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『花をもらう日』第四章 花をもらう日②

 わたしは少し腹が立っていた。
 上田くんに対してではない。何に対してなのか分からない。たぶん、本心に対してだ。本心はときに、覗かないに限る。胸の底に黙って沈殿させておけばよかったのに、つい様子を見に行ってしまった。乾き具合を確かめようとしてしまった。
 生乾きだった。
 面倒な葛藤がはじまる。そうだよ。誰もやめろとは言ってない。だって、やめるとかやめないとかの仕事ではないのだ。自分でそう言ったじゃないか。今、わたしが「やめている」のは、誰もわたしを使ってくれなかったからだ。
 ───ああいやだ。くれなかった、なんて。本心をまさぐると、どうしてもこんなふうに卑屈になってしまう。無駄に攻撃的な気持ちになってしまう。
わたしは頑張ったんだ。なにもしなかったわけじゃない。失恋したようなものなんだ。相手が好きで、候補にしてもらえるかもしれないと思ったけれどだめだった。だからあきらめた。
 あきらめた……あきらめた結果が今ってわけか。
 いや、違う。違わない。言い方がよくない。失恋した直後に得たボーイフレンドに対して、失恋していなかったら付き合わなかったのかなどと考えてはいけない。そういうことだ。そういうこと。
 思考の焦点がぼやけて、疲れてくる。核心に近づきたいのか、近づきたくないのか分からない。

 そうだ、挨拶だ。
 ぱっと目が開けたように思った。
 今年、いろいろとお世話になりましたと言えばいい。不自然じゃない。単なる、暮れのお礼の挨拶だ。
 無いに等しいつながりを、それでもなんとか保っておきたかった。だけど、必要とされないところへわざわざ行き、必要とされていないことを感じさせられるのはもうさすがにつらかった。
 別にいいんだけど、的な気分で行ける体裁が欲しい。
 本心はそう思っていたらしい。
 
 挨拶という体裁を得て、わたしは次の休みに3千円のおせんべいを買い、原宿の事務所へ行った。
 ドアの前でしばしためらい、ブザーを押した。オフィスには2人しかいなかった。あの女性マネージャーは、いた。あらー、お元気? と気のない笑顔を向けられ、なぜかほっとした。
「今年、お声がけくださってありがとうございました」
 いえいえ。またね。そう言われて、わたしは言おうとも思っていなかったことを口にした。
「なにか、わたしにできそうなことはありませんか」
「あるよ」
 即答されて驚いた。「なんでしょうか」
「芸能レポーター。すぐにでもできるよ。ポケベル持たされて24時間待機しなくちゃいけないけど、どのワイドショーも欲しがってるから」
 ああ、そうか、なるほど。「すみません、レポーターは……」「そうだよねー。みんなそう言うんだよね」
 根性なしだと思った。でも、一時のやる気を見せて、できますと言うことはできなかった。
「披露宴やる? 披露宴もあるよ」
 赤プリで年明けにブライダルフェアあるから、行って売り込んで来たら?と言われ、はい、と答えてしまった。話の持って行き方のうまさに感嘆する。レポーターは断るだろうと見越して最初に話し、次に披露宴を持ち出してはいと言わせる。大金を稼がない小者には、ちゃんと小金を稼いでもらうのだ。芸能マネージャーとはそういう仕事なのだろう。
「司会の経験件数を聞かれたら、100件って言ってね」
「……いいんでしょうか」
「そのくらいじゃないと指名してもらえないよ」
 指名。そうか、売り込むというのはホテルに対してではなく、ブライダルフェアに来る新郎新婦に売り込むのか。
 アナウンサーという肩書で仕事をしようとすることの面白さと不思議を思った。わたしは声には自信があっても容姿に自信があるわけではない。人前に出ることは得意じゃないし、人前で喋った経験もほとんどない。なのに披露宴の司会を100件経験しているふりをしなければならない。アナウンサーは話すことならなんでもできるはず、の仕事なのだ。
 まあ、いいや、別に指名されなくても。司会、やりたいわけじゃないし。わたしにはトータルがある。話のネタにできる場所がある。みんなに笑ってもらえばいい。
 そう思える帰り道は、約半年前の夏、初めて事務所に来た日のそれとはまったく違っていた。

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