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291.良好な人間関係

妻が産休に入ってからというもの、有難いことに、僕の帰宅時間に合わせてタ飯を作ってくれている。

今日は節分。

明日は立春。

帰ってきた僕が食卓を覗くと、平たい皿に黒々と、大きな巻き寿司が乗っている。

妻が生ものは避けているので、蒸した海老とアボカドの巻き寿司だ。

流行りに乗ってかぶりつき、最初のひとロぐらいは黙って食べる。

「うん、旨い。」

「そうそう、友だちの子だけど。今日、退院できたんだって。」

「良かったね。駅前の病院に入院していた子でしょう。4歳の子がひとりで入院なんて、可哀そうだったね。」

「ずっと熱が引かなかったのよね。あそこの病院でできることはなくなって、大学病院へ転院していたのよ。」

「そうだったんだ。長引いたんだね。」

「どうして家に帰れないのって何度も聞かれたって。病院のごはんを平らげては、ほら、もう元気だよって言うんだって。」

「健気だねえ。」

「面会時間の終わりにはいつも大泣き。もちろん一緒に泊まることはできないでしょう。次の日に行くと、ベッドの上で小さくなって座っているんだって。ほっぺたを膨らませて、ママなんて大嫌いって。」

「可哀そうだったなあ。大嫌いは、大好きの裏返しなんだよな。」

その後も、今日起こったことの話が続く。

妊婦向けの整体院に行き、すべき運動や避けるべき姿勢について教えてもらったこと。

友だちが言っていたような劇的な効果はなかったものの、体が軽くなったように感じたこと。

お義父さんが車で送ってくれたのはいいが、駐車した場所を忘れて散々歩かされたこと。

「ふうん、そうなんだ。」

一方の僕は、妻の話に対して、あまり受け答えをする気が起きない。

妻の口からはお義父さんに対する不満が語られていたが、僕は頭の中で、どうして受け答えをする気が起きないのかを考えていた。

ひとつ考えられるのは、木曜日ともなると僕には疲れが蓄積して、受け答えが億劫になっていることだ。

これまでは、平日はふたりとも働いて、木曜日くらいになると同じように疲れていた。

なるほど。

ここにずれが生じているのかも知れない。

妻は、平日は同僚とともに会社で働き、帰ってくれば僕と会話をしながら料理を作ってくれて、休日には趣味の習い事に出掛けていた。

僕も昼間は働き、家では妻と会話をしながら皿を洗い、眠るまでは本の世界に入り込んでいた。

互いに、相手に求めることが様々な場所に分散していた。

「立体駐車場でぐるぐる回されて何階にいるか分からないよ、とか言っちゃって。おかげでお腹が張っちゃったわ。」

僕たちがどうして苛立つのかというと、相手が、自分の求めるものを満たしてくれないから。

相手に求めるものが多いほど、満たされないことが増える。

求めるものが少なければ、満たされることが増える。

僕たちは色々な人に依存し、依存されながら暮らしているはずだが、ひとつの場所やひとりの人に依存していると、不満や苛立ちが増殖してしまうようだ。

良好な人間関係を築くのも、綻びを生んでしまうのも、自分次第。

依存はほどほどにして、外に関わりを求めていこう。

「まあまあ。食べ終わったら豆まきをしようよ。そう言えば、僕の地元の節分はさ。」

いつもお読みいただき、ありがとうございます。 「人生が一日一日の積み重ねだとしたら、それが琥珀のように美しいものでありますように。」