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年中休業うつらうつら日記(2024年6月15日~6月21日)

24年6月15日

昨夜が息子の実家帰りの最後の夜だった。
週明けには妻のMちゃんが尾瀬から帰ってくるから、この週末に少しでも片づけを進めてほしくて、また、いい加減息子の顔にも飽きたので、土曜は出かけたらそのまま大宮に戻れ、と言ったら向こうもそれを応とした。

最後の夜だから、とシュークリームを買って待っていると、「お店を閉めるのが遅くなりそうなので、かなり遅くなるかも。タクシーで帰る」とメッセージ。
やれやれ、冷凍倉庫に入って稼いだお金の半分ほどがタクシー代に消えるのか、気の毒に、と思っていたら、1時半ごろ帰ってきた彼によれば最近よくきてくれるせいうちくんほどの年代の男性が話し込んでいき、「引き留めてしまったから」とタクシー代をくれたそうだ。
おお、太い客がついたか。

しかし、これから1年間カナダに行ってしまって何をするかわからない息子に、タクシー代を持ってくれたりライブのフリーカンパに3万円入れてくれるようなタニマチやパトロンはまだ重荷だろう。
本人、妙に勘違いしないよう気をつけてもらいたい。
若者文化に興味を持ち、息子を目にとめてくれた物好きで好奇心旺盛なYさん、応援、本当にありがとうございます。
来年、また成長した彼を見てやってください。

せいうちくんは昼寝をして備えていたので、語り合いは3時まで続いた。
いろんなことが「すっ」と通じる瞬間の多い、実り豊かな家族の時間だった。
私たちの子供に生まれ、少なからず影響を受け、せいうちくんに似てたり私に似てたり、でもやはり別の人生を歩む完全な別の人格だと納得がいった。
彼の道を決めることはおろか、足元の小石さえ取り除いてやれない。
それでも彼の幸せを願い、応援しているだけの、Mちゃんの次に彼に一番近い他人なんだろう。
そうあり続けるしかない。

一番感動したのは、私の心の奥の奥の深い寂しさをわかってもらえたこと。
この際カミングアウトしてしまうが、私は今でも寝る時やマンガを読む時に親指をしゃぶり、つるつるした布を触っていないと落ち着かない。
息子が大人になって家に来るようになってから、「ソファの上にある黒い布は母さんが触って楽しむためのものだから」と説明しておいて、彼も見慣れたものなので疑問なく「あっ、そう」と納得していた。
ところが今回、ソファに寝転んだ彼がその布を手に取って太ももに乗せたりもてあそんだりし始めた。
正体はナイロン製の女性用下着なので恥ずかしくなって、「やめてよ!」と抗議したら、びっくりしたように、「なに、これ、他人が触ったらダメなものなの?」と聞いてきた。

そこで、いきさつを話してみた。
姉と私が幼児の頃に、母親の足元にまつわりついてうっとおしいので、彼女は自分のスリップの生地を切って各々に渡したのだ。
2人の娘がおとなしく自分から離れてそれを触るようになったのでとてもほっとしたらしい。
まさか大人になっても続く癖になるとは思わなかったようだ。
姉は20歳ぐらいまでにはいったん卒業できたようで、私が高3の時にベッドの上に「すりすりの布」を見つけ、「あんた、まだこんなもの触ってんの」と侮蔑した顔でしばらく触っていたが、すぐに手放して部屋を出ていった。
それからしばらくして姉の部屋に入ったら、彼女のベッドにも「すりすり布」が出現していた…
闇が深い話だ。

せいうちくんが横から援護射撃してくれた。
「ライナスの毛布、ってあるじゃない。あれが、大人になっても手離せないぐらい母さんたち姉妹は母親の愛情に飢えてるんだよ。特に、ずっと人格を否定されてきた母さんには大切な心の拠り所なんだよ」
これまでに何度か説明してきた気がするけど、今回初めて息子の心に届いたようだ。

