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市島は鯖が苦手【短編小説】

 久しぶりに大学時代の仲間が集まった。第三ビルの地下、せまい中華料理屋での小さな会合だった。いつかの晩に後輩から電話がかかってきて、いま近くに住んでいる。特に用事もないが、久しぶりに先輩たちの顔が見たい、とのことだったので、昔バイトをしていた時に連れてきてもらい、おいしかったという記憶のある店を予約した。注文を通し、生が四つ来た。中華料理屋はあまりにやかましくて、サークルの仲間たちと異質なのがよかった。
 だからといって面々はしゃべらないというわけではなくて、現況をぽつぽつと、懐かしさをそれなりに口にしていった。ひとりがあの同人誌の名をこぼすと、つられるようにして思い出を語った。全員が文学部で、語学を落としたりした。文学を読んだということは共通していたが、文学を好きかどうかは共通していなかった。三人は創作を書き、一人は批評を書き、一人はジャンル分けの難しい、小説とも随筆とも批評とも言い難いものを書いた。湯気のぼる点心を残らず口に運び、ビールも三杯目を過ぎたころに、やはり市島の名前が出た。
「そういえば市島は元気か。誰か連絡とってるか」
「あいつはつかまらないよ」
「とろうとしたんですが、よく考えたら電話もメアドもラインも知らなくて」
「そうだろうな」
「昔からそうだ。気づいたらいるし、気づいたらいない」
「今なにしてるんだ、仕事とか」
「出版関係とか」
「たしかに本はよく読んでたな」
 市島は、仲間うちで唯一、語学を落としたかどうか誰も知らない男だった。ほとんどの時間は本を読んでいた。だが、好きだからといって作家になるような感じもなかったので、出版関係の仕事についているだろうという読みは、存外当たっているのではないだろうか。でなければ古本屋の若店主といったところか。古本は共通の趣味のひとつだったが、そのなかでも市島の眼力と蒐集能力は群を抜いていた。サークルでは古書巡りによく行ったものだったが、市島のそれは古書巡りというより本攫いだった。買う本は海外の古典が多かったように思うが、こちらの興味の大半がそこに注がれていただけで、興味のない大半が眼からこぼれ落ちていただけかもしれない。
 詩もよく読んでいた。特にイタリア詩を好んでいて、ウンガレッティ、クワジーモド、モンターレ、カンパーナなど、須賀敦子から教えてもらったそれらを繰り返しめくっていたが、なぜかウンベルト・サバだけは手をつけていなかった。
 病的な市島の本好きは、けれども頑迷なヒューマニストを形作ったのではなかった。店棚から攫われてきた本たちは人格の陶冶などもたらさなかった。むしろ書物は空想とユーモアをもってして市島の輪郭を縁取り、そこに気体を吹き込んだ。固体でも液体でもない。見えないしつかめない。近くにくればただ匂いだけがする。一応音も立てる。市島はそんな人間だった。
 謎多き市島の謎のうちよく語られるうちの一つが、回転寿司の話だった。市島は仲間たちが何度誘っても回転寿司には行かなかった。それが面々にとっての謎だった。それは魚を好まないというのとは違うはずで、市島とは何度もジャンルを問わず食事に行ったが、サーモン・マリネも海鮮丼も焼鮭定食も食べていた。だが回転寿司となると入店さえ嫌がった。ある仲間はウンベルト・サバを引き合いに出して鯖が嫌いなんじゃないかという仮説を打ち立てた。
「たしかに、市島は鯖嫌いだったかもしれない」
「ウンベルト・サバを読まない。回転寿司に行かない。それだけでか」
「いや、見たことないんだよ」
「なにをです」
「市島がスーパーで魚売場にいるところを」
「おまえは市島のなんなんだ」
「スーパーの魚売場にはだいたい鯖があるだろう。だから近づかなかったんだ」
