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人煩い

「人に傷つけられても、その傷を癒してくれるのも人だったりする」


あるラジオのパーソナリティの方が話された言葉。
自分はこれが痛いほど心に刺さり、
何度も何度もそのフレーズが
頭の中をよぎるようになった。


人見知り・いじめられっ子・不細工・根暗・卑屈…
自分の欠点を数え出すとキリがないが、これだけ持ち合わせると当然のように捻くれた思考が出来上がる。そして「人間不信」というこの世で1番ダサい存在に成ってしまう。

最初は人間不信でも一生懸命頑張れば何とかなる、直向きに生きる事で何かを得られるはずだと思い込んでいた。しかし人生はそんなに甘くはなく、明確な目標も無いのに頑張っても、その時間はただの無駄だという事に気づく。闇雲に進んだところで目的地につける訳がない。何か計画を立てないと人は成長できないのです。


行くも荒野、帰るも荒野。

要するに今の僕は八方塞がりに過ぎない。

生きる事を目的に生きていても何も生まれない。



何故こうも人を好きになれないのだろう。
人を信じることが出来ないのだろう。
人が嫌いで嫌いで仕方ない。
叶う事なら誰とも関わらず死にたい。
けれどそんな夢を見ている暇はない。
どうせ実際に死を目の前にしたら怖気付く。
じゃあ人を好きになれば良い。
ネガティブがポジティブに変わるかも知れない。

それにはどんな方法を試せば良いの?
子供の頃から人嫌いだったのに、
今更足掻いて何かが変わるとでもいうの?
人に蔑まれ、傷つけられ、生きる気力も奪われ、
ひたすら「負」を植え付けられたというのに、
そんな人をどうやって好きになれるというの?
油断すると心を刺してくるような存在を、
どうやって受け入れたら良いの?
血を流しながら笑えば良いとでもいうの?



ここまで拗らせてしまった自分に嫌気が差し、知り合いに相談を持ちかけたことがある。こんなものをフルでぶつけると嫌われるのは明白なので出来るだけ重くならないように話した。

だがその人の答えは「とにかく前を向け」「明るい思考を持て」「ネガティブは悪」「自分が楽しもうとしてないから楽しくないだけ」「いじめられる側にもそれなりの理由がある」と、次々に刃を投げつけてきた。



前半4つはまだ良い。
でも何故いじめられる側に問題がある?
確実にいじめる方が悪でしょう?

普通に座ってるだけで机や椅子を蹴られて、それでも蹴られた方に問題があるとか言えるか?それはちょっと理解に苦しむな。もしかして自分が知らないだけで「世間」ではそれが常識なのかな?気に入らない奴は暴力で捩じ伏せてもOKな世界?怖い怖い。命がいくつあっても足りないんじゃないかそれ。

ちなみにその知り合いは同僚だったのですがここまで思考に違いがあると仲良くなんて到底なれないと感じ、早々と縁を切りました。当然LINEもブロックした。



そしてここまで書いて思う。
価値観が合わないからといって
縁をバスバス切りがちなんだよ自分は。
合わせることが出来ない独りよがりな性格だから
こんな無残な状況が出来上がるんだよ。
どの環境に行っても孤立してお終い。
勝手に闇が膨らんで自滅する滑稽な奴。
人嫌いということじゃない。
人が寄ってこないだけのこと。
メ◯◯ラ。アホ。愚図。醜男。ゴミ。
答えはいつだってシンプルでした。
病みを捏ねくり回した自分が恥ずかしいです。








こんな深い傷を癒してくれるのも「人」なのかな。
それには人を信じないといけないな。
そんな事、出来るのだろうか。
いつになれば真人間に近づけるのだろうか。


そんな事を思いながら今日は寝ます。

こんな奴でスミマセン。

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