「自分は少数派」の向こう側
多数派を好む人に、憧れている。けど、別に少数派がイヤなワケではない。
人と違うことを恐れているワケではない。けど、人と違うことをバカにされると、人と同じになりたくなる。
世間の枠にはまれる「普通の人」を求める私
VS
「普通の人」ではない感覚や自覚がある私
この戦いにやっと終止符が打たれた。
私はただ、前例を作る人になりたかっただけなのだ。
世の中には「常識」というものがあるらしいよ。
そんで、この道から逸れている人や、自分で道を作ろうとしている人は、場合によっては強く叩かれるんだ。反対されるんだ。時には、バカにもされるんだ。
でも、人は都合のよい生き物で、新しく道ができて、どうやらそこがイイらしい…という噂を耳にすると、そこを歩こうとする。
「え?だって、イイ道があるんだから歩くでしょ」
私は、多数派とか少数派とか、普通とか異常とか、常識とか非常識とか、そんな言葉が欲しかったのではなく、ただ「前例」を作りたかったんだ。
私は、道を作りたい人である―というだけだった。
アイドルから始まった総選挙企画は、今や大手食品メーカーまで同じことをしている。漫画家と言えば編集部に持ち込むのが定番だったが、今はSNSから出発できる可能性がある。このサイトだって、続々と書籍化のお知らせが更新されている。
どれも「初めてのケース」を作った人がいるからだ。
自分が少数派であることに劣等感を感じる必要はない。むしろ逆ではないだろうか。少数派であるなら、普通じゃないなら、そこから道を作れる可能性は“普通の人”よりずっと高いのだから。
_/_/_/_/_/_/_/
先日書いたこの記事とちょっとリンクする部分がある。
「常識を破る」という言葉があるけど、私はこの「破る」の表現がなんか引っかかってて。だから、これからは多分「常識を広げる」時代になっていくんじゃないかなあ。と、コッソリ思っているのだ。
お前は一体誰なんだ。
ありがとうございます。 サポートは、個人サイトの維持費や今後の可能性代にさせていただきます。