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恋愛アレルギー

 皆さんは好きな「物語の終わり方」というものがあるだろうか。私は比較的どんな落ちも好きなタイプだ。起承転結がはっきりした大団円のハッピーエンドもすきだし、鑑賞者に考えさせるような曖昧なエンドもすきだし、はちゃめちゃでどうしようもないバッドエンドもすきだ。キーパーソンが最後の最後で亡くなってしまうようなエンドだってすきだ。キーパーソンが亡くなったことによって、誰かに前向きな影響を与えるような展開だと更にすきだ。
 そんな私にもどうしても好きになれないエンドがある。それが『恋愛エンド』だ。もう最初から恋愛作品なら許せる(私は基本的に見ないが)。そうではなくて、ひとりの人生の苦しみや葛藤を中心にした物語で、主人公が成長したり堕落していく中で異性と結ばれる。すると、まるでハッピーエンドみたいに終わる展開のことだ。もしくは、仕事や学生生活の中での葛藤や成長を描いた作品に恋愛が絡んでくるのもあんまり好きじゃない。特に同僚や先生なんかと恋仲になったら最悪だ! 人生にパートナーが必要だということは分かる。パートナーがいれば、多少なりとも人生が明るく前に進むことも分かる。でも、それでいいのか? 恋人が出来たから人生の悩みや葛藤が解消されるのか? 自分自身や仕事の中にもっと向き合うべきことがあるのではないか? という気持ちになってしまうのである。なんとつまらない客なのだろう。
 これは恐らく私自身の恋愛アレルギー(性嫌悪)に由来するものだと考えられる。私は今まで恋愛経験がない。自分が異性愛者なのか同性愛者なのかも未だに分からないほどだ。今後の人生を基本的にひとりで生きていく想定をしている。だから、パートナーが出来たことで主人公の人生が全て丸く収まってしまうとすごくすごく寂しいのだ。結局人間ひとりでは生きていけないのだろうか。

 私にだって好きな人はいる。家族、友人、アイドル、沢山いる。その人たちに向ける好きな気持ちは私には性欲には繋がらないもので、それでも大切なものだ。大好きな友人とはこれからの人生も共に仲良く生きていきたいとも思う。それは恋愛とどう違うのだろうか?
 少なくとも私の周りの人であまり幸せそうな恋愛をしている人はいない。いつも皆不安そうで苦しんでいるか、怒っている。それでも、また恋愛をする。人間とは本当によく分からない。こういうことを言うと多くの大人は「それはまだ出会ってないだけだよ。そういう人はね、急に現れるの。きっといつか分かるよ」なんて言う。中学生くらいの頃から言われているから、かれこれ十年近く言われているが、今のところ出会っていない。ピンともきたことがない。どうなっているんだ。やっぱり私は人間ではないのだろうか。

 友人への好きな気持ちは性欲には繋がらないが、独占欲があるときはある。特に友人に恋人が出来た時だ。多くの友人は恋人が出来ると恋人中心の生活になる。共通の趣味だった漫画やアイドルを追わなくなり、「今はいいかな~」と口をそろえて言い始める。
 大学生になると中高時代の友人はそれぞれ遠くに行くことになるから、仲良しの友人と遊べるのは半年に一度ずつくらいになる。それも両手で数えられるくらいの少数精鋭の友人だ。私は1か月前くらいから楽しみに、コーディネートを考えたり共有したいことを準備する。それでも、いざ会うと友人は私が目の前にいるのに、恋人のことを考えている。私と10年近くの付き合いでも、半年前に出会った恋人が優先されるようになる。だからいつも私は友人に対して「どこの馬の骨?! 会わせろ! 面接してやる!」なんて言ってみたりする。実際に面接はしたことはないが、いつも悔しくて友人の頭の中にいる恋人に嫉妬する。そして、大好きな友人を悲しませることがあったら許さないからな、と心の中で威嚇する。私はいつだってだいすきな友人の味方だ。いくら友人に非があったとしても、私は友人を守る。すきだと言い続ける。いつもそう約束すると、友人は皆笑ってくれる。私は本気なのに。
 そんな友人との話題の中心はいつも恋人だ。「次のデート何着ようかな」とか「全然返信が返ってこない!不安!」とか言う。恋愛経験皆無の私にそんなことを言われても、特にアドバイスはできないのでとりあえず共感をする。しかし、これが難しいことに「ひどいね」というと、「いや、でもね、こういう良いとこもあってね」と恋人をフォローし始める。どうしたらいいんだ。何度も言うが、私は天地がひっくり返ってもだいすきな友人の味方だ。そう誓えるほどの愛があるのに、私の好きはどう頑張っても恋に負けてしまうのだ。寂しい。寂しいし、虚しい。

