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福岡で愉快な時間を過ごした。そして打ちのめされて帰ってきた。

週末、またしても福岡に行った。三月にも行っているので3か月ぶり。もはや最近は、福岡に行く以外で道外に出ていない気がする。なんといっても20代前後の青春を過ごしたところで、思い出補正と友人がいるというのが大きい。訪れる価値がある。

市内ではしご酒をして、足を延ばして下関まで行って、南下して柳川でウナギを食べた。学生の頃のように、気の合う仲間たちと過ごすひと時はとても楽しい。今となっては貴重な時間だ。働き出してお金の余裕もあの頃よりできたから、後顧の憂いなく食事やイベントを楽しめるのも、充実した理由の一つ。一日楽しんだ夜は、へとへとに疲れて眠りにつく。そんな日を、2、3日過ごした。

下関は唐戸市場、初めて食べるフグは、コリコリしていておいしい。


ウナギと言えば蒸籠蒸し。柳川、「うなぎの冨さん」。

その日が楽しければ楽しいほど、一人で残された時間は胸にじわじわと迫ってくる。友人たちには帰る家がある。家庭を持った友は奥さんのもとへ、翌日仕事がある友は社宅へ、みんな帰ってしまった。夕闇の中で僕一人取り残されて、ホテルに帰る。胸の奥が締め付けられて、息を吐くたびにもやもやっとしたかたまりがそこにいることに気が付く。
電車に乗っている人は、学校や職場の帰りだろうか。街角を歩くサラリーマン。小学校から駆け出してくる子供たち。みんな行くところがあって、戻る場所がある。そんな単純なことが、深く胸をえぐる。

もう、この町は僕の暮らしていた町ではなかったということを、行くたびに思い知らされる。
街並みが変わっている。よく前を通った店がなくなっている。新しいマンションが建っている。景色が変わっている。思い出の中にしか残っていない、あの頃の風景を手繰り寄せると、目の前の現実がギャップを見せつけてくる。
人も変わっている。あの頃、一緒になって飲んで、食べて、遊んで、たくさん楽しい時間を過ごした仲間たちは、みんな別々の道を進んでいった。ある友は福岡に残った。ある友は関東に出て行って、それきり会っていない。ある人は仕事に打ち込み、ある人は大学に残って研究を続ける。
みんな同じ方向を向いていたあの頃は、美しく輝いている。それでも、はるか遠くに見えて、なお遠ざかっていく。もう再び、あの素晴らしい時を掴むことはできないのだ。

僕たちは、一人だ。
悲しいけれど、目を背けたいけれど、もう、一人で歩きださなければいけない時間なのだ。

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