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そして人は詩に立ち戻る

 いつも、詩を書きたいと思いながら文章を連ねている。
 しかし、どういうわけか形式としての抒情「詩」は、現在の自分の表現方法としてはしっくりこない。そのかわりに、自分が書くいかなる文章にも詩的精神を宿したいという、青臭いような身構えが、自分のうちにはある。   「青臭い」というのは、そういう詩的精神の面構えの内心に、誰にでも伝わる形で素直に書けない気恥ずかしさがあるからだ。しかも、「詩を書きたい」などといいように取り繕ってみても、所詮は美しい言い回しを誉められたいという自己肯定欲や、洒脱に表現したいという鼻持ちならぬディレッタンティズムがその心理に多分に含まれていることも、率直に認めなければならないと思う。(実際、ここまで書いてきただけでも、実に嫌味な文章ではないか!)そうした我欲を吐き出して吐き出して、何が本心かを突き詰めた先に、結晶のように残る無私の精神のみが、本当に輝くと信ずる。

 その一方で、孤独にのたうつ苦しみや、魂をふるわす歓びや、袂を分かつ悲しみや、ささやかな日常の幸福を、どこにも吐き出す場所がないという、切実な事情もまた存する。だからいつもこの場所を借りて、自分の精神の内にある小さな川のせせらぎに頼んで、胸のあたりでせき止めている重苦しい堆積物を少しずつ、削り取ろう流し去ろうと苦心惨憺している。

 かつて若き日に、一人の寂しさ、報われない悲しみ、鬱屈した心理を抽象的に列挙しただけの詩モドキを、個人ブログや匿名掲示板に垂れ流していたことがあった。いつの間にか、自我が高みに至らず乱れて叫ぶ心の声は置き去りにし、現実への抵抗をやめてむしろ世間に恭順し、処世を優先したことで、それらのあまりに幼く、愛すべき、あるいは唾棄すべき詩モドキたちは放置されてしまい、そのうちみんなネット上から削除されてしまった。この若き日の詩心を「生を放散する詩情」とでもいっておこうか。

 時がたち、泥沼色に染め抜かれた鬱勃たる自分の詩心は、虚無にも似たあきらめの中で処世術に置換されることを覚え、通り一遍の美しさを素直に美しいといえるくらいには矯正された。今や自分は老成への道を進んでいる。

 しかし、現実世界にまみれた人間は、詩に立ち返る時がやってくるのかもしれない。おそらくそれは、死を強く意識するようになったときに。自分の今の詩心は、そのような感傷にも支えられているのではないか。
 そういった心境についての傍証を、私は三島由紀夫の『宴のあと』に見出す。その物語の終盤に、都知事選に敗北して政治の世界から身を引くことを決意した老政治家野口が、朗らかに詩的境地に生きることを思うシーンがある。そこでは現実の象徴たる政治と、理想の象徴たる詩が対置されるとともに、老境と詩の強い結びつきも暗示される。

 心の中に一つの定かな目標が決まると、野口はほかの万事を整理統合しなければ気のすまぬたちだった。彼はこの倫理的な朗らかさを援けて、すべてのものが力を貸していると信じた。あるいは夢みた。政治を志す者には敵があるが、詩を志す者には敵があるべきではない。
 野口は多くの隠退政治家と同じように、その晩年のために「詩」を保っておきたかったのである。この萎びた保存用食品は、今まで味わう余裕もなく、又旨そうにも思われなかったものだが、これらの人にとっては、詩そのものよりも、詩への安心した渇望に詩がひそみ、詩こそ正に世界のゆるぎない確定を象徴するものだった。もう二度と世界の変貌する怖れがなく、二度と不安や希望や野心に襲われないことがわかってから、詩は出現する筈だったし、そうあらねばならなかった。
 そのとき終生の道徳的な気づまりや、論理の鎧は融解して、秋空へのぼる一筋の白い煙のような、「詩」になってしまう筈である。

 さすがに三島というべき憎々しいまでの叙述だが、このくだりは、まだ老境など想像もつかず、若さを持て余して苦しんでいた青年期の自分の頭に、なぜかとりわけ強く刻印された。そして老境を視界に捉えつつある現在においては、いっそう深い印象をとどめる。もちろん三島は老いることを拒否するように世を去っているのであり、上記は創作的意匠にすぎない。本当にこのような感情になるのが、「老いる」ということなのか。