「すごく悲しい話だね。そんな深い意味があるものだったんだ。この布じゃないとだめなの?」
「うーん、じきに触り心地が悪くなるから、小さい頃はお中元で来る洋酒の内側に張ってある絹の布をもらったりしてたなぁ。友達からもらった絹のパジャマは最初、着て転げまわって全身で喜んだけど、そのうち生地として触るようになった。今は自分でセシールでナイロン製の下着を買ってる。困ったことにセシールがこの製品を廃番にしちゃったんだよね。安定供給先が失われて、ちょっと困ってるかな」
「どのくらいもつものなの?」
「複数を使いまわしてるけど、1年ぐらいかな。洗っちゃうとダメになるんだよね。今はストックが10枚ぐらいあるけど、そろそろ次の供給先を考えないと」
「それじゃ10年しかもたないの?心配だねぇ。リスカほど害のある行為じゃないからまだマシだけど」
「いや、父さんが会社で昇進した5年前から、ストレスのせいか急に触る回数や強さが増えたようで、その頃からずっと腱鞘炎が続いている。整形外科の先生はまさか布を触ってるとは思わなくて、PCとかの使いすぎだろうと思ってるらしく、『あまり指を使わないようにしてください』とは言うけど鎮痛消炎ジェルを出してくれるだけ」
「害もあるのか…お母さんの本当の寂しさが、今、わかったよ」
わかってもらえて嬉しいよ。

ついでに、寝る前にちょっと聞いてみた。
「母さんは、母親に『頭がいい』と思われてたのだけがプライドの源で、他人に頭がいいと思われたいんだけど、どう思う?頭がいい?」
「うん、いいと思うよ」
「どこが?」
「語彙がすごい」
なんかものすごく満足して寝た。
濃い会話だったなぁ。

寝て起きて、昼、焼き肉を食べに行って、家の前でハグして別れた。
「次は18日だね」と彼が言う通り、Mちゃんやお母さまと一緒に壮行会を行う時に会えるが、それが本当にしばらくのお別れだ。
これまでで一番長い期間の別れになる。
なんだかんだ月に1度ぐらいは顔を出していて週に1回ぐらいはMessengerでのやり取りがあったが、外国の忙しい1年間はできるだけ彼ら自身のために時間を使ってもらいたい。
せいうちくんが、
「2週に1度か、月に1度ぐらいZOOMで話さない?」と息子に聞いたら、にこにこと指を1本立てみせた。
うん、やっぱり月イチぐらいが妥当だよね。

それでも帰ったあと、お礼のメッセージをよこした。
「長い期間お世話になってありがとう。これからの1年は、NYに行った時よりも頻繁に連絡できると思うよ。お2人とも元気で!」
そうか。嬉しいね。
「『さすり布』の謎がわかって、よかった」
息子によって命名されてしまった。
意味の発見は名前を伴うのか。

せいうちくんは少し泣きそうになって布団にくるまっていたが、夜には元気になって4Kドラマ「老害の人」全5回を観始めた。
最近、ともすれば老害に陥りそうなのでとても自戒しているらしい。
彼のような無欲なタイプがそれだけ努力して、それでもなおやはり少し会社の話が多くなって長くなっていることは大変オソロシイ現象と言えよう。
私も気をつけよっと。

24年6月16日

私にとっては来週末の北海道行きに向けてたいそう忙しい1週間になりそうなので、できるだけ体力を回復すべく寝て過ごした。
息子の滞在に、意外と精神力を削られたかもしれない。緊張するからね。
病院3つ行って旅の間の薬を確保し、友人と会い、新宿近辺まで来ているのを幸いその足で大宮まで北上してしまって壮行会をやる。
そこで渡す用の花束と、29日の我々が行けない息子のとりあえずのラストコントライブに花を贈る手配をする。
選挙も先に不在者投票しないといけない。
21日までに届くマンガの新巻は注文し、それ以外はウィッシュリストに入れておいて帰ってから注文する。
「呪術廻戦」だけは7月4日の発売日に、北海道のその時いる地点で購入して読む。
うん、ばっちりだ。

