珈琲と寫眞の相性について
友だちが
「カメラ好きの人って珈琲も好きな人が多い気がする」
と言っていて、「たしかに」と思った。「どこかが似てるのかな」とも思った。
エキタイ キカイ
一眼レフカメラを手に入れて早4年経つけれど、機材を扱うことに未だに神経質。飲み物とカメラが隣り合っていると、たまに「ひい」となる。普段は便利なカメラストラップも、テーブルの上では猫の尻尾のようなもの。ゆらゆら予測不能な動きをして、紙コップなんてのはあっけなく倒れる。
液体と機械は、相容れないと思っていた。
でも、珈琲と写真というのは不思議と馴染んでいる。わたしの周りに写真を好きな人は多くて、かつ、その中にはお気に入りの喫茶店を持つ人や、ドリッパーとかコーヒーフィルターとか珈琲を淹れるための諸々を持っている人もちらほら。
似てるのかなあ、淹れたら分かるのかなあと思って今日、初めてドリップコーヒーを淹れてみた。コーヒーフィルターの包装ビニールに淹れ方が書いてあったので、ビニール氏の仰せのままに。
そうしてわかる。
面倒くさい。
淹れてみたよ
※淹れ方を知っている人はさらっと飛ばして平気
※自分のための覚え書き
まず水。ビニールの説明書きには、なぜか水の量が書いていなかったので、マグカップで水を一杯ずつ入れて、薬缶にうつした。どうせ沸騰して少し減るのだからと、気持ち多めに水を入れる。
火にかけている間に、フィルター(理科の実験で使う「ろ紙」のようなもの)を折る。2箇所。そんで、ドリッパーという漏斗みたいな器具に重ねる。一人10グラムと言われるとそうせざる負えない性分なので、計量スプーンで計って、フィルターを設置済みのドリッパーに珈琲の粉を入れる。
沸騰したら、火を止める。(後から調べたら、沸騰直前で止めた方がいいのかも?)
薬缶の細い口の先から、ちょろちょろと花に水をやるようにお湯を落としていく。少しだけ注いだら30秒くらい「蒸らす」。この30秒が好き。それっぽい感じがするから。
わたしが好きな漫画「東京喰種」には、珈琲を淹れるシーンが度々登場する。喫茶店の店長芳村さんは注ぎ方を「の、の字を書くように」と主人公に教えていた。身近に「円を描くように」という派もいる。そして、特に何も書かない人もいるらしい。果たしてどれが正解なんだろうか。今回は「のの字」、芳村店長のやり方で行くことにする。
飲んでみたら、ちょっと薄めであっさりしていた。クセがなくて結構好きな味。意外と才能があるかも…!とテンションが上がる。これと同じのを明日もう一杯、とリクエストされたらまだ自信がないので、「同じ味」が作れるのかまたやってみたいな。
で、珈琲と寫眞の話に戻ると
さっき言っちゃったけど、面倒くさいところ。二つの共通点はこれに尽きる。珈琲も写真も、無数の選択肢を経て完成する。
カメラなら、構図、シャッタースピード、絞り、ISO、露出。撮る前にできることがたくさん。そして、撮る時間帯は朝か夜か、場所は外か中か、対象は人か物か、ついでにメーカーはニコンかキャノンかはたまたソニーか、などなど。
珈琲も同様に、お湯の温度や、注ぎ方、粉末とお湯の割合、豆の産地、いろいろ選べる。ロフトに行くと器具もたくさん出ている。あとは、挽き方?詳しくは知らないけれどあるんでしょうね、胡椒的なアレが。粗挽きか粉末か、みたいなね。曖昧ですが。
その選択の幅広さ、だからこそ生じる面倒くささが、写真を撮るのも、珈琲を淹れるのも似ていると気がついた。
その過程を面倒だと思いながらも愛しちゃったらしめたもの、に違いない。
全部を丁寧に、と思うと「ウワァーーッ」と頭がパンクするから、ひとつひとつ。興味を持ったとこ、できるとこから始めてみようかな。
それまで遠くから眺めていたその沼は、香ばしくていい匂いがする。
サポートしていただいた分は、本を、映画を、音楽を、自分の中に取り込むことに費やします。