 「老いと詩」をさらに考えるにあたり、少し地平を変えて、学問の行き着く先としての詩的境地ということに目を向けてみたい。それについて印象深く思い起こされるのは、NHKのETVで放映された哲学者・鶴見俊輔の特集である(「戦後日本 人民の記憶」)。鶴見さん(なぜか鶴見でも鶴見氏でもなく、鶴見さんと呼びたくなる)は老いてから詩を書き始め、80歳にして初めての詩集(『もうろくの春』)を出した。80を超えて、自分が間もなく死ぬだろうとわかっているにもかかわらず、自分の中に、子供のころのような永遠の気持ちが、かけらとして残っているという。社会学者である姉の鶴見和子氏もまた、年老いて和歌を作ることを日課としていた。和子氏も、完全に別物として扱っていた詩と学問(poetry and science)の融合という地点に立ち戻ったのだと鶴見さんは評する。
 それに続けて鶴見さんが楽しそうに語るのは、哲学者ホワイトヘッドのハーバード大学での最終講義において「Exactness is a fake.」(正確性はうそだ)とつぶやいたというエピソードである。これは鶴見さんの様々な本で幾度も言及されているエピソードらしく、例えば上野千鶴子と小熊英二の両氏による鶴見俊輔のインタビュー本『戦争が遺したもの』にもこの話が出てくるので、以下鶴見さんの発言を引用してみる。

 …彼はもう年寄りでよろよろしていて、最後に何かひとこと言って、終わってしまった。それが彼のハーヴァードでの最後の講演だった。
何を最後に言ったのかと思って、あとで講義録のコピーをとって、確認してみたんだ。そうしたら、その最後の一言は、”Exactness is a fake" っていうんだよ。
…それはすごいことなんだよ。そのころのハーヴァードの哲学科というのは、…論理実証主義がさかんだったんだ。つまり論理的な明確さ、exactnessを追求していたんだ。それに異論を立てたんだ。
精密さというのは、一つのつくりものにすぎない。人間がもっているほんとうのものは、ぼんやりしたものなんだ。それこそが、しっかりした、たしかなものなんだ。そういう人生観だね。
 それでもっと面白いのが、そのときの講義の題名。「Immortality」(不滅性)っていうんだよ。
…彼はまず不滅性を定義するんだ。この場かぎりで消えてしまうものがmortal、つまり死すべきものだよね。そして現在を突きぬけていくものがある。それがimmortalityなんだ。mortalなものを突きぬけていくものなんだ。
 それは価値を確信して、価値としてこの世界を見るということ。価値だから、この場かぎりで終わらない。また終わらせてはいけないと思う。だから現在を突きぬけていく。それがimmortalなんだ。それは、ぼんやりしているけど、確かなものなんだよ。

 テレビ番組では、鶴見さんは上記の価値とimmortalの部分を「永遠は価値観を抜きにしたところにはない」と表現していた。また、ホワイトヘッドが著書『科学と近代世界』に、英国詩人ワーズワースの詩についての一節を設けていることを特に指摘していた。晩年の鶴見さんには、ホワイトヘッドのExactness is a fake. とimmortalityと詩の結びつきが、より直接的に、明確に意識されている。

 老いるということは、当然死に近づくことである。絶対的な死に対するに超越的な詩をもってする。こうした詩心を仮に「死を超克する詩情」とでも呼ぼうか。
 三島の表現した、二度と変貌しない全き世界。鶴見さんを経由して伝えられる、ホワイトヘッドの現在を突きぬけていくimmortalな場所。またそれを感じる鶴見さんの詩心。死を超克する詩情の作用が、死というものを悠久の不滅としてとらえ、永遠を付与し、どうにもならない運命に立ち向かわせる。

 かくして、再び自分の詩を求める心に戻ってくる。
 現在の自分の詩情は、若さゆえの高みを追い求める心をいまだ残しているようであり、老死という絶対者に立ち向かうすべも求めているようだ。「生を放散する詩情」と「死を超克する詩情」を併せ持っていて、過去の自分の詩情とは相貌を異にしている。かなわぬ願いを求めるよりも、かつてより確実に近づいてくる死に備えて、いかに人生を謳えるかを考えている。詩さえ残すことができず後悔する人生よりは、自分には詩があるさとゆったり構える人生に、だんだんと移ろってゆけば、よい。


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