夜はせいうちくんと一緒に外からでもビデオデッキの録画予約ができるように「どこでもDIGA」やら「DIMORA」やら使ってあれこれ試す。
2時間ぐらいかかってついにiPad Proから予約できるようになった!(はずだ)
我々は平均的な60代としてなんとか時代についていけてるんだろうか。
私のスマホがまだ格安SIMになってないってことは、それほど足取り軽くこなしているわけでもないんだろうな。

数年前に息子にウォシュレットの交換を頼んだことがあるが、気軽にノーパソの動画見ながらこなしてくれた。
今回一緒に旅するGくんが配電系を猛烈に頑張ってくれていて、ものすごい量のYouTube
を観ているらしいと気づいたせいうちくんは、女子2人組が「プロに頼んだ方が安全」と作業を撮影させてもらった動画を1本観るだけでくたくたになったようだ。
北海道車中泊の経験があるGくんに基本、頼ってしまっている。申し訳ない。

24年6月17日

息子妻Mちゃんが帰ってくる今日は、我々の結婚35周年でもある。
珊瑚婚式だ。
息子と互いの健康と幸せを祈るメッセージを交換し、実態としては花もキャンドルもご馳走も何も出てこない、非常に手抜きの結婚記念日だった。
35年たってもお互いに「結婚してくれてありがとう」と思い、伝えられるだけでもいいとしよう。

愛情に疑い深いため、「私のこと、好き?」と訊かなくても済むようになったのが結婚10年目ぐらいか。
訊かなくなってからはお互いに「好きだよ」「大好き」と言い交して暮らしている。
それだけだと飽きるので、「気に入ってる」「一緒にいると安らぐなぁ」などのバリエーションも混ぜて。
ちょっとキモい夫婦かもしれない。

24年6月18日

日頃寝て暮らしている引きこもりの私にとって、今日が八甲田山じゃない、総本山じゃない、天王山だ。
10時に山手線駅の方まで出て友人のミセスAと会い、恵比寿まで行って新宿湘南ラインとやらに乗って大宮を目指す。
ちょっと実行する自信がない。

おりしも強雨の日。
いっそ涼しくてよかったと思いながら「10分は徒歩圏内、10分は徒歩圏内」と唱えつつ駅まで傘さして歩き、電車に乗って、さて、隣2つ以上遠くの駅まで行くのは何か月ぶりか。
幸い座れて、乗り換えの新宿でも座れて、到着駅前のルノアールまでたどり着くのに少し迷った以外は上出来。
Googleさんは頼りになるのに、使い方がヘタなんだ。
早めに動いているので時間に余裕ができるのがいい。

10分遅れぐらいぐらいでミセスAが来て、まずはお互いにオーダーを済ませるとすぐにマンガを交換する。
私自身は異様に長編が好きなようなのでミセスAに貸すのはせいぜい20巻ぐらいで終わるものになるが、新巻が出るたびぽつぽつとお貸ししていて、なぜそこまでの内容を覚えていられるのかわからない。
たぶん20種類ぐらいは伴走しているのに、私は新巻が出たらそこまでを最初から読み返さないと訳が分からなくなる。
待っている新巻が120種類を超えているせいかもしれない。

お互いの夫や子供のことを話している間に意外と時間が過ぎ、「マンガの話をしましょう!」となった時は残り30分ぐらいだった。
彼女は超多忙なので、3時間半確保できた今日は貴重な機会なのだ。

