見出し画像

漫画学とドラマ理論第2回

『企画の立て方』
 論理型と直感型があると思っています。前回も言いましたが、絶対的な方法論なんてないのです。数学じゃあるまいし公式というのはできないのです。流派の一つだと思ってください。
① 「論理型」
 具体例から話します。『ブレイクショット』という漫画を作りました。80年代の終わりごろ何故かプールバーという店が突然流行りだしました。酒場と言えば酒場なのですが、何故か店のど真ん中にたくさんビリヤード台がある。ビリヤード台がプールみたいだからプールバーなのです。
 漫画を作る前に、新聞を見ていたらプールバーを最初に作った人のインタヴュー記事が載っていました。女性の社長さんだったのです。どんな内容だったのか忘れましたが、興味深いことを言っていたのは覚えています。この人がプールバーを流行らせたのは間違いない。
 そこで渋谷の1号店を見に行きました。まず驚いたのは地下なのです。入ってみると内装が恰好いい。どこかで見たような雰囲気です。完全にアメリカンです。当時ヒットした「ハスラー2」を思い出しました。私は酒が飲めないのですが、みんなビリヤードをやって一息つくとスタンドバー風のカウンターで酒などを飲んでいます。上を見るとパイプなどがむき出しです。それがかえって個性を出しています。明らかに普通のバーと違う。
 その後連絡を取って社長さんに会ってみました。話してみるとどんどん出店計画が進んでいます。なぜ地下なのかを最初に訊きました。今はわかりませんが、当時ビルの地下というのは賃貸料が安いのです。使い道がないということで倉庫になっていることが多かった。バーなど飲食店をやっても成功はあまりしなかった。
 そこに眼をつけて、ただのバーだったらダメだからビリヤード台を置いたバーを作ることにしたという話でした。単なるバーに付加価値をつけたわけです。ビリヤードで遊んで酒を飲む。または酒を少しひっかけてビリヤードで遊ぶということです。
 日本人はそんなにビリヤードのルールややり方は知らないわけです。そこでこの社長さんはビリヤードのプロを雇っていました。これがすごい。そのプロにも紹介してもらいましたが、お客さんに確かに教えている。
ここでビリヤード漫画をやることに踏み切ります。このブームはしばらく続くと思ったからです。懸念していたビリヤードのテクニックは、この会社が協力してくれてプロが教えてくれることになりました。
 私はビリヤードに興味はそれほどないのです。あくまで売れる企画として考えたのです。ストーリーは気をてらうことはないと思ったのでオーソドックススポーツ漫画の作り方でいいと判断しました。

 思考は以下の通りです。

 ビリヤードのブームはしばらく続く→それならそれに乗っかろう→ストーリーは普通でいい→ある程度は人気が出るだ



かなりビジネスライクな考え方です。おそらくビリヤードが流行っているからやりたいと思う人が増えてもルールやテクニックがわからない。だから漫画の中でそれとなくルールやテクニックを教えてやれば、さらにウケるだろうという計算はあります。ゴルフをやっている人の中には漫画「あした天気になあれ」(ちばてつや著)でルールなどを覚えて人が多いのです。
 ここから具体的に作品作りになります。誰に書かせるか。当時は本当は週刊少年マガジンには漫画家はいました。しかし私たち数人は進駐軍といわれて、もとからマガジンにいた人は協力しない。そこで仕方なく月刊少年マガジンの前川たけし君のところに言って、
「あんた、野球部だったよな」
「はい、やってました」
「それならビリヤードできるよ」
「はあ?」
 こんなやり取りがあって、毎週1回はその協力してくれるプールバーでプロに習いました。プロからキューの使い方から技、そして戦術まで教わりました。プロは常時ビリヤードと同じ形をした紙を持っています。この紙はビリヤード台の縮尺版です。それを見ながら、こういう場合はどこに手玉を打つべきなのかいつも考えているのです。まるでチェスや将棋です。これには驚きました。それを一枚もらってきて大量にコピーして半分は前川君に渡しました。
 それから取材です。結構アマチュアでも大会がありみんな真剣でした。後は設定を考えて、それでほぼ完成です。
 予想通り「ブレイクショット」はヒットしました。当時で平均40万部ぐらい行ったと思います。このプールバーブームは3年ぐらいで過ぎました。しかしビリヤードというのは不思議な競技で5,6年に1度ぐらいでミニブームが起こるのです。その度にこの漫画が売れるのです。実はまだ売れています。

