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詩人としての樋口一葉

 明治29年、森鷗外は、自らが主幹する雑誌「めざまし草」に連載された幸田露伴・齋藤緑雨との鼎談連載「三人冗語」において、樋口一葉を絶賛した。評して「われはたとえ世の人に一葉崇拝の嘲を受けんまでも、この人にまことの詩人といふ称をおくることを惜まざるなり」(世間の人々に一葉を崇拝していると嘲りを受けようとも、一葉に「まことの詩人」の称号を贈りたい)と述べている。一葉はそれを知った喜びを「うれしさは胸にみちて物いはんひまもなく」云々と素直に日記に書いており、また、一葉本人のみならず、親しくしていた平田禿木は一葉がその雑誌を購入するより早く一葉のもとにそれを持ち来って、涙を流して感動したという。「三人冗語」は辛口批評で知られており、一葉はほとんど唯一褒められた事例であったともいわれる。このエピソードは馬場孤蝶も『たけくらべ』真筆版の跋に書いている。

 他方、萩原朔太郎は、昭和16年に刊行された新世社版『樋口一葉全集』第五巻の後記において、樋口一葉には詩人としての資質がなかったと述べている。
 朔太郎は、歌人としての樋口一葉を評価するにあたって、小説のかたわらに四千首にも及ぶ膨大な数の和歌を詠んだ事実自体は称賛し、一葉は世の文士たちと同様、詩人を志したのだと述べる。しかし他方で、一葉は和歌を主知的解釈によって形態学として学ぶという歌壇の風潮に影響されたがために、その作品は「型にはまった歌」でしかなく、全く「退屈なもの」にすぎないと述べる。また、さらに根本的に重要なのは、一葉が素質的に真の詩人ではなかったことであり、歌の中に詩人としての天分が自然に発揚されなかったことがその証拠であるとしている。つまり一葉は本質的に散文作家であり、小説家になるべくしてなったのだという。朔太郎は、『一葉全集』を編集するにあたって初めて一葉の和歌を読んだと述べ、その四千首の大部分は「古今集等の古歌を無意味に模倣したものであり、題材もまたきまりきった花鳥風月の題詠だった」と指摘して、つまらなさを強調する。そして朔太郎は、詩人的資質のなかった一葉にとって、詩歌を学ぶことがむしろ小説の書き方の修養になったのだと結論する。

 このように、樋口一葉の詩人的資質について朔太郎と鷗外はまるで正反対の判断をしている。どちらがより的確な批評をしているかということも興味深くはあるが、それよりも、その食い違いに光を当てることによって、朔太郎的な「詩人」と、鷗外的な「詩人」と、両者の比較ができるということになるわけである。それは昭和の詩人朔太郎と明治の詩人鷗外(鷗外が果たして「詩人」であるかどうかの議論はありえるかもしれないが)との一見微妙ではあるが、しかし実は近代日本の精神的転換を暗示するような大きな違いにもつながるものかもしれないと思ったりもする。

 そして、昭和18年に蓮田善明は、これらふたつの評価に注目して、ひとつの文章を書いている。雑誌『超克の美』に収録された「神韻の伝統―樋口一葉小論―」というのがそれで、蓮田は鷗外に即して一葉を高く評価している。
 蓮田は一葉の「塵中日記」を引用しつつ、和歌の衰えが文明開化に伴って新体詩歌に替わるべきものではなく、和歌を雄高に歌い上げるべき言霊のさかんさを忘れているところにあると説く。そして、「このうら若い女性が、弱い生命を以てひしと保守しようとした道こそ我々が昭和大正明治の文学の足跡をめくり返して今一度文学の正道として尋ぬべきところである」と褒める。さらには一葉の日記に表されたナショナリスト的言説を拾って、「一葉は日本の神史をその小さな身に保守しようとして唯一人躍起となつてゐた」と述べる。下町の窮乏した暮らしで狭義の政治の中枢とはかけ離れた人生を送っていた一葉が、日記において「わが心はすでに天地とひとつに成ぬ、わがこころざしは国家の大本にあり」などと述べていることに、現代の我々でさえもいたましいほどの健気な心意気を感じざるを得ないが、蓮田はこうした一葉の精神を戦時中という危機の状況においてとらえて、その魂に共鳴している。そして、一葉は全身全霊をあげて「国振」たらんとしたと述べる。すなわち、蓮田によれば一葉は、詩人でなかったのではなく、当時において和歌が形骸的で美文的な口調に堕していたとしても、そこにはなお国振としての文学精神が宿っているのを理解していたのであり、言霊を失うまいとして、あえて和歌にしがみついたのだという。

 このように、蓮田は樋口一葉の詩人的評価において朔太郎を批判したのだった。日本浪曼派の片翼で、ある意味では最も強硬なファナティシズムの保持者だと見なされている蓮田が、昭和12年に「日本への回帰」を説いてナショナリスティックな転回を鮮明にしていた朔太郎の見解ではなく、むしろ明治人森鷗外の捉え方に強く同調して、一葉を詩人として評価していることは興味深い。
 こんにち的な感覚でいうと、一葉が果たして詩人だったか否かは、読者それぞれの判断に委ねられてよいし、多様な解釈があって然るべきである。しかしながら、この議論から見えてくることは、蓮田にとっては一葉が詩人であるかどうかという規定ひとつが、なにか文明的な根本問題を示すかのように捉えられる、それほどに文学というものが現実と密接に切り結んでおり、その表現のひとつひとつが精神的な切実さをもたらしていたということだろう。それはひとり蓮田に限ったことであるのかどうか、時代に敏感な文学者にとっては当然の趨勢といえるのかどうか、文学史・精神史的な問題を喚起する議論であろう。




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