「怪獣8号とSANDAはちょっと盛り下がりかけている。持ち直してほしい」
「『人生最大の嘘ついた』を読んでるとカレー食べたくなる」
「『北北西に曇と往け』は牛肉が食べたくなる」
「それを言うなら『北北西』と『ホテル・メッツァペウラ』を読んでいると冷たい清涼な気候に憧れる」
「『チ。-地球の運動について-』を描いた魚豊が今描いている『ようこそFACT(東京S区第2支部)へ』は前作同様訴えかけるものはあるが、今ひとつ。そもそも次巻4巻で完結らしい」
「『新九郎、奔る!』はある程度量を貯めないとわからない」
「『呪術廻戦』はもうクライマックス。毎晩YouTubeで考察チャンネルを複数観てしまう」
「『ダーウィン事変』は今一番の期待の星!」(ここはほぼユニゾンで叫んだ)

短い時間に情報を詰め込み過ぎてお互いに少しハアハアとなり、そこでタイムアップだ。
ヒマな私が彼女の近くまでにじり寄るという作戦は案外いいかもしれない。
ここまで来られることが分かったので、次回もそんな感じで行こう。

恵比寿までは座れなかったがそのあとの湘南新宿ラインは座れた。
座れさえしたらあとは長くてもかまわない。
最近はずっとさだまさしを聴いている。
しかし大宮は案外近かった。
駅5つぐらいで着いちゃったかも。

とりあえず駅ビルのトイレでゆっくり策を練る。
と言っても待ち合わせの15時半まであと1時間以上あるから、とにかく花束を買ってしまい、あとはカフェ等で時間をつぶそう。
まれな機会としてのウィンドウショッピングもいいかもしれない。

駅コンコースに大きな花屋さんがあるのは知っていたので、そこで花束の相談をしていたら横からにゅっと顔をのぞき込まれた。
せいうちくんだった。

「あなたは15時半まで到着しないんじゃなかったの?」
「会議がずれ込んだので、Mちゃんが予約してくれたお店の前に椅子が並んでいた、あそこでWEB会議に参加して15時半終わりにしようと思って。『着いたよ。どこにいる?』ってLINE打ったけど、気づかなかった?」
「イヤホン外すと、着信音が聴こえないんだよ。花屋さんに入る時、外したから」
「きっとここに来るだろうと思ってたんだ」

こうして、名探偵につかまって4階のお店の前まで行き、待ち客用の椅子でWEB会議に入る名探偵を置いて喫煙所を探しに行く。
待ち合わせの名所「豆の木」で15時半に、という約束は「父親がWEB会議中なので」とMちゃんと息子両方に15時45分に店の前で、と訂正を入れておく。

ルミネの案内所で聞いたところでは全館禁煙で、喫煙所はない、とのこと。
「駅の方に出ればあるかもしれないですね」と立ち去りかけたら、案内嬢が追いかけてきてくれて、
「お客様!1か所だけ、ありました!このフロアです」と教えてくれた。
お礼を言って喫煙所に行き、束の間の同志と無言で煙を交わし、せめて肩先で「お互い肩身が狭いね」と表現できたらいいのに、と心残り。

またゆっくりトイレに行って最後の身づくろいをし、せいうちくんのところに戻る。
これだけのことにどれほど道に迷ってフロアをぐるぐる歩いたかは誰にも言う必要はないだろう。きっとルミネの案内札が悪い。

せいうちくんのWEB会議が終わった頃、ちょうど息子夫妻が現れた。
Mちゃんに会うの、1か月以上ぶりだ。
あいかわらず結婚指輪は買ってないらしい2人だが、Mちゃんは婚約指輪のサファイアを左手薬指につけてきてくれた。
お店に入って少ししたら、お母さまもやってきた。
「お久しぶりです」
「本当に」
と挨拶しながら、適当に料理を頼み、せいうちくんだけ白ワインであとは全員生ビール。
14時から18時まではハッピーアワーで安く飲めるらしい。

