290.百年生きる
「父さんも働き盛りの頃は帰りが遅かったからね。母さんが仕事から帰ってきて、僕たちにご飯を作って。大変だったと思うよ。」
「あなたたちが学校や幼稚園から帰ってきたら。」
「下の階に住んでいたばあちゃんが面倒を見てくれたよ。」
「チームプレーね。」
風呂のお湯が沸くのを待つ間、妻はソファで横になり、僕は隣で床に座っている。
「一度だけね。幼稚園バスを降りたら、迎えに来ているはずのばあちゃんがいないことがあったんだよ。道端でひとりぼっちになってしまったんだ。」
「幼稚園の先生も、よく子どもをひとりで降ろしたわね。それで、どうしたの。」
「家までの途中に、ひいおばあちゃんの家があるのを知っていたから。そこに行ったら、とにかく上がりなさいっていうことで。あれは誰なのかなあ、そこのお兄さんが遊び相手になってくれたんだ。」
「優しいわね。」
「子どもの僕にとっては一大事で。目の前が真っ暗で、どうすればいいか分からなかった。でも、そうやって助けてもらえて、頑張ろうと思えたよ。元気を取り戻すことができた。」
「おばあちゃんは迎えに来てくれたの。」
「うん、その後すぐに。ばあちゃんも慌てただろうなあ。」
その時、妻のお腹に乗せていた手が、突然下から突き上げられるようにして動いた。
「うわ、動いた。」
「動いたでしょう。」
「こんなに力強く動くの。」
「最近は動くわよ。偉いわね。」
手を置いたまま僕は話しかけた。
「なあ、君は百年生きるぞ。」
事故に遭ったり病気になったりしなければ、この子の世代はまず間違いなく、百歳を超えて生きるだろう。
いつだってそうだが、環境が変化するスピードは益々速くなっていく。
もはや教育を受け、職に就き、悠々自適の老後を迎える、といった単純な図式ではない。
僕たちだってそうだが、子どもの頃に受けた教育だけでは、知識はいずれ枯渇し、技術は時代遅れになることを避けられない。
広く学べば少し先の未来を見ることができ、自分の頭で考えて行動すれば道が開ける。
「そろそろ真剣に名前を考えなくちゃ。」
「ゆい、なんてどうかな。」
「どういう意味があるの。」
「結という相互扶助の文化は日本各地にあって、みんなで労働力を補い合ったんだ。私もあなたを手伝うから、私が困った時にはあなたも手伝ってねという風に。」
「厳しい環境での生存戦略ね。」
「自分のことは全部自分でやれなんて、自己責任って効率が悪いよ。得意な人がいるなら、その人にお願いするのがいい。」
「相手を信用していないのかもね。私が手伝っても、あの人は手伝ってくれないんじゃないかって。」
「家族なら役割分担ができるのに、他の人とするのは苦手なのかも知れない。でも、これからの時代、ひとりで生きるのは難しいよ。力を合わせないと生きていけない。」
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 「人生が一日一日の積み重ねだとしたら、それが琥珀のように美しいものでありますように。」