 先日、友人と友人が恋人関係になった。どちらも大学生活で親しくなった大好きな友人で、よく三人でご飯を食べたりお喋りをするような仲だった。だから、私にすごく気を遣って丁寧に報告してくれた。それでも大変申し訳ないが、泣いてしまった。だって、もう今までの三人の友情は変わってしまうのだ。というか、普通に仲間外れにされた気分ですごく寂しかった。私は誰の一番にもなれないのだとさえ思った(これは完全に思考の飛躍)。
 報告してくれた時に「変わらないよ!」と言ってくれた友人は、どんどん変わっていった。やっぱり話題の中心は恋人になったし、恋人のために服やメイクの相談をしてくるようになった。私は彼女が今まで着ていた服が一番似合っていると思っていたし、メイクだって殆どせずにそのままで太陽みたいに笑う彼女が大好きだった。そう伝えてもやっぱり彼女はどんどん変わりたがった。常に不安そうで、泣きながら私の家を訪ねてきたこともある。
 難しいことに今回は友人と友人の恋人関係である。それ故、愚痴に簡単には共感できなかった。彼とは随分お互いの思考について話したことがあったから、彼女が不安になる言動の意図が少し分かるような気がする。目の前にいる不安になっている彼女を放っておくわけにもいかないが、だいすきな友人である彼のいないところで悪口を言いたくもなかった。私は私のすきな人の味方であると誓っているのだ。だから、いつでも裁判官の気持ちで話を聞いた(彼はインターン活動で遠方にいて言い分を気軽に聞けない状態だった)。苦しかった。
 友人らの恋人関係がこじれては落ち着くのを何度か繰り返してから、私はこのことについて考えることを放棄した。二人のことはだいすきだけれど、あくまで他人の人間関係であって、第三者の私が気を揉む必要など何一つないと気づいたのだ。だから、詫びとして良い日本酒を買ってきてもらった。三人の食事会だったが、私が殆ど飲んで泥酔し、泣きながら二人のことが好きだと語った。記憶が曖昧だが、多分そんな恥ずかしいことをしていたような気がする。二人は笑いながら聞いてくれて、すごく穏やかだった。やっぱり特別な恋愛関係にはなれなかったけど、私と二人の間にはそれぞれ穏やかで大切な愛があるのだと思う。私はそれを糧に生きていきたいのかもしれない。

 私の怖いもののひとつに「孤独死」がある。ひとりで部屋でうっかり倒れて死んでしまい、そのまましばらく発見されず…というものだ。だから、私もこれからの人生でパートナーが欲しいと思うことはある。性欲とか独占欲とかなしに、信頼関係で成り立つパートナー。理想だ。でも、私は自分でもよく分かっているが、大分変わり者で人間見習い中の化物だ。そんな私を理解して共に人生を歩んでくれる人がいるかは甚だ怪しい。だから、いつもひとりで生きていく準備をする。例えば、高級老人ホームに入るだとかそういう孤独死回避方法を調べてみたりもする。でも、きっと寂しいんだろうな、と思ってしまうのはどうしようもないことだ。

 ずっと前に『あさイチ』のトークコーナーにて黒柳徹子さんが出演されていたことがある。私は見れておらず、X(Twitter)にてポストを読んだだけなのだが「寂しくないですか?」という質問に対してのお答えを引用させて頂いて、この恋愛の話は終わりにしたい。
 私は恋愛アレルギーで変わり者の化物だけど、きっときっと愛に溢れた人生を送ることが出来ると信じている。

人を愛したり愛されたりした経験があれば、
いくつになっても、
誰がそばにいなくても、
生きていけると思います

黒柳徹子さん



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