イタリアンなので、前菜をいくつかとパスタを大盛りで2種類、ピッツァを2枚とりあえずオーダーする。
お母さまは今日はお休みだったそうだが、明日は勤務だそうだ。
百貨店の売り場で遭遇するクレーマーたちの話を興味深く傾聴した。
息子はあちらのごきょうだいたちにとても仲良くしてもらって可愛がられているらしい。
4人きょうだいの末っ子のMちゃんだが、お兄さまの1人がずっと海外で働いていることやMちゃん自身大学時代に2年間留学していたことなどで、お母さまは子供たちと離れることには非常に慣れていておおらかでいらした。

若い2人がこれからどうやって暮らしていくかとか、将来の心配は誰もあまりしておらず、とりあえずカナダで楽しく有意義に過ごしてくれたら、と思っているだけなので、とても和やかだった。

息子は今、NYに行った時に出会った「インプロコント」という形式の演芸にのめりこんでいるが、実はその芸はカナダ発祥なのだそうだ。
尾瀬の山小屋での出稼ぎがとても楽しかったらしいMちゃんはカナダに行ってもそういう仕事をしたいようで、
「でも、息子くんのやりたいことを考えるとシティの方になっちゃうんですよね」と言っていた。
「一緒にロッジとかヒュッテとかの住み込みで働いて、息子は夜とか週末にインプロコントをお客さんに披露する、って働き方はどう?」と聞いてみたら、
「それはとてもいいかもしれない!」と2人とも喜んでいた。
ただ、やはり劇場などに行って本場の芸を観たい息子は、街にも行きたいんだろうなぁ。

3時間ぐらいいて、追加で食べた分も入れると5人でパスタを5皿とピッツァを5枚ぐらい食べた気がするし、お酒の好きなお母さまとせいうちくんはけっこう飲んでいた。
とりあえず2人に花束を渡し、喜んでもらえてよかった。
雨ではあったが、もう1軒行こうと2人の行きつけのお酒も飲める喫茶店に行くことに。
彼らと大宮で会う機会ごとに訪れてみたのだが、いつも運悪くお休みだったのだ。
たいてい「店主体調不良のため、本日休業」と書いてあったので、我々の間では「体の弱いマスターの店」で通っていた。
息子が電話で確認してくれて、今日は初めて開いてる時に行けた。


いい雰囲気のお店で、古いレコードがたくさん飾ってあり、ターンテーブルでかけていた。
棚にミニチュアの喫茶店用品が並んでいるのを見て、ミニチュア好きの私は大喜び。
近くに座っていたMちゃんが写真を撮ってくれた。
あとでマスターに聞いてみたら、「懐かしの喫茶店シリーズ」というガチャポンで集めたそうだ。
下から見ていては正体のわからなかった茶色い箱のようなものは、ゲームの筐体だった!

お母さまとせいうちくんはそこでウィスキーのロックやジンライムなどを4杯ずつ以上飲んでいたと思う。
息子が、「長兄さんとお母さんはすごく強くて、僕はいつもべろんべろんになっちゃうんだよ。2人ともとってもいいお酒で」と言う。
我々は大学時代までさかのぼってもべろんべろんの状態の息子を見たことがないので、ちょっとうらやましかった。
酒は好きじゃないんだと思っていたが、相手次第か。
うちは私が下戸だからなぁ。

ここでも2時間以上語り合い、本当に楽しかった。
21時を過ぎてそろそろ閉店なので帰ることにしたが、名残り惜しくて仕方なかった。
「冬にカナダに行くつもりです」と言ったらお母さまは「まあ!」と驚いていたが、Mちゃんに「お母さんもくればいいのに」と言われていた。
ナイアガラの滝やオーロラ、プリンス・エドワード島など、見たいものはたくさんあるところだ。

