『花をもらう日』第三章 きょうだいたちとの仕事③

 「ジャズシンガー?」
 「だったんだよ、稲葉さん。新宿のライブハウスとかに出てたんだって」
 年齢不詳の、辣腕アポインター。ペイズリー柄の、スカート丈の長いワンピースを着ていることが多い稲葉さんは、杖をついて出勤する。電話が十台ほど並ぶアポインターの部屋へ入ると、所定の用紙と数本のペンをきれいに机に並べて仕事にとりかかる。雑談のような口調でどんどんレッスンの予約を獲得していく、稲葉さんは東府中支社にはなくてはならない人だった。
   「もちろん今もすごくうまいよ。演歌なんか最高」
    で、キタキタは歌うの? と内藤さんに聞かれる。キタキタとわたしのことを呼ぶのは内藤さんだけだったが、ときどき石川くんもつられるように言うことがある。
   「オレは歌いませんよ」
    青木くんがつぶやく。来週、国分さんの送別会があるのだ。内藤さんの一存で、JOYSOUNDではなくDAMの店が予約されたらしい。
  「キタキタはうまそうだよね。アナウンサーだったんだし」
  「いやー、喋りと歌は違うから……」
  「オレは歌いませんよ」
  「そういうわけにはいかないの」と内藤さん。
  「こないだ尾崎練習するって言ってたじゃん」と石川くん。
   まったく、きょうだいだ、とあらためて思う。青木くんの末っ子感は抜群で、石川くんと内藤さんの兄・姉感も申し分ない。仲が良い、ということが職場で実現されているのは、ちょっとした奇跡のようだ。長兄の国分さんが別の支社に行ってしまうのは寂しかったが、そもそもわたしが採用されたのは、国分さんの異動が決まっていたからなのだった。
  「いやあ、北村さんのおかげで僕の顔もずいぶん立ちましたよ。補充人員を自分で選ぶことができてよかった」
    国分さんがそう言ってくれたとき、嬉しくて口がもごもごしてしまった。わたしが推薦した大学生が生徒の家庭で喜ばれるということが続き、支社長と国分さんがほっとしたような表情をしていたのを目の端で見てはいたが、労いの言葉をかけてもらえるとは思わなかった。
    契約を1件取るのは大変だ。支社長から「この生徒とこの大学生の組み合わせ、どう思います?」と聞かれるとき、その答えが決め手になるとは思わないまでも、アポインターとコントラクターが繋いできたリレーを無駄にしないようにしなくちゃ、という気持ちはいつもはたらく。たまに駆り出されてアポインターをするとき、受話器を上げ番号を押し発信音を聞きながら、わたしはどうかつながりませんようにと毎回思っている。ガチャリと切られるのはいいほうで、罵詈雑言を浴びせられることもある。その繰り返しの末にアポインターが約束を取り付けても、コントラクターがいくら熱心にお試しレッスンをしても、契約に結び付かないことはままある。
    アナウンサーは、訓練すればきれいに話す力は付くし、情報収集だって別につらいとか苦しいなんてことはない。つまり、喋る場さえあれば、基本的に「努力が報われる仕事」だったのだ。自分が恵まれていることはもちろん分かっていた。しかしそれは実感ではなく、うぬぼれを防ぐための戒めに近かった。
    あの頃、何かを大変だと思っていた気がするけれど、いったい何が大変だったのだろう。 
    いやあ、すげえな。わざと荒い言葉で数か月前までの3年間を振り返る。すげえよな、頑張ればなんとかなるって。ねえよ、そんな仕事。

    秋も終わりに近づいていた。わたしは大学生の面接に加え、契約の事務処理や生徒の管理もなんとかひとりでこなせるようになっていた。新しい作業を覚えるたび、わたしは自分がデスクワークが嫌いではなかったことを思い出し、最初の会社での、営業事務アシスタントだった頃の頭の回路と身体の動きが自分の中に残っていたことをすこしばかり誇らしく思った。
    そんなふうに思えるのは、何を聞いても根気よく教えてくれる「きょうだいたち」のおかげだった。青木くんはよく見るととても格好いい男子だったし、石川くんとは海外ミステリーを貸し借りし合った。内藤さんとは不思議なくらい気が合って、昼休みにお菓子を分け合い、くだらない話をして笑い合った。受付のアルバイトをしている女子大生の井出さんと3人で、ドラマ『あすなろ白書』に出ている木村拓哉がいかにいいかで盛り上がった。
    世の中は就職難だった。レベルの高い大学を出ても、希望の会社に入れない人が続出していた。
    わたしはラッキーだ。
    出勤し、エレベーターに乗るたび、そう思った。

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