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子宮内膜症(卵巣チョコレート嚢胞)と妊活 ① 妊活に向き合うまで

※ 前回の続きです。

病院B(新居の地域の産婦人科)にて、子宮内膜症(卵巣チョコレート嚢胞)と診断された。手術が怖かったので、ジエノゲストという薬を飲み、半年間、生理を止めた。

卵巣の縮小が見られたため、病院Bの医師曰く「あとは妊娠するだけ!」とのことで、タイミング療法の指導があった。ジエノゲストを止めて2ヶ月間、タイミングを取ったものの、結果は伴わなかった。(病院Bでは夫の検査も行ったが、夫は特に異常がなかった。)

そこへ、コロナ第1波がやってきた。

未知のウイルスに誰もかもが恐れ慄いた。私も世間一般と同様に、いわゆる自粛生活を強いられた。もちろん、未知のウイルスに罹患して苦しみたくない。恐ろしい後遺症の報道もあった。

また第1波の当時は、発症する人が大変少なかったため、残念ながら村八分的な目で見る人が多かったように思う。ネット社会で特定され、個人情報が晒されてしまうこともあった。自由に動けない自粛のストレスと、人と人との関係において(特に仕事関係で摩擦が多かった)心が常にぎゅっと縮むような、誰も信じられないような辛さがあった。本当に何もかもが恐ろしい。

妊娠・出産に関しても様々な報道があった。某所から、医療の関係で不要不急の不妊治療を止めてほしいという旨の通知があった。

人の人生を変えるような恐ろしい報道だと思ったが、当時の私は、主に仕事、感染予防など目の前の事に精一杯で、コロナ禍の不妊治療の是非について深く考えるどころではなかった。また、不妊治療に関して恥ずかしながら知識も無かった。なんとなく基礎体温を測り、妊活カレンダーに周期を書き込み、タイミングを取っていた。基礎体温はきれいな二層にならずガタガタで、一向に結果が出る気配はなかった。グラフを眺め、大した期待値もなかったので、検査薬で陰性だと分かると「そんなにすぐに結果は出ないか。こんなもんか。」と、がっかりするだけだった。

妊活の結果よりも、ジエノゲストを止めたことで、毎月の生理の重さがぶり返したことの方が辛かった。きつい腰痛、腹痛、頭痛、メンタル不安定のフルコンボ。しんどさの再来の中、少ない知識の中だが、子宮内膜症や卵巣チョコレート嚢胞が進行性であるということを思い出す。

世間はコロナ禍の真っ只中だったが、なんとなく「このままでは、何か取り返しがつかない事になるのでは」という焦燥に駆られていた。今思うと、この直感は正しかった。職場の人の勧めで、地域の不妊治療で有名な病院C(個人クリニックであるが評判は良い)で、診察を受けることにした。

案の定、チョコレート嚢胞は増大していた。

左右ともに5cm程度になっていた。半年間の時間を費やしてピルを飲み続けたのに、こんな2ヶ月程度で再び進行するとは。(本当にこんな速さで進行するとは思わなかった。病院Bだったら、このままタイミングを取るように指導されるのだろうか?それとももはや手術勧められるんだろうか?)病巣の大きさに驚いて、これではタイミングをとっても仕方がないと諦めがついたため、とりあえず再びジエノゲストを服薬することにした。また、服薬期間中に卵管造影検査(卵管に通水し、通り具合を見る検査)や甲状腺の検査を行なったが、どちらも異常なしとのことであった。

この時、私は29歳になっていた。

年齢にも若干の不安はあったが、子宮内膜症という病気が一生治らないこと、卵巣にこれ以上異変が起きると妊娠出産ができなくなるのではないかということに大きな不安を抱えていた。今回は、とりあえずジエノゲスト、という選択を取ったが、問題を少し先送りにしているに過ぎす、いずれはこの病気と向き合わないといけないことは分かっていた。病院Cでジエノゲストを処方され、約3ヶ月服薬したが、特に病巣の縮小は見られず、少し大きくなったり、少し縮んだりといった微細な変化であった。以前のような進行の様子はなかったため、現状維持ということか。

病院Cには医師が複数いたため、たまたま別の医師に診てもらう機会があった。その医師は、病院Cの院長であった。(職場の人も、この院長がお気に入りで勧めてくれた。)

