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「愛」は争わない、「愛」には敵がない今に生きる合気道開祖・植芝盛平の精神

まえがき

植芝盛平翁についてすでにご存じの方も多いし、
いまさら素人が何をかいわんや、という次元です。
そして、何よりも「合気道」が、ワールドワイドな武道として認知され、さらにその実践者もますます増え続けている。
全世界140か国、その人口は200万人を上回るという。
素晴らしいことだと思う。

私は以前「本物と達人」でも書いたように、その武道なりなんなりが、ただ敵を倒すことが目的の「武器」としての技だったり、「最強の格闘技は何か?」的な力を競うようなものであれば、それには娯楽として以上の興味は湧かない。
なぜなら、それは、まさに腕力、武力、情報力、ひいては財力の多寡による「現代戦」にまで発展し、最終的には「血で血を洗う」局面を迎えるからだ。

もっと簡潔に言えば、現代での強者は「核」であることに行きつく。

一言ここで申し上げたいのは、「合気道」の精神は、それとは真逆のものだ、ということ。
言い換えれば、それと真逆なものを探すとすれば、それこそが合気道の精神ということになる。

だから、もしあなたが「武力」や「戦争」といったものに立ち向かうとき、どのようにそれと向き合うのか? というとてつもなく意味深い解答をお探しであれば、それは合気道の精神を学ばなければならないという道理に行きつくだろう。

では、その「精神」とは、ただ「平和」や「愛」を念ずるだけのものなのか?
実際的な「力」というものは無いものなのか?

それが全く違うのだ。

さて、先にご紹介しようとしてそのままになっておりました、その植芝翁についての拙文があります。
昔のもので硬い文章が気になりますが、まずは、そのまま記載して、一体彼がどのような人となりだったのかのアウトラインをなぞってみたいと思います。

敵そのものを無くする絶対自己完成の道※

※植芝盛平遺訓 
────2004年2月1日『Bookish Cafe第5号』より(一部加筆)

剣も槍も拳闘も相撲も柔道も通用しない

その日の植芝先生の姿は紋衣の正装であったが、剣槍けんそう(木刀・木槍)を持った門人たちが五、六人一度に仕掛かっていったが、あっという間に門人たちは頭上を越えて投げ飛ばされていた。
それは、文字通りの瞬間で、植芝先生の着衣には、門人たちの剣槍さえもふれることはできなかった。


私は、入門当時、はじめて植芝先生に手を取って教えを受けた。
正座して稽古をしていただいたとき、先生は、

「これが一つ出来たらよいのだ」

と教えられた。

今でもそうであるが、合気道の技の稽古の初発に習うことは、「座技」において、正座し、手刀をもって、相手の正面を打つことである。

まず、力いっぱい先生に打ち掛かっていった。
すると先生は、至極やわらかに受けられていたが、

「あんまりつよく打つと、手が折れるぞ」

と注意されたのである。


「新選組」の呼称でならした大阪の警察官のなかでも、選り抜きのツワモノ・猛者もさたち五人が、横になっている植芝を柔道のしめ技で捕らえた。
気合一声、五人はばらばらと四方に投げ出されてしまった。


拳闘家・ピストン堀口が盛平に挑み、その胸元めがけて得意のピストンを見舞うかと思いざま、瞬時にしてその両腕をへし折られてしまった。


相撲界を脱退して満州国にいた天竜が、本格的にまわしを締めこんで盛平に挑むも、簡単にねじ伏せられてしまった。
これを見ていた皇帝・溥儀ふぎは、

「これは神様だ」

といたく感動し、天竜に盛平のもとでの修行を命じた。

※以上『武の真人』より

・・・等々、文字通りの「武勇伝」には事欠かない。

小柄で控えめな物腰の好々爺。
だから、いかなる猛者でもご老体を前に逡巡してしまう。
そうして技を掛けようにも軽くかわされる。
それでは、とばかりに、今度は本気で挑む。
しかし、まったく歯が立たない。

そんな筋書き。

合気道開祖・植芝盛平。

無敵の人であった。
だからおそらくは最強の人であろう。

もちろん、単に「武勇に秀でた」という枠では収まりきらない。
技はもちろんのこと、その思想なり哲学は、ほとんど神域に迫るものと言ってもよいのではなかろうか?

