そうなったのは、自分のためであると感じた話(10/31)

今日は昨日より意識が散らばる。キチっとした文章を考えるのがムーリーなので、近況から「見えてきたこと」をメモしておく。

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身内がまた環境の変化を起こす。ただでさえ年末は忙しい人なのだが、その変化で更に忙しくなるだろう。それでも、変化させたいのだ。

何故なら、身内の言い分が「一方的なもの」として聞いても、非常に妥当なコトが起こっているからだ。相手と会ったことも話したこともない身でも、無責任な人だと感じてしまう。

変化のきっかけやこれまでの話を聞いていると、身内のために“それ”が起きたのではないか―と、強く感じる。身内に環境の変化を起こさせるべく、変化したくなるような出来事や人物が、やってきたのではないかと。

思い返せば、数年前の私もそうだった。

長く勤めたある職場は、業務内容が好きで、不満が多くあっても辞める決心がつかなかった。そのうちに、精神的にも肉体的にも、辞めなきゃいけないような状況になって、もう本当に限界が来てやっと、退職を決められた。

あまりにも私が優柔不断なもんだから、辞めさせてくれたのだと、今になって思う。実際、辞めた後に『なんでもっと早く退職しなかったんだろう…』と強く後悔した。洗脳から解けるって、あんな感じなんだろうか。

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【時間は未来から流れている】という言葉がある。自己啓発に詳しい方はピンとくるかもしれないが、時間は過去→未来ではなく、未来→過去に流れている…という内容らしい。

私もまだ、わかりやすく説明できるレベルまで理解したわけではないが、身内の変化の件も、私の退職の件も、この言葉に合わせると納得できるようになった。

「もう、そこにいる時期じゃないよ」

と、未来の自分が教えてくれているのである。

それでも私や身内のように、我慢したり、辞めなかったりすると、心や身体が限界になったり、本当に辞めたくなるような出来事に“してくれる”のだと考える。

『なんでそうなったんだろう?』じゃないんです。

『なんでそうしてくれたんだろう?』


今日はここまでで限界!また明日~~。

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