綺麗ごとなんて聞き飽きた
皆さんこんにちは。豆乳です。
本日は大学の講義内で、自分の作成したnoteのマガジンについて、受講生全員がそれぞれ一人ずつ発表をしました。「好きなものについて」をまとめたマガジンは、一人一人異なっており、多種多様で聞いていて非常に面白かったです。
次に、受講生の共通課題として出題された「文章の書き方を参考にしている人」をまとめたマガジンの発表についてです。私個人としては、この発表にすごく違和感を感じていました。なぜなら、受講生の大半が「綺麗な文章の書き方」に対して言及していたからです。私は、「綺麗な文章」とはイコール「読みやすい文章」でもなければ、「参考にすべき文章」でもないと感じていたからです。
実は、私はこの講義を受講した後、もう一つ別の「文章の書き方について研究する」講義を選択しております。そちらの講義では、より詳しくかつ、日常生活から大学の課題、さらには就活時に作成する書類の文章など、様々な機会における文章の書き方について、考察し実践する講義となっています。(反対に、このような不特定多数の人に見られることを想定とした、ネット記事などの文章の書き方は学んでいませんが…笑)
その講義で、本日学んだことがあります。
文章とは、自分以外の他人に見てもらうものであるため、他人に読みやすい文章を書かなくてはならない。しかし、その文章の中に「自己」を消失させてはいけない。あなただけにしか書けない文章を、他人が読んでも理解できるような形式で文章を書かなくてはならない。そのため、文章の最初で読者の心臓を鷲掴みにするような、インパクトのあるユーモアな文章を考えるべきである。そのためには以下のような点において、特に注意を払う必要がある。
タイトルから周りと差をつける
読者に興味を持ってもらえるような面白い文章をあえて冒頭から書いてしまう
安易にマジックワードは多用しない
これらのことが、文章を書く上で、私は一番大切なのではないかと感じました。最初に「面白い!」と思ってもらえるような、興味をそそられるような内容を記していないと、確かに読者からすると「はーまた同じような、ありきたりな文章か。もう読み飽きたんだよなぁー」と後回しにされてしまいます。さらには、後回しにされたことを忘れられ、その文章は誰の目にも触れられない場所に捨てられてしまう可能性もあります。非常にもったいないなと感じます。
もちろん、「段落分け」や「文末の形式を揃える」など、文章を書く上で大切なことだと思います。
でもそれって基礎の基礎でしょ?
小学生ですら気を付けているべきことでしょ?
それを大学生になった私たちが、今改めて気にかける必要性って何??
率直に言うと、このような感想…というか、違和感が生まれました。
では、なぜ大学生の私たちが「段落分けをすること」や、「文章の形式を揃えること」が大切なのだと囚われてしまったのか。私は、義務教育に問題があると感じました。義務教育を通し、正しい文章の書き方はこうだ!と黒板に記された通りの書き方を、私たちは無意識のうちにしているのだと思います。だから、当たり前のことを忘れてしまっていると思いました。
文章とは、その人にしか書けない己の個性を表現する手段であり、それらは読んでもらえることで初めて呼吸をする。
そのため、形式ばった考え方は綺麗ごとに過ぎません。潔く捨てるべきだと、私は強く感じました。
逸脱したっていいじゃない。個性が溢れたっていいじゃない。国(の施す義務教育)なんてあてにしちゃだめ。
真面目な文章より、ちょっとやりすぎてるくらいの文章の方が、読む側としても、書く側としても楽しく感じます。
というような、自分語り(という名の横入り失礼芸人)の戯言でした。
以上です!!