② 「直感型」
 これは本当に説明できません。「閃き」としか言いようがない。小学館の天才、亀井さんという人がいました。後に小学館の常務になる人です。この人は「がんばれ元気」(小山ゆう著)だとか「みゆき」(あだち充著)などを作ったヒットメーカーです。ある時「どうやったらヒット作って浮かぶんですか」と訊いたことがあります。すると「ずっと考えていれば浮かぶよ」というのです。何だか禅問答でしょう。数学の問題ができないと言ったら、ずっと考えていれば浮かぶよと言われているような気がしました。
  数年後池袋の名画座で「がんばれベアーズ」という子供たちの野球映画を観ました。


妙に感動して涙が出ました。出口から数歩歩いた瞬間、頭の中でスパークしました。フラッシュバックのように色々な場面が浮かぶのです。感動的なシーンが続々と出てくる。
  会社に戻った時には第1話ができていました。それが「名門!第三野球部」という漫画です。


 なぜ浮かんだのか未だにわからないのです。ただ当時漫画で泣く人はあまり聞いたことないなあと思っていました。漫画は映像と小説の中間に位置します。映画を観て泣く人はいます。また感受性が強い人は小説を読んでいて泣く人もいます。泣かせる漫画ってできないのか、とは思っていました。
   また当時は「ドカベン」の全盛期だったのですが、私は少し疑問に思っていました。甲子園、高校野球を肯定的に描いています。「ドカベン」は面白いことは否定しません。しかしその陰で泣いている高校生がたくさんいるわけです。無理に投げさせられて肩を壊してお払い箱になった投手もいる。甲子園に出た選手の体力、運動能力は賞賛すべきでしょう。しかし高校野球だって文部省が関わっているのだから、教育目的じゃないとおかしい。だいたい、自分の息子か孫みたい高校生を怒鳴りつけていい気分の監督は好きになれないのです。いい大人でしょ。
   とにかくあらかじめ「泣かせ」を前提とした野球漫画が誕生しました。だいたいこのような思考をしてできました。「閃き」です。「ずっと考えていると浮かぶ」漫画の事例です。

③ 「企画立案は漫画家や原作者も当然やるべきことです」
 というか企画立案は本来漫画家や原作者がやるべきことです。外国では今もそうです。編集者はいいか悪いか言っていれば外国ではいいのです。
最近クリエーターとかいう謎の言葉が流行っていますが、何をクリエートしたんだよといいたくなるのです。またコンテンツなんていう変な言葉も巷で騒がれていますがこれが理解できない。コンテンツって直訳すると「中身」でしょ。中身もないやつが中身を作れるわけがない。
 ①や②の作業というのは地味で、しかも頭がずきずきするのです。漫画家は勘違いしている。漫画は手で描くものじゃないのです。頭で描くものなのです。
   