駅で3人と別れ、家に帰った。
「寂しくなるね」とつぶやくと、
「そんなこと言ってられないよ。僕たちも週末から北海道車中泊だよ」と言われて我に返る。
今週は嵐のように忙しくてなんにも準備ができてない。
Gくんが黙々と車をカスタムし、冷蔵庫や電子レンジも積んでそれに耐える電力も備えようとしてくれているのは日々FBで見たり報告や相談を受けていたが、あまりに熱心なので車中泊素人の我々に口を挟める領域ではない。
せめてきちんと休んで準備をして、私も少しはドライバーを務めるようにしよう。

ああ、楽しい晩だった。
こういうのが生きてる1日にたまにあるって、まるで奇跡のようだ。

24年6月19日

今日は医者のハシゴ。
昼に心臓の定期検診に行って、ワーファリン値が「2.6」で江口のりこ似の女医さんは喜んでいた。
「こないだ2.9だったから、これ以上上がるとちょっとイヤだな、って思ってたけど、これならまあ大丈夫でしょう」って。
今日は心電図とレントゲンもとったが、「ちょっと異常」なだけなのが変わらないのでOKだそうだ。
旅に出ます、と言ってとりあえず6週間分の薬をもらう。

いったん家に帰って休憩し、14時に心療内科。
昨日とは打って変わって日差しの強い、暑い日だった。
ドクターは私が忙しい時期を乗り越えていよいよ北海道です、と報告したので喜んでくれた。
息子との1か月や、Mちゃん母娘との会食も「よかったじゃない!」と嬉しそうだった。

Mちゃんのお母さまと「遺産相続はもめる」という話になった時、私が母親の書いた遺言書のせいで姉と甥っ子にほとんど持っていかれた、それならそれでしょうがないと当時は精神状態が悪かったこともあり、争わなかったが、今思うと争って遺留分を取って置いたらよかったと思う、とお話した。
今でも言を左右にして遺産総額を教えてくれない姉に不信感を持ち、関係を断っている。
もう相続は終了してるんだから、教えたって持ってかれるわけないのに。

「お金か、心からの誠意かどちらかをもらわないと怒りがつのる」と言う私に、息子がぽつんと言った。
「でも、争わなくて良かった点がひとつだけあるよ。もしお母さんが伯母さんと争っていたら、自分も相続している従兄が今以上に病んでいたと思う」

姉の息子はうちの息子と同い年で、祖母と母親の間に立って苦労したのと母親の教育熱が高かったせいで、結局大学には行かずに専門学校で学んだ舞台関係の仕事をしている。
私同様、実家の毒にあたってしまったようだ。
そんな自身の息子や私に対して、「精神的に不安定だから距離を置いて見守っている」と親戚に話している姉に対して、息子は「距離を置いてるんじゃなくて置かれてるって、気づいてないのかな」としきりに首をひねる。
確かに息子の結婚式で会った私には甥っ子にあたる彼は、甲斐甲斐しい優しい妻に守られて頑張っているがしんどい、という様子だった。
実家の闇について2人でしみじみ話し合えて、とても貴重な時間だった。
姉は、その闇を認めないので話が通じない。

いずれにせよ、自分の息子がそう考えられて口に出せる人間で本当に良かったと思う、とドクターに話したら、日頃から自分の母親も口先だけの「きょうだい平等」を唱えながら長兄だけを可愛がり、不平等な相続をさせたので腹が立った、と言っている彼は、少し遠くを見るような目になって、
「そうか…僕もたった今、教えられたよ。兄の息子たちにとっては、自分たちが継いでいく財産について罪悪感を持たないで済んだんだな…争わなくてよかった。いや、ありがとう」と言った。
若い世代には教えられることが多い。

旅行に行くのでとりあえず次は1か月先にしてもらって、薬も十分もらった。
これであとは明日、整形外科でシップと鎮痛ジェルをもらえばおしまいだ。
頑張れ、自分。

ピアスの留め金が緩んで落ちがちなので、買った百貨店に行ってみたが、催事場なのでどこのメーカーのものか保証書がないと直せないらしい。
「落ちないくん」というシリコンにバネの入った、外す時に少し押さないと外れないため自然にとれてしまうことはないキャッチを教えてもらい、ピアスをひとつ買えば1500円でそのキャッチが買えるそうなので一番安い金にダイヤのついた小さいのを買った。
もちろん「落ちないくん」をつけてもらった。
これでピアスが落ちる悩みからは解放されるかもしれない。

