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休むは多義語 / エッセイ

2022年の年末,私はコロナウィルスに感染した.仕事である研究業も仕事納めをした後で,今年の年末年始をどのように過ごそうかスケジュールを考えていたところだった.最初は体に若干の熱を帯びたような程度であったが,体に違和感を持った二日目には熱は39度まで上っていた.加えて,鼻はツンツンと染みるような痛みが染み付いており,特に,唾液を飲み込むのさえ苦痛になるような喉の激痛が今回のコロナでは印象的だった.コロナが流行して早3年.ついに自分の体内にウィルスが入ってきたと思うと,妙な緊張感も身体中に走っていく.

ここまで体調が悪くなると,あれこれ考えてた年末年始プランが遂行出来なくなる.なので、早く治ってほしいと焦りが生じ,休まなきゃいけないという気持ちに駆られる.家族や仕事関係者の人に連絡を入れると温かい言葉と共に,「ゆっくり休んでください」と心配して頂いた.しかし,いざ休むぞと意気込もうとすると,「休む」という行為が何を指しているのかよく分からなくなってくる.これは子供の頃もよく抱いていた疑問だ.例えば,今回のように「病気を患って休む」という使い方もあれば,「お盆休暇でゆっくり休む」という使い方もある.おそらくこれらの休むという意味は,どちらも体調を回復する目的のもとで成り立っており,その行為が何を指しているかは具体的に言及されていないのだろう.だから、休むためにはどのような行動を起こせば良いのか,考え込むとそれだけでまた頭が痛くなってくる.

病気といえば睡眠をして休むイメージがあるので,とりあえず床に就いてみた.しかし,睡眠できたのも大抵2時間程度で,喉の痛み,そして何より寝ることに飽きて目が冴えてしまう.入眠できなければこれは休まっていないんじゃないか?そこで,次はテレビコタツ作戦を思いつく.仕事のことなんか忘れて,座椅子に腰掛けコタツでテレビコンテンツを楽しむことで,心身ともにリフレッシュを試みた.AbemaTVを開いて,今まで溜めていたバラエティ番組を視聴する.しかし,視聴して30分ぐらいで頭痛と倦怠感が増してきた.これは休まっていないと感じ,すぐに中断した.

だとしたら、私はどうやって休まるのか.デジタルネイティブらしくGoogleにて「病気 休み方」と検索し,クリニックのホームページをネットサーフィンしてみた.すると,あるクリニックページに辿り着き、こんな文章を目にした.

「頭の体重をどこかに預けている状態が病気の上で休んでいる状態である」

思わず,なるほど,と口に出していた.立ってる時や座っている時など頭が自立している時は頭痛や倦怠感を感じやすいため、睡眠状態でなくとも、横になるだけでも体は回復しているらしい.

そこでその日は,部屋の電気は消して,なけなしの娯楽としてradikoで深夜ラジオのアーカイブをひたすらスマホでかけ,寝れなくても良いからただひたすら横になってみた.相変わらず喉の痛みなどで,寝れない状態は続いていたが,驚くことに寝れずとも10時間もすれば実際に回復しているような実感があった.子どもの頃から「休む」という言葉の実態がよく分からずフワフワした定義のまま捉えていたが,ようやくその肉片を捉えたような気がした.

これが休んでいるということなんだな.横になりながら私は考えていた.同時に、休むとは多義語であるなとも思った.私のこの休息はあくまで発熱などの病気の上に過ぎず、他の休む場面に適応するかどうかは分からない.これまでの人生の休むべき場面にて、わたしの心身はどれだけ休まっていたのだろう.次は土日の休み方も考えてみようかな.真っ暗の中、スマホの光を拡散するスポーツドリンクの輝きを眺めながらそう呟いた.

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