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おじいちゃんに憧れて、おこめづくりをしている。

僕がフドウサン屋なのに、田んぼに行きつづけている理由。

それは完全に血筋の影響を受けている。

僕の父方は不動産屋、母方は農家。

田んぼを続けているのは、死んじゃった農家のおじいちゃんの影響が大きい。

子どもの頃から好きだった、梨農家のおじいちゃんち

おじいちゃんは千葉の梨農家。

敷地に畑や蔵があり、母屋は古民家と呼んで差し支えない農家住宅で、今もおじさん家族が暮らしている。

最近、年下の従兄弟が跡を継いだことで、まだ家が残るんだな〜と勝手にホッとしている笑

子どもの頃から、おじいちゃんちが大好きで毎年夏休みに泊まりに行っていた。(ちなみに、いつもはおばあちゃんちと言ってる。)

夜になると、星がすごくキレイに見えたり、
(今は都市開発が進んであんまり見えなくなっちゃった。)

木にハチミツを塗ってカブトムシを取ったり、
(でも大体、蜜を塗ったところではなくて落ちている梨に集まっているところを発見する)

夜中にセミが孵化するところをじーっと見つめてたり、
(だけどセミは怖い)

年上の従兄弟と畑の裏を探検をしていて、自分の体の2倍もある巨大バッタを見て逃げた記憶がある。
(従兄弟も同じ記憶を持っている。俺だけの記憶ならまだしも、年上の従兄弟は弁護士なので俺より信頼あるから、絶対に見てる。)

ゲーム「ぼくのなつやすみ」のリアル版が、僕にはあった。

正月には、おじいちゃんが手作りで建てた小屋のカマドでモチ米を炊いて餅つきをし、おばあちゃんが裏から取ってきた八頭の煮っころがしと、きんぴらごぼうを食べるのが通例だった。桃太郎の導入部みたいな光景が当たり前にあって、かたちを変えながらも、正月の集まりは続いている。

おじいちゃんの家に行くと、身の回りにあるものだけで家族が仲良く暮らしていることが実感できて、とても幸せに思えた。

おじいちゃんのお葬式が教えてくれたこと

おじいちゃんとマンツーで話すようになったのは、大人になってから。胃ガンで入院して、お見舞いに行くようになってからだ。

その時、僕は新卒で不動産会社に勤めていた。火水が定休日だったから、なるべくそのどちらかに車で会いに行ったのを覚えている。

「やっと畑を任せられたから、これからやりたいことができる。病気なんかに負けてられない」

そう語ってくれていたおじいちゃんは、僕の誕生日の翌日に天国に行った。

おじいちゃんのお葬式には、とてもたくさんの人が参列してくれた。
そして参列してくれる方が、面識の無い孫の僕にも
「あんたのおじいさんにはお世話になった」と口々にお礼を言ってくれた。それが僕には衝撃だった。

「梨の接ぎ木が部落で一番うまかった。」とか「アオダイショウを素手で捕まえててビックリしたよね」とか思い出話もたくさんあったけど、何よりも「部落のお墓の話」が一番心に残っている。

部落の墓地になっていた土地はおじいちゃんが一番割合をもっていたらしく、自分たちのお墓も少し大きかったらしい。だけどおじいちゃんは

「人の生死に大小なんてねえだ」

と言って、自分の土地を削ってみんなに譲り、部落の人が平等にお墓を建てられるように調整したらしい。ほとんどの方がとても喜んでくれたそうなんだけど、一人だけ反対する人がいて、その人を説得するためにとても時間をかけたと聞いた。

ある日、反対している人がおじいちゃんの家に来て、墓地の話しを承諾してくれた。おじいちゃんは喜んで、家に招き入れてお酒をたくさん飲んだらしい。

そのすぐあとに、血を吐いて倒れてしまった。そこから胃を悪くして、最後は胃がんで亡くなった。

又聞きな部分もあるし、故人の話として美化されている部分もあると思う。でもそれを差し引いても、じいちゃんマジですげーという気持ちをずっと持っている。

お葬式で故人がどう語られるかに、人生が表れることを教えてもらった。

農家のようなフドウサン屋になりたい。

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身の回りにあるものだけで生きていける農家さんへのリスペクトは、子どもの頃から持っている。

それがおじいちゃんと2人で話したり、お葬式を通して、おじいちゃん自身へのリスペクトでもあると気付いた。

僕は尊敬する人は持たないほうがいいという考え方なんだけど、おじいちゃんのことは唯一恥ずかしくなく尊敬していると言える。

でもおじいちゃんと同じ農家にはならなかった。正確には、なれなかった。やりたい仕事は他にもあったし、僕はひとつのものをコツコツつくるのは得意じゃない。僕はおじいちゃんにはなれない。

だからこそ、農家のおじいちゃんのようなライフスタイルのフドウサン屋になりたいと思うようになった。

農家のようであるためには、せめて主食であるおこめをつくりたい。そう思って今も田んぼを続けている。

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「身の回りのものでつくる、顔が見えている人との幸せ。」

おじいちゃんちには当たり前のようにあった風景。それを家族だけでなく、住んでいる街、さらにその先にもゆるやかに広がっていったらいいな。そんなフドウサン屋になりたいな。

「自給自足できる街をつくろう」というomusubi不動産のメッセージは、僕のおじいちゃん家みたいな関係を身の回りにつくれたらいいなという気持ちから生まれました。

僕たちが借りている田んぼは、偶然にもおじいちゃんちから車で10分のところにある。最初に訪れた時、奇跡だと思った。

もし今も生きていたら、

水の入れ方をアドバイスしてくれたかな

もっと楽な草取りの方法教えてくれてかな

それともサボるなって言われてたかな

孫が田んぼやっていることを喜んでくれたかなぁ。

いつか向こうで会ったら、ずぼらでほったらかしの田んぼだけど楽しくやってるよって伝えてあげたい。

今年ももうすぐ田植えだ。

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