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中学卒業しました。【不登校歴2年の長女】

終わりました。

苦しかった中学生活が終わりました。

一番苦しかったのは、もちろん娘本人だけどね。

2年に渡る不登校を経て、中学生活最後の2週間は、ほぼ毎日登校しました。

卒業式の練習も何度か参加して、当日は、みんなと体育館で卒業式に参加しました。

私立から公立へ転校して、転校したことを知らなかった保護者もいたでしょう。
あれ、あの子、私立行ったはずでは?って思った生徒もいたでしょう。
出席番号は最後の転校生。当然、目立つだろうし。
ずっと家に引きこもっていて、大勢の人前に立つなんて、負担だし。
できれば、休んだ方がはるかに楽。
でも、行った。

多分、ケジメだったのかも。

私自身も卒業式にまさか出席するなんて思ってなくて。

私自身も、ほんとは、行きたくなかった。どんな風に思われるんだろうって。
小学校卒業の時に、合格おめでとう!と言われてたくさん祝福されたのに。
何かあったんだろうね、と勘繰られるんだろうな、とか。

でも、娘が人前に出て、卒業証書もらうって覚悟決めたのに、私も逃げない、と思い、しっかり、最後まで見届けました。

入場しただけで、涙が止まらなかった。

みんなと歩いてる。制服きて、歩いてる。

座ってる。みんなとちゃんと座ってる。

みんなと合わせて立ったり座ったり、お辞儀したり、練習通りにやってる。。

卒業証書の授与も、ちゃんと、みんなの前で決められた通り、マスク外してた。

返事も小さいけど聞こえた。

ちゃんと両手で証書もらって、自分の席まで歩いて座った。。

小学校の卒業式はそんなのできて当たり前だよ、と思いながら見ていたけれど、

今回は、その一つ一つが、奇跡が起きてるんだ、と思い、終始涙が止まりませんでした。

でも、途中の卒業生の言葉、、胸が痛かった。
振り返るんですよね。3年間の出来事と共に。。
それを聞いていると、、
「入学したのは、この校門ではないんだよな。」
「死にたい、死にたい、ってずっと言った時期だよな。。」
「あの頃、入院してて、、コロナで大変とか言ってる場合じゃなかったな。」
「そんな行事しらないよな〜」
「うちの子が落ちてる間も、みんな毎日進んでいたんだな・・・」
代表の子がしゃべるから、さらに眩しすぎました。「ザ・良い子」って感じで。

うちは、ただの転校生ではなく、いわば「訳あり転校生」
余計に複雑で、娘はこれをどんな思いで聞いているのかと思うと、胸が痛かった。

式が終わって、私は家についても、なかなか帰ってきませんでした。
娘は友達と写真を撮ったり、おしゃべりしたり、午前中に式は終わったのに、帰ってきたのは14時過ぎていました。

小学校時代の友達、転校してできた新しい友達。
本当に、感謝してもしても足りないくらいです。

中学生活の9割は、恐らく「黒歴史」になるのかもしれないけど。
最後の2週間だけでも、楽しい思い出が刻まれたこと、本当によかった。
大変な経験をしたから、それを乗り越えてきたからこそ、今がある、って少しでも思えているといいな〜と願います。

ま、とはいえ、まだまだ娘の闇は深いと思います。。いろいろあります。。
でもね、それでもいいのです。
人間、人には言えぬ闇は持っているものです。

それでもね。少しづつ、変わってきているのも知っているから。
美容院も自分で予約取って、自分で行くようになったし。
塾への送迎も頼まれなくなったし。
高校の書類も、自分で書いたし。
高校の面談も、ちゃんと自分で答えられていたし。

心の底から、卒業おめでとう。

胸につけていた花。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。




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