母の心は呪いのような、祈りのような
自分で自分につっこむ
おーい、あんた!そう、そう、そこのあんただよ!私だよ!
あんたさ、子どもが生まれたとき、あれだけ自分で「この子は自分のお腹で育って血が繋がっていて自分が産んだ子だけれど、自分の分身ではない。自分とは別の人間だから、所有物のように考えないこと。この子に対してサポートはしても、コントロールしようとしないこと」みたいなことを考えてなかった?言ってなかった?
それって、できてる?
自分は、これが容易にできない人間なのだと、子どもが生まれたときに直感的に感じたからこそ、そう自分に言い聞かせたんだと思うけど。
はあ・・・。
それってさ、相当に難しいことだね。
自分で自分にぞっとしたよ。Sが習い事で、試合に臨んでいるとき。
文字通り、手を握り締めて祈っていた。
「あー!どうか!一試合でも勝てますように!」
その言葉の中身は
「Sが頑張ってきた、その頑張りが実りますように!」
という祈りだけじゃなかった。
勝った時、まるで、自分が試合に勝ったかのような喜びがなかった?
私は、自分の中のその気持ちに気づいて、ぞっとしたよ。
「勝ちたい」と思わなかったか。主語は誰だ。一体、誰が誰に勝つんだ?
勝ったのは、お前じゃないだろ?
お前の息子は、お前じゃないだろ?
お前の不甲斐なさを、自分の不完全燃焼を、やるせなさを、息子の勝利で昇華させようとするなよ。そもそもお前自身のことは、子どものことで昇華なんてできないんだよ。
彼の勝利も敗北も、彼のものであって、母親のお前のものではないんだよ!私よ!
お前が、彼の練習のために送り迎えをしていたとしても、彼の体づくりのためにバランスのとれた食事を作ることを頑張っていたとしても、練習のためのほかのあらゆるサポートをしていたとしても。
そのほかに、勉強だって生活のことだって、なんだって、彼がたとえどんなに何かができるようになったとしても、どれだけお前がサポートしたとしても、彼の成長に確かに貢献していたとしても、彼の栄光は彼のものであって、お前のものではないんだ、私よ!
突っ込みに対する反論
えー。分かってるよ。
分かってるけどさ。どうしたって、自分の人生のうちの時間をさ、結構な時間子どもに割くわけじゃん。そこにはエネルギーがいるわけじゃん。さらっとさくっと片手間でやれることじゃないじゃん。やれる人がいたとしても、私はできないじゃん。どうしても、自分の中のたくさんのエネルギーを費やしてしまうじゃん。そうして費やした時間と労力と感情が積もり積もっていくわけじゃん。
この積算された何と呼んだらいいかわからない代物は、彼の栄光を自分の栄光のように感じさせるには充分すぎる大きさになってしまうんだよ。。。
わたしたちは話し合う
分かってるのも分かってるよ。でもさ、その積算された何と呼んだらいいかわからない代物がさ、呪いになっちゃうよ。あんたのそのエネルギーが、一歩間違うと、期待になって、呪いになってしまうんだよ。
これだけ愛しているのに、呪いたいわけないじゃん。
祈るのは、彼の幸せ。彼がたくさんの体験をして、山を経験し谷も経験し、それでも笑って彼自身の生を生ききること。
彼の行く道を決めたいわけじゃない。行く道を親が決めたって碌なことがないってわかっている。彼の行く先に転がる小さな小石まで排除したいわけじゃない。小石ひとつない安全な舗装された道を歩くことは恐ろしいことだってわかっている。
子どもに親の顔色を覗わせたいわけじゃない。従わせたいわけじゃない。
それなのに、
「早くしなさい」「○○しなさい」「いつやるの?」「なんで○○なの!」
気を付けているのに、それでもふいに口をついて出る言葉は、塵も積もれば呪いの言葉となって響いて、自分の頭の中にもこだまする。
ね、どうしたらいいと思う?こんな、いつ呪いに変わるかわからないような、大きな積算された何かを抱えてさ。分かったつもりになってはいるけど、結局わかっちゃいない、こんな不安定で不完全な私はさ。
積もらせないでさ、溶かしたり、流したり、あるいは霧消させたりすることはできないのかな。
それはさ、あんたが、あんたの人生を生きるしかないんじゃないの。
目を子どもに向けて、心を子どもに開いててさ、それでも、あんたの足はあんたの道を歩いていくってことなんじゃないの。
ふーん、めっちゃ難しいじゃん。白目剥くわ。
もともと、あんたが完全にできるなんて思っちゃいないよ。
呪い交じりの祈りを自覚しながら、少しでも呪いにならない努力をしながら、うっかり自分の道を踏み外してしまっても、必ず自分の道にもどってきて、歩いていくしかないんじゃないの。
言うは易く行うは難しなんですけど。
でも言わなきゃ始まんないでしょ。呪いに気づきもしない自分になりたくないでしょ。
だから何度でも言うよ。
わかったよ。何度でも言ってよ。
矛盾した自分を抱えて、やっちまって、はっとして、修正して、の繰り返しか。
あーあ、そろそろ、Sは気いてるんじゃない?うちのお母さんはちょっと面倒くさい奴だって。そして、いつか気づくんじゃない?私の祈りの中に呪いが混じっていることに。
仕方ないね。まあ、それはそれで、いいんじゃない。大人だって人間ができちゃいないんだとか、こういうやつでも生きていていい、ていう一例にはなるんじゃない。
はあ。なんか不本意だけど、そうだね。
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