。
「逃げろ! 五分以内に空襲があるぞ!」
 声が響き、警報が鳴った。廃墟同然の街で、年寄りや女子供が逃げ惑っている。誰一人として声は上がらない。騒いでもしょうがない、いつものことだ。上手く隠れられなければ死ぬだけだ。ただそれだけのこと。
 そのとき一人の女がよろけて、前のめりに足から崩れ落ちた。誰も助ける者は居ない。その女は妊婦だった。女はお腹を手で守りながら、なんとか体を回転させて、背中から地面へと倒れ込んだ。
 女の体に激痛が走る。背骨を強打して苦痛に顔を歪めているが、お腹を手で擦りながら必死に起き上がろうとしている。起き上がらなければ死ぬしかない。何度となくよろけては崩れ落ちるが、そのつど手足でカバーをしてお腹だけは守っていた。
 なんとか立ち上がった女が、空を見上げて歯を食いしばる。空に機影はまだ見えぬ。まだ間に合う。女は一瞬だけお腹を見つめると、そのまま顔を上げて走り出した。

 男が消えた面接会場では重い空気が流れていた。
「誰かが幸せになると、誰かが不幸になる。……五年経ったら、あいつの母親が悲しむことになる。子を失った親の悲しみは想像を絶する。きっと、独身のあいつには分からなかったのだろうな……」
 サタンがそう呟いた。しばしの沈黙が流れる。サタンがケルベロスに目で合図を送った。ケルベロスがそれを見てドアへ向かって叫ぶ。
「では、次の者入りなさい」
 ケロベロスの低い声が、冷たい廊下に響き渡っていった。

 廃墟の街、女は逃げ切った。街外れの川のほとりに一本の太い木があった。その木は春先だというのに葉の一枚もつけてはいない。女はその木に背中を押し付け、腰を落として足を伸ばした。顔はうつろだ。その目からは一切の希望は見えない。この世界にあるのは絶望だけだ。それでも、女は子守唄を歌いながら、大きくなったお腹を優しく擦っている。ゆっくりと、ゆっくりと手でお腹を擦っている。もうじき生まれてくる子供のために。

 この街は生まれてくる命よりも失われる命の方が圧倒的に多い。

 戦争は、まだ終わらない……。

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