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292.数字で表せない

僕は約束の時間通りに保育園に到着た。

事前の手はず通りに裏口から入り、真っ直ぐエレベーターに乗り込んだ。

今日は節分行事の日で、近所に住む僕は青鬼の役を任されている。

保育士の休憩室の扉をノックすると、赤鬼役の先生が出迎えてくれた。

今日の段取りについて打ち合わせをし、その後は、お茶や煎餅をいただきながら雑談をして過ごす。

「年末にはサンタクロースをやったんですよ。あの時は、自分がスーパースターになった気分でした。」

「今回は違うわよ。子どもたちから嫌われますから。」

子どもたちは保育園のホールで、節分の歌を唄ったり、紙芝居を見たりしていた。

行事の進行具合を見計らって、僕たちは協力して鬼の格好に着替える。

僕は青いつなぎを着て、青い足袋に、青い軍手を身につける。

それから虎の腰巻きを履き、ぼさぼさの髪の毛がついた能面のような鬼のお面をつけ、姿見で自分の姿を確認した。

「いやあ。子どもたち、これは本当に怖いでしょうね。」

「さあ、園庭に移動しましょうか。」

節分の日を明後日に控え、園庭で子どもたちが豆まきの練習をしていると、まさかまさか、本当に鬼が現れるという設定だ。

園庭の様子を見て、まずは赤鬼が飛び出した。

それに続いて、青鬼の僕が登場する。

新聞紙で作られた金棒を振り回して、できるだけ低い声で雄叫びを上げながら走り寄ると、子どもたちの顔から血の気が引いた。

本当に鬼が来た。

僕は眼鏡を外していたし、お面の視界が狭いからほとんど見えないのだが、子どもたちが怯えに怯え、我先にと逃げ惑っていることは分かる。

門まで追い詰められて団子になっている幼児たちと、テラスで先生に抱っこされている乳児たちのところを行き来し、子どもたちを恐怖の渦に飲み込んでいく。

子どもたちは必死の形相で、鬼は外、福は内と叫びながら豆をぶつけるが、我々鬼はまったく怯まない。

話が違うじゃないかと思っていることだろう。

それを五分ほど続けていただろうか。

子どもたちはとっくに豆を使い果たし、お祓いの呪文のように、鬼は外、福は内と口々に叫んでいる。

途中、赤鬼のアドリブで担任の先生をひとり連れ去った。

「みんな、助けて。」

先生が助けを求めても、子どもたちが誰ひとり助けに来ないのには、僕もお面の下で笑ってしまった。

先生が辛くも脱出したところで、CDラジカセから音楽が流れ、園長先生が扮する福の神が登場した。

福の神が投げる豆で、我々鬼は退散する。

逃げる途中にも、赤鬼はアドリブで給食室を襲おうとする。

みんな、大変だ、給食を守れ。

「ははは。はあ、お疲れ様でした。」

「ああ、可笑しかった。青鬼、上手でしたよ。」

走り回って疲れた僕たちは、休憩室の畳に座り込んだ。

「子どもたちの性格の違いが表れるでしょう。」

「友だちをかばう子がいましたよ。自分も怖いだろうに、勇気がありますね。」

「そう。あの子はリーダーシップがあるのよ。友だちからも頼りにされているわ。」

「友だちを守ろうとしていました。」

覚悟や思いやりといったものが、人間関係には反映されるのだなと僕は思った。

数字で表すことができない資質が、人を惹きつけることがある。

「さてと、最後にもうひと働き。子どもたちが教室に帰ってきたら、鬼たちが酒盛りをしているっていうサプライズなの。」

「ははは。もう勘弁してあげましょうよ。」

いつもお読みいただき、ありがとうございます。 「人生が一日一日の積み重ねだとしたら、それが琥珀のように美しいものでありますように。」