「いまの自分のままでも居心地のいい場所」を探しつづける
先日、「どこにも居場所がない」という感覚について書いた。
この内容を一言でいうと、「自分の居場所は自分だけ」って考えると、「どこにでもゆるっと居場所をつくれる」ということ。
そのあと読んだ『待っていても、はじまらない』という本のなかに、このことばが出てきた。
「僕がやっていることは、いまの自分のままでも居心地のいい場所を探すこと、それでもいいって言ってくれる人と付き合うことです。」(p.150)
社会学者の古市憲寿さんのことばである。
「いまの自分でも居心地のいい場所」ってなんだろう??と考える。
中高時代とか、特に自分のことを褒めもしないけど、否定もしない人たちと"ゆるっと"いた。「この人たちと私は何かが違う」(主に家庭環境)と思っていた。
留学時代も、デンマーク人の学生とも仲が良かったけれど、「この人たちと私は何かが違う」(ここでの友好関係の持続性とか、ビザとか置かれた立場)と思っていた。と同時に、それが心地よかった。「もうこの人たちとはこの先、一生出くわすことはないかもしれない」という刹那な想いを心の片隅に置きながら、今だけを見て、同じ時を過ごしていた。
これらがいつの間にか、「誰かと違うこと」が、居心地がいいと感じるものの一要素になっていた。「尖っていたい」「人と違っていたい」ってキモチがある。(多分、ストレングスファインダーの「自我」のあらわれ。笑)
古市さんは、この言葉も言っていた。
「自分の居場所を増やしておく」
昨日、おとといの福岡へ取材にいった。そこでは、朝渋という朝活コニュニティの企画でインプットしたことを、勤め先が運営するシェアオフィスでアウトプットしていた。
公私混同、Work as Lifeだなぁと思いつつ、それがまさに「自分の居場所を増やしておく」ということだなぁと思った。本のことばが、自分の心にストンと落ちてきた瞬間だった。
これからも、「いまの自分のままでも居心地のいい場所」、「ゆるっといられる場所」を探していこう。「いまの自分」は常に変化するから、その「自分」の声にも耳を傾けつつ。