 思えば、缶詰売場でも見たことがない。同人誌の締切りが近づけば、誰かしらの部屋で同じ鍋を囲んだ。輪転が終われば、泊まりがけで製本作業をした。完成すればそのままつまみと酒を用意し祝った。料理は得意な者を中心としてみなで作ったし、買い出しも全員で行ったはずだ。それなのに市島は魚売場と缶詰売場を避けていた。印象的なのは、ある日定食屋で鯖定食を注文したときの、虚を突かれたようにこちらを見る市島の顔だ。それからその定食屋に行くことはなかった。
 もうひとつの謎は市島がふと、俺、天狗だったことがある、と漏らしたことだ。
 飄々としていて、傲岸不遜、傲慢、高飛車とは縁遠そうな市島にもそんな時代があったのかと、みなみな意外に思いもしたのだが、これは市島の本音であったのではないかと論じる向きもあらわれて、謎は大いに深まった。
「どういうつもりだったんでしょうね」
「案外、本当に天狗だったのかもしれない。市島は鼻が高かったし、酒を飲むとすぐに赤くなった」
「市島のユーモアってのは少しばかりわかりにくかったな」
「山田稔、山田太一、山田風太郎をエッセイ御山家って言っていたこともあった。しかしあれはユーモアだったのかな」
「山は好きだったみたいだな」
「そこもなんだか天狗みたいですね」
 記憶の糸をたどってゆけば、サークルの合宿で月山に登ったとき、ふるさとをほとんど忘れた犬のような顔をしていたのを思い出す。その、微かに寂しさをたたえながらもどこか間の抜けた表情の記憶に、隠れていた市島の姿を今更ながら垣間見たような気がした。思えば天狗発言をしたのはその時だったはずである。後日送られてきた天狗山の絵葉書に全員がくすりと笑った。
「書いたものもおかしかったな。ジャンルがわからなくて」
「エッセイのようだけど本当かどうかわからないしおかしみもある。けれどもたまに真面目な語り口にもなるし」
「それこそ市島みたいだった」
 ずっと回っていたターンテーブルが止まり、一同静まる。それから「市島」という声がぽつりともれた。
 だが、市島がここに姿を見せることはないだろうと誰もがわかっていた。本の匂いのような市島という存在は、油とにんにくの臭い、鉄鍋の騒音にはそぐわない。
 どこへなら市島はやってくるだろうか。
「市島ってなんで文芸サークルに入ったんだろうな」
「本が好きだからじゃないのか」
「それなら別に同人誌作らなくても、書かなくてもいいじゃないか」
「それもそうだが」
「ただただ読むのが好きだったからだろう。何号も出したしな。きっとそのついでに書いてたんだよ」
「あれだけ本を読んでた市島がいっちゃなんだが素人のものを読みたがるかな」
「天狗の飛び損ないだったんじゃないか。なんかの間違いだったんだろう」
「そんなことはないと思いますけど」
 後輩が苦笑しながら言った。
「市島さんにとって同人誌に費やした時間ってなんだったんでしょうね」
「それは」
 再び沈黙が降りる。折よくデザートが運ばれてきた。
市島にとって、同人誌に費やした時間とは何だったのだろう。
そんなものは知りようがない。わかるわけがない。
 それでも市島を思い出してみる。市島が書いたものを思い出してみる。はったり、ユーモア、自由自在、ウソでもあるし本当でもあるようなもの。
 それはただのインクの染みであるし、無機質な羅列であるし、こういう言い方それ自体もすでに古い。しかし、そこにかすかに、市島の、そういう匂いを、そういう匂いだけを、本の匂いを嗅ぎとるのだ。ただのインクの染み、文字の羅列、引用の織物だけれども、そこには市島の署名が付されていて、その署名で束ねられたものと、ひとりひとりが作り出す像が、卓を囲んだ四人に深い影響を与えていたのは間違いのないことであるはずなのだ。
 それを確かめるために、誰かが言う。
「もう一度、やってみるのはどうだろう」
 中華店を出て一年後、かつての仲間は同人誌の即売会の会場に集まり、かつて休刊となった同人誌を再刊する。
 このてんで愚にもつかない文章はその即売会のために四人で書き下ろしたものである。
 

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