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たましいの歌

ぼくはたましいがなんなのかを知らない

知らないということは

ぼくがたましいそのものだからなんじゃないだろか?

きっとそうにちがいない

じぶんのことはわかりきっている

そのはず

でも

あなたはいったいなにもの?

といわれても

とまどってしまうのは

それが

わかりきっていることだからじゃないだろか?


わかりきったことは、せつめいなんてできないよ

愛とか

神とか

そうした概念ことがらはいったい何なのか?

だれにも答えられないのは

それらがたましいレベルの言葉だから

きっとそうにちがいない


たましいレベルは理解できない

説明できない

なぜなら

みんながたましいそのものだから


頭脳あたまでくみたてたり

論理だてて筋道をつけてみたり

ぼくたちの得意なやりかたでいくら探ってみても

答えなんてでるもんじゃないさ


なぜなら

答えはとっくにここにあるから

ぼくたちが答えそのものだから

答えがあるものに

どうしてそれに答えを出せるんだろか?


たましいの大きさは群を抜いているから

どこまでも続くミルキーウェイをはるかに超えて

その先は見えないよ


果てしなく大きいものの一部を小皿に載せて

はいどーぞ、これが”愛”というオードブルです

これが”神”というメインディッシュです

と差し出されても、とまどってしまう


それはニシンの小骨やモヤシのひげ根のようなもので

全体じゃないや


象の鼻をさわって愛といい

像の耳をさわって神という


理解を超えたもの

想像を絶するもの

それは、

この世をくまなく探し回っても

どこにも見つからないよ


だから、探求につかれた人たちは

「この世には神はない」

とか言ってるよ


そんな人たちは、

データや法則みたいなたましいのしっぽや影をてがかりに

この世界ができている

とこじつけてるよ


探すから見つからないのさ

探さなければ見えてくる

探さないということは

自分の外側に意識を向けないことなんだ

考えないことなんだ

目を閉じて

自分の内側に意識を向けることなんだ


たましいレベルのことはね

決して理解できないんだ


なぜなら

理解する必要なんてないからなんだ

なぜならそれは

自分自身わたしだから


アンダースタンディングは

頭でやること

納得はあるけれど

それだけだろう?

感動はないのさ



たましいレベルのやることは

共鳴

共振

共感

だよ


理解する代わりに

がやってくる

熱いものがこみあげてきて

どうにもとまらない

無性に涙が止まらない

そうした形が

たましいの共振なんだ


たましいはみんなちがう

たましいの軌跡たびもみんなちがう

でもみんなひとつにむかって進んでる

でっかい旅をしているよ


その羅針盤はなに?

みんなを照らす光だよ


行きつく先はなに?

みんなひとつの光のなか


ふるいものが出てきました。
詩なのかメモなのか不明。
制作日不明。
ま、いいか。


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東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。