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『なぜ脱成長なのか』を読んで

ヨルゴス・カリスら著・上原裕美子ら訳の『なぜ脱成長なのか』(2021年)の要約と私の感想を書いていく(敬称略)。

【要約】
◯ 本書は脱成長を経済成長を求めることをやめ、生活と社会の視点をウェルビーイングに置き直すことを主張する考えと定義している。具体的には、より少ない生産とより少ない消費を実現し、公正な分配を達成する社会や愛情等を実感するほか、自他のケアにエネルギーを注げる共助が実践されている社会を挙げている。

◯ 経済成長を追求することによる弊害としては二点ある;①自然の成長のリズムと経済成長のリズムの乖離に起因する生態系の破壊、②個人負債残高の増加や平均労働時間の労働が可能にする消費量の拡大が経済成長のドライバーとなっていることの帰結としての個人及び家族のウェルビーイングの低下

◯ これらの弊害の根本原因はコモンズの解体にある。あらゆるコモンズを解体して商品化しようとする資本主義のもとで、余剰を再投資する事で成長を実現する経済成長モデルには、インプットする資源や労働力の価格を低下させることで余剰利潤を最大化することを自然と目指すため、構造的な搾取が埋め込まれている。コモンズである水や空気、木、動植物、化石燃料などあらゆる自然をより安価に、より多く調達する動きが地球上から人類の未開地を消滅させるほどの貪欲な自然への侵食と自然の汚染を引き起こしてきた。

◯ また、16世紀のヨーロッパの植民地支配ごろから明確に始まる市場取引の活発化を背景に、資本家は農場や牧場などの土地を私有化することで個人から生産手段を剥奪し、労働力を販売する賃金労働者へと転化させると同時に、商品の需要家として市場創出機能も担わせた。その中で競争的な労働市場に放られた個人は、自らの生活を支えるべく、資本家に忠実な労働者となる。忠実な労働者は、長時間労働による自発的な余暇の削減と習熟による生産性向上によって、資本家の余剰価値創出に貢献する一方、余暇の減少に伴う新たな需要創出に寄与する(例えば、会社近い地価の高いエリアへの引越しなど)。

◯ このほか、商品として労働力を評価した場合に、人種や民族、性別による差異を意識するようになり、そこで人種差別やジェンダー差別がはっきりと現れるようになってくるほか、生産手段を有していた頃の食料などのモノを融通し合う共助の精神を持つコミュニティとの深い関わりが、余暇の減少を受けて希薄になることで個人主義の傾向を一層強めていくという変化も生じた。

◯ それではなぜ経済成長がこれほどまでに強力に推進されているのか。それは、為政者の観点からみると、パイが成長し続けることで常に新たなチャンスが示され、社会の競争が緩和されて社会が安定する。従って、労働組合の締め付けや社会福祉・公的サービスの削減によって生産コストを減らし、パイが加速するように促した。資本家(社会エリート層)の観点からみると、複利的な富の蓄積を期待できるほか、。また労働者の観点からみると、生活の維持のためには競争的な限られた機会で労働力を売るしかないので、市場の拡大による労働力の活用余地が広がること(すなわち、競争が緩和されること)は歓迎されることになる。

◯ これらに加えて、コモンズ解体を受けて個人主義が広まるもとで、伝統的な食べ物を分かち合い、家事を手伝うことなどお互いの世話をしあう楽しさと面倒さからも解放されたことで、大量消費や嗜好品の誇示による自己顕示でしか、充足感や生きる意義を得られなくなっていることのほか、経済成長が最優先であると刷り込まれる社会文化システムの浸透が経済成長のドライバーとなっていると考えられる。

◯ 上記の分析を踏まえて、本書では①物質使用量と市場取引の拡大の停止と縮小、②成長なしで豊かな生活を送ることができる制度、人間関係、人を育てていくことを通じて、人間と人間以外への被害を最小限にスローダウンさせる方法を提案している。

【感想】
◯ 経済成長が実現される背後で犠牲になっている自然や個人の姿と、経済成長を拒否できない各主体ごとの事情などを丁寧に述べており、脱成長に向かう説得的なストーリーを整理する際に非常に参考になった。

◯ 解説で斉藤幸平(敬称略)はバルセロナ市においてコロナ禍に自転車通行レーンの拡充のために自動車の侵入禁止エリアを街中に拡大した事例をコモンズ(この例では道路が歩行者のコモンズとして回復し、長期的には大気汚染の緩和にも寄与)を拡大させた例として紹介していた。行政の規制は、新たな規制を設定することが市場で新たな需要を喚起し経済成長に貢献するというケースも少なくない(例:環境アセスメントを課したことでそれ専門の業者が登場)が、この事例は経済成長に寄与することなく、コモンズを復活させている。ややトートロジーではあるが、こうした少しの不便は豊かな時間があれば問題なく需要されるはずであるので、労働時間の削減に伴う余暇の拡大は経済成長の停止とウェルビーイングの向上に不可欠であるとも感じる。
(別話題:先日りんごの剪定補助作業に休日にボランティアとして参加した際に大変心地よい時間の流れとコミュニティの存在を感じた。最低限の休み(私なら週2日は欲しい)と経済成長の枠に自信が囚われていることを客観的に認識できていることに加えて、ウェルビーイング向上のために努力する意識があれば、個人及び家族のウェルビーイングは達成できるかもしれないと感じた。すなわち本書で述べられているウェルビーイングの向上と生態系の回復は共通する原因はありながらも処方箋は全く異なるかもしれない。)

◯ 本書の中で中央銀行は経済が停滞すると、政府の財政拡張と連動してゼロ金利まで金利を引き下げ、市場に資金を投入することで、経済を刺激する政策運営を実施しているとの記述があった。中央銀行の使命は、主に「経済の持続的な発展を支えるために物価と雇用の安定を実現すること」であり、経済成長を前提としている組織である。仮に経済成長を指名に掲げない中央銀行の存在を仮定すると、現在の(おそらく将来も変わらない)資本主義の枠組みの中で最も効果的に経済成長の拡大を停止し、縮小させることを促すのは市場金利をコントロールできる中央銀行だと考える。単純な話、日本において現在の米国のように短期金利を常に5%に上げて据え置けば確実に経済拡大は停止して縮小する一方で、賃金労働者の失業が発生する。この時、生産手段に加えて、労働力を販売する場所も喪失した個人が、再び生産手段んを獲得するように促す仕組みを構築することができれば、強引ではあるがコモンズ(生産手段、自然環境、食べ物や水、コミュニティなど)を取り戻すことができるのではないかと思う。(もちろん、耕作に適した土地を持つ個人は少数で生産手段を再び獲得することは容易ではないほか、高金利のもとでは多くの土地と生産手段を持つ地主が潤うことで社会の不平等の拡大につながるなど課題は山積みであることは承知している。)


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