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傷み言

付きまとうストレスを振り払い続け、ひたすら時間を貪る無様な日々。
目に飛び込んでくる景色の色は体感で言うとほぼ白と黒。何の彩りもない。
やらなければいけない仕事を淡々とこなすだけ。
人の命に価値があるなら声を大にして「自分は無価値です」と言えるだろう。
仕方ない。それはもう事実だから。
大袈裟でもなく事実だから。
精神論やどうのこうのでは語れない現実。

SNSでたまに流れてくる自己啓発的な投稿を見ると吐き気がしてしまう。手を替え品を替えそれっぽい言葉をダラダラと垂れ流してるけど要約すると「ネガティブはゴミカス、そんな人間は足蹴にしましょう」という事らしい。
やかましい。ポジティブ思考ってそういう事なんか。明らかに目の前でSOSを出している人間が居ても「こいつネガティブだしほっとこう」と切り捨てるんか。一番のゴミカスやないか。


過去に「自称ポジティブ人間」を名乗る奴は何度か見かけたことあるけど正直言ってクセだらけだった。悩みに寄り添うことなく思考を放棄して「体動かそう」とか「考えすぎ」とか「そんな事だから幸せになれへんねん、捉え方一つで…」とか内容と全く関係ない一辺倒なアイデアを押し付けてくる。挙げ句の果てには「いじめられる子にもそれなりに理由がある」とまでほたえる始末。目の前に「バリバリいじめられてた人間」が居るにも関わらず。やっぱポジティブ思考ってそういう事?脳筋みたいな奴が多いの?デリカシーのかけらが無くても前向きだから許されるの?そうやって無神経に人を傷つける存在になるならネガティブのままでいいよもう。


少しでも信頼していた人がそんな感じだと妙に裏切られた気持ちになる。こちらが善人のイメージを作り上げていただけで相手は悪くないんだけど、目の当たりにするとショックを受けてしまう。「この人もそういうタイプか」「いじめられた経験が無いとやっぱ解らんのかな」「目の前で抉られるのしんどいな」
色んな感情と、勝手な決めつけをする自分が嫌になってひたすら心を刺してしまう。また誰かに期待してしまった、何度同じことを繰り返せばいい、いつになれば強くなれるんだろう。いつになれば耐えられるようになれるんだろう。



負の思考に支配されていく。そしてポジティブな人間に笑われる。「また同じことしてる」「きしょい」と笑われる。「本気で変わろうとしてないから変われないだけ」と詰られる。本気で変わるって何?何をどうしたら良いの?何年もかけてこれよ?踏み止まろうとすればするほど大きな病みに飲み込まれて、それでも本気が足りないの?


つらつらと書いてしまったけど結局全て「自分のエゴ」が原因。やることなすこと自分が悪い。そう感じる自分が悪い。ネガティブならネガティブらしく死ねばいい。全てはエゴ。醜いエゴ。自分の考える事は悪である。本来なら無にならなければいけない存在。誰とでも関わってはいけない存在。何かの間違いで生まれてしまった廃棄物。いくら歳を重ねても脆弱な精神力しか持ち合わす事ができないゴミ。誰にも迷惑をかけずに息絶えれるような時間、場所、方法…。全ての条件が整う場所があれば迷わずに飛び込んでいくつもり、まあそんなもんは存在しないんだけど。




こんな事を書いていますがきっと何日か経てば元に戻るはずです。自分を刺すことに飽きてしまえばこっちのもの。もう見逃される事には慣れたので多分大丈夫。何も無かったようにされる事には慣れたので大丈夫。ただ心を歪ませた大阿呆が心の整理をつけるために書いたものだと思って鼻で笑ってやって下さい。


何かが去っていくことを覚悟してこの記事を書き終えます。

ありがとうございました。

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