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たましいの歌
ぼくはたましいがなんなのかを知らない
知らないということは
ぼくがたましいそのものだからなんじゃないだろか?
きっとそうにちがいない
じぶんのことはわかりきっている
そのはず
でも
あなたはいったいなにもの?
といわれても
とまどってしまうのは
それが
わかりきっていることだからじゃないだろか?
わかりきったことは、せつめいなんてできないよ
愛とか
神とか
そうした概念はいったい何なのか?
だれにも答えられないのは
それらがたましいレベルの言葉だから
きっとそうにちがいない
たましいレベルは理解できない
説明できない
なぜなら
みんながたましいそのものだから
![](https://assets.st-note.com/img/1677143453445-iaWfQ3hQml.jpg?width=800)
頭脳でくみたてたり
論理だてて筋道をつけてみたり
ぼくたちの得意なやりかたでいくら探ってみても
答えなんてでるもんじゃないさ
なぜなら
答えはとっくにここにあるから
ぼくたちが答えそのものだから
答えがあるものに
どうしてそれに答えを出せるんだろか?
たましいの大きさは群を抜いているから
どこまでも続くミルキーウェイをはるかに超えて
その先は見えないよ
果てしなく大きいものの一部を小皿に載せて
はいどーぞ、これが”愛”というオードブルです
これが”神”というメインディッシュです
と差し出されても、とまどってしまう
それはニシンの小骨やモヤシのひげ根のようなもので
全体じゃないや
象の鼻をさわって愛といい
像の耳をさわって神という
理解を超えたもの
想像を絶するもの
それは、
この世をくまなく探し回っても
どこにも見つからないよ
![](https://assets.st-note.com/img/1677143313582-e6GAn05oW9.jpg?width=800)
だから、探求につかれた人たちは
「この世には神はない」
とか言ってるよ
そんな人たちは、
データや法則みたいなたましいのしっぽや影をてがかりに
この世界ができている
とこじつけてるよ
探すから見つからないのさ
探さなければ見えてくる
探さないということは
自分の外側に意識を向けないことなんだ
考えないことなんだ
目を閉じて
自分の内側に意識を向けることなんだ
たましいレベルのことはね
決して理解できないんだ
なぜなら
理解する必要なんてないからなんだ
なぜならそれは
自分自身だから
アンダースタンディングは
頭でやること
納得はあるけれど
それだけだろう?
感動はないのさ
![](https://assets.st-note.com/img/1677143640784-1Icsuu3a5b.jpg?width=800)
たましいレベルのやることは
共鳴
共振
共感
だよ
理解する代わりに
涙
がやってくる
熱いものがこみあげてきて
どうにもとまらない
無性に涙が止まらない
そうした形が
たましいの共振なんだ
たましいはみんなちがう
たましいの軌跡もみんなちがう
でもみんなひとつにむかって進んでる
でっかい旅をしているよ
その羅針盤はなに?
みんなを照らす光だよ
行きつく先はなに?
みんなひとつの光のなか
ふるいものが出てきました。
詩なのかメモなのか不明。
制作日不明。
ま、いいか。
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。