帰ってからせいうちくんに万円単位の衝動買いをしたことを謝りつつ報告したら、「そっちより、月に10万マンガを買っていることの方が大変な問題なんだよ」と笑っていた。
Amazonで古本を買っているのは私だけじゃないのに…自分だってブックオフで文庫本をまとめ買いしちゃうことはあるくせに…
今後の生活を考えると少し出費を減らさないと無理なのは確かなので、まずは2か月以上サボっていて出費の実態が把握できてない状態から脱却しよう。

24年6月20日

目覚まし時計で11時に起きて、11時半に整形外科。
いつもと変わらぬシップと鎮痛ジェル。
しかしこれで旅の準備の大事な部分が整った。

帰ってきたせいうちくんと、テレビもほとんど見ずに着替えや飲み物、雑貨を食卓に山積みにしてみた。
Gくんの荷物量次第だが、そもそも大型のバッテリーとか電子レンジとかを入れてたいそうスペースを取られている状態で大丈夫なんだろうか。
北海道が暑いのか寒いのかもあまり感覚がわからず、服はやや多めになる。
3週間近いので2回ぐらいはコインランドリーのお世話になる前提で下着は7枚にしたが、鬼軍曹のGくんに「コインランドリー?甘っちょろいことを言うな!パンツは1枚を3日はけ!」と言われたらどうしよう。

24年6月21日

年に1度の株主総会という大仕事が終わり、せいうちくんが帰路につく。
もう緩い仕事になったんだなぁ、隠居だなぁ、と実感するよ。
何しろ前日に「交通機関停止の場合に備えての泊まり込み」がなかったし、今日までそんなに緊張した様子がなかったから。
入社以来35年、介護休暇を取っていた1年以外はずっとこの時期になると落ちつかずうろうろしていた。
それももう過去の話だ。

帰ってきたら、18時にキャラバンでやってくるGくんに備えて荷物をまとめ、風呂に入り(今夜は温泉のない道の駅での車中泊だから)できれば寝ておく。
特に運転手せいうちくんは、寝て体力を温存し、今夜のうちに群馬ぐらいまでは行っておきたい。
明後日の晩には新潟~フェリーで苫小牧を目指すのだ。
おニューのiPad Proに荒川弘の「銀の匙」と「百姓貴族」も加えておこう。
のりつけ雅春の「アフロ田中シリーズ」は全部入っている。
何となく白戸三平のカムイ伝第一部・二部も入れてある。
「旅行中にそんなに長編ばっかり読むつもりなの!」とせいうちくんには驚かれた。
読めれば読みたいものだ。

さて、北の大地はどうか。
これまで最大でも1週間だった車中泊が3週間近くなり、夫婦それぞれやGくんは他の人間の存在に嫌気がさしてこないのか。
壮大な実験だなぁ。

その間に息子たちはカナダに発つ。
29日には息子の「行ってきますインプロコントライブ」をやるそうだが、行けないので楽屋に花束を届ける手配をした。
ライブの最後にMちゃんが手渡してくれる手はずになっている。
大宮で最後に会った時こっそり頼んでおいたのだが、花キューピットの配達時間の関係でどうしても息子に確認を取らなければならなくなり、サプライズが台無しになって残念だ。
「先に知ってしまっても十分嬉しいよ。ありがとう。気をつけて行ってらっしゃい」と息子からメッセージが来た。
そちらもね。
お互い、新しい経験をしよう!

荷物がスゴイ。
卓上右あたりのTOPSの袋、あれだけ全部、私の薬とシップだ。オソロシイねぇ。

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