不世出の人である。(これほどの”人物”ともなると、本欄で取り上げること自体畏れ多いのだが、”門前の小僧”の講釈としてとらえていただきたい)


炯々たる眼光に百鬼を圧する気迫が宿る=『合気道の心を求めて』より

闘いも、その相手もいない「愛」の世界

さて、合気道はいまや世界的な武道として興隆しているが、その精神は、戦い争うこととは正反対の、「絶対平和」そのものにある。

だから、相手を斃すことを目的とした格闘技の類とは次元が違う。
もっと言えば、現代の弱肉強食的な経済構造とも、まったく異質な世界観がそこにある。

植芝翁の言葉がそれを直截的に物語る。


〇合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。

〇如何なる早技で、敵がおそいかかっても、私は破れない。それは私の技が敵の技より早いからではない。これは早い、遅いの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。

〇合気道は無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気のある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。

〇「愛」は争わない。「愛」には敵がない。何ものかを敵とし、何ものかと争う心は、すでに神の心ではないのだ。

〇合気はこちらから持ちもせぬし、また相手に持たせもしないのであります。

〇合気は相手をこさえてはいけません。

〇目に見えざるところの世界の上に、見えるように行うのが合気である。目に見えざるところの仕事を目にみえるように仕事をする。目に見えなかったら目に見えるように心を引き出す。


「私は百姓をやっておりまして・・・」

現代社会が大きく欠落しているもの、崩壊寸前のごとき文明が渇望しているもの・・・。

口先だけの「平和」や「愛」など何になろう。
誰しもそんな言葉には疲れ果ててしまっている。

私たちは、いつもそんな巧言令色に騙されて来たし、そんな言葉や観念は、うっかりするとあこぎな金儲けの口実になったり、ひどいときは戦争の口実にすらなっている。

盛平は生涯一貫して「人類愛」や「平和」などを説き続けてきたが、同時にそれらが単なる観念論やお題目に堕することを嫌った。
そんな二枚舌だからこそ、力にものを言わせた戦争や犯罪が絶えないのだ、と。

しかるがゆえの「合気道」なのである。

それは、自らの心身、そしてその両者を結ぶ「言葉」を、宇宙万有と合一させることを主眼とした、まさに実践的実際的な一つのカリキュラムなのである。

盛平はそれを為し得、そして広めた。
しかし、自らは開祖として尊大になることはなかった。

「大正から昭和にかけて、彼が幾たびとなく合気の実演などして、貴賓きひん高官などに披露してきたが、彼はいつもそういう人に対して『私は百姓(農業)をやっておりまして・・・』という言葉を述べて接していた」(『武の真人』)


合気道開祖・植芝盛平翁(1883~1969)
=『合気道の心を求めて』より


剣豪・宮本武蔵はじめ多くの武勇者がそうであったように、盛平は生涯農を離れることはなかったという。

人間・植芝盛平の生涯は、幾多の苦難を乗り越えてのものだった。
紀州・和歌山の地に生まれてから、武芸の道に志し、やがて北海道に渡り、北辺開拓というとんでもなくきつい苦役に従事、その後蒙古であわや死刑執行(銃殺)の寸前まで体験、等々、波乱万丈のエピソードがある。

合気道を精神性にまでに昇華する過程に、特に若い時分に親しくしていた大本教の教祖・出口王仁三郎氏との交流も大きく影響していたかもしれない。

いずれにせよ、合気道という武道を通して悟り得たその人類愛を提唱してやまない精神こそ、今後も静かに、しかし連綿と次代に引き継がれていくことだろう。




あとがき

合気道の凄いところは、その心技体にあるのみではない。
精神だ。
合気の技には、決まった型がない。
それは時代とともに、人とともに変わってゆく。
なにごとも囚われたらそれは停滞、あるいは死を意味する。

凝り固まったものではなく、生々発展する精神。
開祖のその精神を受け継いでいったからこそ、今日現代的な「合気」という形で、さらにいろいろな蕾が開花していったのだろう。

たとえば前に見た白川竜次さんなどのように、様々な武道に顔出しをしたりして今様にカスタマイズされているようではあるが、注意して見ていると、その精神は開祖植芝盛平翁のそれをしっかり受け継いで、しかも生きている。

いかに優れた武道であっても、一個の植芝盛平を生むのにとどまるのならば、それはほぼ無意味な世界だ。
しかし、植芝師の神域に達するのは難しいにせよ、
新たな植芝が続々と登場していく。
それも老若男女問わずである。
そこが合気道の素晴らしいところではないでしょうか?

〇合気道は、年毎に、ことごとく技が変わっていくのが本義である。合気道に形はない。形はなく、すべて魂の学びである。すべて形にとらわれてはいけない。それは微妙な働きができなくなるからである。



参考文献・引用

合気道開祖・植芝盛平伝『武の真人』(砂泊兼基すなとまりかねもと著=たま出版)
合気道開祖・植芝盛平遺訓『合気道の心を求めて』(砂泊諴秀すなとまりかんしゅう著=學燈社)
※いずれも古い本につき、古書でしか購入できないようです。



東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。