300.酸っぱい葡萄
やはり、僕は旅が好きだ。
何と言っても非日常を味わうことができる。
また、そこで生活する人々の顔を見ると、僕にとっての非日常は、彼らの日常なのだと感じる。
そのことが、僕は物語の主人公であり、登場人物のひとりなのだと気づかせてくれるのだ。
元号が改まろうとする頃、僕と妻は京都、大阪を旅していた。
ライトアップされた寺での展覧会を観に行った帰り、参鶏湯が名物の韓国料理店のカウンターに座った。
ひとまず僕が頼むのは、ハイボールとポテトサラダだ。
「明日から雨の予報だよ。明日こそ、僕が行きたいところだったのに。」
「やっぱり雨男ね。」
晴れ女の妻が言う。
「まあ、雨の日は憂鬱だなんて思いこみか。」
「思い込みを捨てれば、世界の見え方も変わると言うわね。人生と同じ。」
「転職して1か月が経ったんだなあ。」
「五月病になっていないかしら。」
「まさか。今の仕事は本当に気に入っている。給料は下がったけど。」
「とてもね。」
「でも、ばりばり仕事をこなして、どんどん出世して。たくさんの部下から尊敬されて、高い給料をもらって。」
「美味しいものを食べて、良い服を着て。」
「そんなの誰もが一度は憧れるけどさ。本当は、自分がどんな人生を求めているか、徐々に分かってくるものだよね。」
「あなたの場合は違ったの。」
僕が求めるのは、そういった人生ではなかった。
好きなことを仕事にしつつも、ほどほどがいい。
家族と過ごす時間や、自分の興味に費やす時間を大切にしたい。
超人のような生活は、誰もが続けていけるものではない。
「結局、みんなごく普通の人間。赤ん坊の頃は、自分が王様だったよね。泣いたり、笑ったりすれば、周りの大人たちは自分のために動いてくれる。」
「いつまでも王様のままではいられないわね。自分は王様じゃないんだって、いつかは受け入れないと。」
「結構、勇気が要ることだと思うよ。自分は主人公じゃないのかも知れないと受け入れることは。だから、どうせあのお金持ちは悪いことをしているに決まっているとか、どうせあの有名人は運が良かっただけとか、そんなことを言ってしまうんだよ。」
「自分を慰めるための負け惜しみは、人間らしいわ。」
「でも、そんなことばかり言っている人と、友だちになりたいかい。」
「負け惜しみを言いたくなる気持ちはよく分かるけど、本来、理想の自分と比較するものであって、他人と比較するものではないわね。」
我々は競争しているのではない。
旅しているのだ。
旅をするように生きれば良い。
今いる場所よりも前進しようとすることが尊いのであり、そもそも、目的地も交通手段も人それぞれだ。
計画や目標なんかなくても構わない。
過去も未来もさておいて、今、この瞬間を楽しむ。
旅って、そういうものでしょう。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 「人生が一日一日の積み重ねだとしたら、それが琥珀のように美しいものでありますように。」