Q5: なぜ「生前の世界、死後の世界」を知らないのか?
「何のために生きてるんだろう」
「(仕事などで)こんなことをして何の意味があるんだろう」
「カネ(生活)のため、家族のため。マイホームローンのため、学資のため、老後資金の貯蓄のため・・・とはいえ、なんでこんな強制労働や無能な上司のアホクサイ指示に従わなくてはならないんだろう? だいたいなんでどこもかしこも無能で意地の悪いものばかりが、”上役”って座に座ってんだろう?」
「死んで花実が咲くものか・・・死んでハイお終い、とは思えないけれど、かといって死んだあとどーなるかは、正直なところよく分からない。そもそも、なぜ自分がこの世に生まれてきたのかさえ分からないのに、どーして死んだ後のことが分かるだろうか? 分かったとしてそれがどうなるんだろうか?」
これらの問いは「中二病」の一言で片づけられてしまうことが多い。
まして、オジサンが「僕ってだ~れ」的な「病」を病んでしまったら、実際の生活に影響するし、だからその恐怖心からそんな問いかけ(心の声)を不問に付す。
「何を青臭いこと言ってんだか」
それが「おとな」というわけ。
だれも面と向かって自分と対峙しようと思わない。
下手をすると人生というレールから逸脱してしまうのでは、という恐怖心からだ。
かくして、分からないのに分かったふりをする。
または、そんな自問自答は無意味だとして退ける。
それが「おとなは嘘つきだ」と言われるわけ。
しかし、「嘘つき」という汚名をかぶせられても、内心(潜在意識)ではそうした問答を繰り返す。依然として答えは出ないまま。
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生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥し(空海 『秘蔵宝鑰』)
無明。
人間の、というよりも、自らの生と死という根源的な問題が分からないということは、この、たかだか70年だか90年だかの命の意義もわからなければ、それをどう生きるべきかも分からない。
第一、死の問題=抹香くさい話
として、顔を背けたがる人が多い。
片や、生前から自らの墓を用意するなど妙に準備のいい人もいる。
いずれも、死が「終わり」を象徴している、という解釈からだろう。
しかし、この問題が解明されない限り、
「今だけカネだけ自分だけ」流の、正しく「世も末」的な世相は変わらないだろう。
「自分一人くらいいいだろ」
「名前さえばれなければいいだろう」
「みんながやってるからいいだろう」
果たしてそうなんだろうか?
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昭和中期くらいまではあった「お天道様が見ている」とか「壁に耳あり障子に目あり」「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲~ます」などなどの諺や童歌の類は、ナンセンスとばかりにすっかり空念仏と化してしまった。
何をやってもやりたい放題。
ホントにそんなことがまかり通るのか?
カネを縦糸に、嘘を横糸に・・・この世で極悪非道を極めた人物が、権力を笠に法を逃れ、優雅な晩年を送る。
一方で冤罪であらぬ咎に苦しむ人がいる。
一般人が理解に苦しむ非合法。
果たしてこの世をスルーしたとしても
あの世で審問はないのか?
あの世で沙汰はないのか?
あの世で刑罰はないのか?
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まずは下図を見ていただきたい。
これは著者のバイアスを通しての霊魂のあり様だから、正しいものとは限らないにせよ、あらかた説得力のある図ではなかろうか?
生と死の問題は、最下層から単にその一つ上にステップアップするだけの移行に過ぎない(移行を死といっているだけで、言い換えれば死はない)。
これが日本流だと、人間界ー幽界ー霊界ー神仙界ー神界とかになるのかもしれない。
この図で最も注意したいのは、左端に太い罫線で囲まれた「霊界」という箇所です。それは地表から「天上の諸次元」を突っ切って大宇宙につながっており、しかもすべてをカバーしている。
この図ではすべての次元に「霊魂」がある。
「霊主体従」(本体である「霊」が体を支配している)という言葉があるが、まさにその通りの世界観で、僕たちの本質というものは無限であるし、不死であるという解釈だ。
僕はスピリチュアリズムを語りたいのではない。
あくまでも客観的に生命をとらえたいだけです。
肉体は肉体、精神は精神という二元論はすでに科学の分野でも時代遅れの概念になっています。
そして、誤解を恐れずに言えば、ここにある「霊」という言葉こそ、実は「生命」「生命力」「スピリット」そのもののような気がします。
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「天に唾す(因果応報)」は本当だ。
「天網恢恢疎にして漏らさず」(宇宙の節理は一見ゆるく見えるが細大漏らさず絡めとる=老子)
それは、悪人を懲らしめるとか、刑罰を与えるとかではない。
単なる宇宙法則だ。
やったことは自分に返ってくる。
日本には、古来から
生々発展
弥栄
万歳
という考え方がある。
この宇宙万象万物は始めなきはじめより、終わりなき終わりまで途切れることなく発展し、障害となる闇は存在できないという世界観です。
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過去(今まで)の世界
この地球は監獄惑星である
2万年来一種または数種の邪悪な異星人によってこの星は支配され、よってわれわれは奴隷として搾取されてきた
地球・太陽系には強力なバリアが張られ、完全に隔離された。我々人類のほぼ全員はそこを肉体的にも霊的にも脱出できないばかりか、善意の異星人もほとんど介入できなかった
輪廻転生、カルマは支配者による現実的、超科学的な管理システムであり、その意味で我々に自由はない
生まれ変わる際、一切の過去の記憶は消去された
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未来(今から)の世界
宇宙の光の存在と接する
巨悪の根源はすでにいない
過去はすべて転覆、清算される
支配層(裁いたもの)が裁かれる
悪の残滓(洗脳から解けない一般人)はそのままに、地球は解放され、光あふれる星に変わる
今流にいえばそれは大変に”ぶっ飛んだ”説(仮説)だろう。
しかし、ぶっ飛んでいたのは、僕たち「人類」の側だった・・・少なくともそのように柔軟に、謙虚に考えてみる目線も必要かもしれない。
以前にも取り上げましたが、下記の動画内容は、これまで地球が置かれた状況をあらまし示しているかと思います(僕の知っているのとはまた違う星系の情報でしょうが、酷似しています)。
インテリ層、一般大衆のいずれからも嘲笑されるものに「真実」は隠されている。
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。