明朗快活なタイプの院長で、物事をハッキリと言いそうな感じがあったので「私って、自然妊娠は望めますか?」と、ふと聞いてみた。

院長は正直に「大変、厳しいと思う。」と言った。

卵巣チョコレート嚢胞や内膜症の進行具合を思うと「やっぱりだめか」というのは理性的に思った。でも、頭の中はもっと複雑で「今まで何がいけなかったのか」と自分を責めたり、「もっと早く病巣を見つけていれば」という後悔、子どもを望む夫や家族への申し訳なさ、そして、(こんなことを思いたくはないが)普通の身体の摂理ではいかないんだという劣等感があり、頭をガッツーーンと殴られた気分になった。

命に関わる病気ではない。けれど、こんなにも、こんなにも受け入れられないものか。

子宮内膜症は、生理のある女性の10パーセント程度に見られる病気だと言われている。実際はもっと多いと言われているそうだが。生理痛のきつい人は、私の周りにもたくさんいる。「量多いからナプキンすぐ足りなくなるわ〜」であったり、「キツくて鎮痛剤が手放せないわ〜」なんてのは、女性同士ではよくある会話のように思っていた。生理が軽い人は、自らあまりそのことを話すことはないので、女性の生理が重いのが当たり前だと思ってしまうところがある。

また、子宮頸がんの検査で2年に1度は産婦人科に行っていた。病院A(結婚する前に利用していた産婦人科)では、子宮頸がんの検査の内診の際に「経過観察で良いけど、ちょっと内膜症っぽいかな〜」とまで言われていた。例えば、その時にピルを飲み始めたり、精密検査を受けていたりしたら、また違ったのかもしれない。アバウトな診察ではあったが、病院Aだってまがりなりにも病院を名乗っているので、もう少し突っ込んで病気や治療について聞いていれば良かったのか。病院Aではなく、初めから病院Cのような専門的なところを受診すれば良かったのか。

自分の身体は自分で守るべきではある。医療的な知識についても、今はネットを使えば、少し得られる部分はある。しかし、たとえ知識の断片を得たとしても、医者と同じ土俵では話せないことを思うと、どこまでを自己責任の結末とするのか。

話を戻すが、病院Cの院長に、ハッキリと自然妊娠が難しい旨を伝えられ、ショックでその場に固まってしまった。ただ、ここからが不妊治療の専門病院の本領発揮で「自然妊娠は厳しいけど、体外受精という方法が可能」ということを教えていただいた。(人工受精については特に言われなかったが、卵巣がこんな状態なのでタイミングと大差ないのではないかと思われる。)

…うーん、「体外受精」か。

キャパオーバーになりそうな私の脳みそに、「体外受精」という言葉は、脳みその端っこに置いておくぐらいしかできなかった。簡単な資料をもらい、家で夫に診察の結果を話した。まだ、この時点では、医師から体外受精の具体的な方法や、メリット・デメリットについての説明はなかった。家で私の話を伝え聞いた夫も、あまり理解できていなかったように思う。本当ならば、一緒に医師の診察を受けたいところに、このコロナ禍である。

体外受精をするのか・しないのかということを悩む以前のところで、夫は私からの説明しか聞いていないので、この状況に不信感に近いものを抱いていたと思う。漠然と分かっていたことは、体外受精が高額であること、女性の体に大きな負担がかかること。会ったこともない医師の診察、実際に見たわけではない病巣の様子。嫁から又聞きしたものを全て鵜呑みにして、すぐ体外受精をするべきなのかの判断なんて難しい。本当に自然妊娠は100パーセントできないのか?曖昧な状況や説明で、GOを出せるのか。コロナ禍で混乱している世界を目の前にして…。

夫は、様々なモヤモヤを抱えたままであったが「私はどうしたいのか」ということを聞いてくれた。私は「いずれは子供がいたらいいなとは漠然と思っている」ということと「でも、妊活って、どこかで決意して踏ん切りをつけないと、年齢は進むばかりで、私の場合は病状も進行して、この先でもっと後悔するのは嫌だ」ということを伝えた。

病気になってしまった事実は変えられない。これ以上、後悔することだけはしたくないという一心だった。夫は冷静に、よく話を聞いて受け止めてくれたように思う。上記のことは、自分自身が上手に即答できたわけではないので、うまく聞き出してくれた。

こうして、妊活に向き合うことになった。

病院Cで、体外受精の本格的な説明を受けた。(本来は対面で説明を受けるが、コロナ禍のためDVDを借りて、いただいた資料を眺めながら説明を聞いた。)体外受精の具体的なスケジュールや方法はなんとなくわかった。(金額も高いなぁ〜と泣きそうになった。)この治療が、どれぐらいの痛みや辛さを伴うのか。

未知な部分はたくさんあるが、何か一歩踏み出さなければ、何も変わらないという思いがあった。




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