287.面白い方の未来
早朝に発生した変電所のケーブル火災とそれに伴う停電の影響で、通勤電車の運休が相次いでいた。
僕が使う電車は遅延があるだけで、会社まではたどり着けそうだったが、乗り換え駅は通勤客でごった返し、蜂の巣をつついたような混乱だった。
ぶつからないように注意しながら人を掻き分け、改札の先の角を曲がった時、すれ違う行列の中に、僕はよく知る顔を見つけた。
以前、同じ会社で働いていた彼だ。
入社の時期は少しずれていたけれど、仕事で一緒になることがあり、同い年の彼と意気投合した。
夏の盛りのキャニオニング、飲み明かしたオクトーバーフェスト、極寒のスノーシュー、それからベトナム旅行。
友情を深めた僕たちはふたりとも、今では、その会社を離れている。
僕も彼も結婚したし、彼のところには子どももいたので、以前のように、週に何日も飲み歩くなんてことはしばらくできそうにない。
今日は振替輸送で、いつもと違う動きをしていたのだろう。
一瞬、すれ違っただけだったが、高そうなスーツを着ていた。
頑張っているらしいな。
僕はいつもと同じホームで、遅れてやって来た電車に乗り込む。
普段から満員電車だが、やはり今朝はいつにも増して人が多い。
僕の鞄の中で、弁当箱がひしゃげているのが分かる。
どうにか確保した吊り革につかまり、乗客の頭の間から向こうの空を見上げ、ぽんやりと彼のことを思い出していた。
柔道選手のように大きな体で、漫画の登場人物のように、がははと豪快に笑う彼のことを。
当時、会社の仲間たちと桜を見に遠出したことがある。
河津川沿いの河津桜はすでに葉桜になっていたが、標高が高いせいか、伊豆高原では満開の河津桜を拝むことができた。
昼食に海鮮丼を食べている時のことだ。
「この魚は何だろう、ハマチか。」
「うーん、カンパチ。」
「まあ、美味しければ何でもいいか。」
「がはは。お前のそういうところ、俺は好きだよ。」
彼は照れもせずに、そんな台詞を吐ける奴なのだ。
それから温泉に浸かり、小田原まで戻った僕たちは、居酒屋で金目鯛鍋をつつきながら、蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを何杯も飲む。
「もう一軒、行くか。」
「ここは小田原だぞ。もう帰ろうよ。」
「構うもんかよ。」
結局、彼について行ったのは僕ひとりだ。
僕も彼も酒にはめっぽう強い家系で、朝から遊んでいても平気なくらい体も丈夫だった。
最後の店では、互いに仕事のことを語り合ったような気がするが、今となっては思い出せることも少ない。
「面白い未来の方がいいだろう。お前もちょっと手伝えよ。」
「いや、アイデアなんてひとつもない。地道な努力を続けるだけだよ。」
何のことだったか、彼が言ったそんな言葉がふとよみがえる。
一緒に働いた時もそうだし、あの時もそうだし、彼には仕事のことでよく叱られた。
黙って居なくならずに、叱ってくれてありがとう。
さっき、声を掛けることはできなかったけれど、友情が薄れている気配は感じられなかった。
君も、僕も、自由に人生を楽しもうね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 「人生が一日一日の積み重ねだとしたら、それが琥珀のように美しいものでありますように。」