④「巨匠たちの圧倒的知性と知識量」
 本来編集者がここまで企画を作らなくてもよかった。だから1970年代まではほとんど原稿運びをやっていればよかったのです。なぜか。漫画家のほうが、圧倒的に頭がいいのです。圧倒的な知性です。知性があるから、これまた圧倒的な知識量です。例えば「ちばてつやさん」や、先日亡くなった「さいとうたかを」さんたちの年代の漫画家は信じられないほどの知識がある。読書量が半端じゃない。映画もありとあらゆるジャンルを観ています。漫画で「おあり」で描くとか、鳥瞰で描くとか、はたまたアップにする、引いてロング描くという表現をしますが、これらは元々映画用語です。絵コンテというのも映画用語から来ています。
  それだけではありません。芝居も観れば、音楽も相当聴いている。「ゴルゴ13」は国民的な漫画になりましたが、あれをすべて理解しようとすると政治学、経済、金融それに軍事の知識ないと本当はわからない。政治学者の友人に訊いたら、政治学者の中には「ゴルゴ13」を結構読んでいるそうです。なぜなら政治学者も知らない政治のことが書かれていてビックリするからです。
  さいとうたかをさんは専門ライターを雇ってネタを集めます。それを批判する人はいますが、それら専門知識を読解できるのが凄いでしょう。ちなみに斎藤さんの最終学歴は中卒です。ある時NHKだったと思いますが「竜馬暗殺の真犯人は誰か」というテーマで知識人が議論する番組がありました。坂本龍馬はスーパースターですから、この手の番組は年に1度はあります。実行犯の一人今井信郎が言っているように京都見回り組です。では、そう仕向けた張本人、正犯は誰かというのがテーマです。さいとうさんの指摘が一番説得力があったのです。「大久保利通」だというのです。
 それが正しいかどうかを置いといて、龍馬暗殺時の記録が薩摩屋敷にあったというのです。私はこれが気になった。当時の筆文字の崩し字なんて普通読めない。「なんでも鑑定団」に掛け軸が出てきますが出品者も書いてあることがわからないことが多い。どうして読めるのだろうと質問したくて仕方がなかった。たまたま講談社のパーティでお会いして、その訊いてみました。
「ああ、学者に教えてもらったんだよ」とおっしゃる。驚きました。日本史専攻だって本格的に崩し文字を習うのは大学院あたりです。もっと驚いたのは京都の複数の寺に何か新しい文書が出たら教えてくれと言ってあるというのです。この探求力は敬服に値するでしょう。最終的にわかったら作品にしたかったのだと思います。当然です。作家というものはそういうものです。
ちばてつやさんの最後の担当は私です。それまで巨匠は担当したことはありません。結論から言うと、すごく楽しかった。ちばさんと打ち合わせしていると、ゲーテだのトルストイだの、小説家の名前がボンボン出てくる。それもほとんどの作品を読んでいます。映画もいろんなジャンルの話が出てくる。こちらが追い付かない。
 ある個所のアイディアが足りないとなると「石井君、どうしたらいいと思う?」と私に訊く。私が「こうしらたらいいじゃないですか」するとちばさんが「じゃあ、こうしらもっとよくならないかなあ」という感じです。まるで知的ピンポンをやっているようで楽しいのです。そいうやりとの中で小説や映画のエピソードが出てくるのです。
「先生、なんでそんなに知っているんですか」と訊いたら、
「ああ、みんな読んでたよ」と言うのです。
「赤塚はもっと読んでいたし、もっといろんなこと知っていたよ」と平然と答えるのです。どうも赤塚さんは文学作品だけでなく社会科学系の本も読んでいたと思います。前回言いましたように漫画制作に「ブレイン・ストーミング」なんて取り入れたくらいですから。
 当然企画能力は漫画家や作家のほうが上だったのです。


⑤「編集者が漫画家をサポートせざるを得ない状況が生まれた」
 真っ先にこれを始めたのがジャンプです。ジャンプはマガジン、サンデーより後発です。よって絵の上手い人は来ない。そこで話の面白さで勝負してきました。だから原作までできる編集者が生まれたのです。新人漫画家たちの知識は、前述した巨匠たちに及ばないのです。だったら編集者が勉強して指導すればいいという考え方です。この態度は正しかった。その後のジャンプの成功を見れば明らかです。ただしここ20年ぐらいはおかしい。
 マガジンは、巨匠や、すでに出来上がっている漫画家に頼りすぎていたのです。それに気づき始めたのが80年代に入ってからです。それまでは企画も今から見るといいかげんで抽象的です。オジサンたちに若い頃訊いたら「野球漫画がいいなあ」とか「ボクシングが人気だからボクシング漫画がいいんじゃないの」というレベルです。そんないいかげんなこと言ったら我々は上司に「朝まで生説教」という拷問にあっていたでしょう。少なくとも怒鳴られていた。現在はどうなっているのか正確にはわかりませんが。どうも40年前に戻っている人もいるようです。先祖返りですねえ。
 とにかく漫画家にお任せの時代じゃないのです。編集者が脚本家、演出家になる時代なのです。よって企画もかなり具体的に提案しなくては「モノ」ができない時代です。もちろん漫画家にもよります。すでに自分の世界観があって作れる漫画家には余計なことを言ってはかえって邪魔です。具体的に言うと「オフサイド」というサッカー漫画があります。作者の塀内さんに言ったのは「あなたの描く男にはすね毛が生えていない」だけです。この人は120%の力を出しているのがわかったら基本余計なことは言ってはいけないと思います。
 企画は「考えて、考えて、そして考え抜く」しかないと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?