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北海道の田舎で1人暮らしは寂しくないですか?

7月だというのに北海道の気温は最高でも20度前後で、とても快適だ。

最近は少し天気が悪い日が続いていて、お日様もそんなに顔を出さないが、雨の森もまたとても良い。雨音がBGMとなり、デッキで読書をすると本当に豊かさとは物ではないのだということを実感する。

さて今日は最近友人に良く聞かれる質問を自分なりに考えてみた。

僕は時たまこんなことを聞かれる。

『1人で暮らしていて寂しくないの?』

本州から動物たちと1人で北海道の田舎に引っ越してきた僕を不思議そうに思う人も多いだろう。

それとは逆に『たくさん動物たちがいるから寂しくないね』と言う人もいるけどこれは先に明確に否定しておきたい。

人間が感じる寂しさの根源はやっぱり人と触れ合っていないことに起因しているように思う。

動物がいるから寂しくないという理論が成り立つのであれば、山奥に1人で暮らしている人は毎晩パーティをやっているようなものだけれど、そんな事は誰も思わない。

やっぱり人は人でしか寂しさを埋められないのだ。と思う。

寂しくないの?に対する僕の答えは色々考えた結果

『寂しいけど、虚しくないから大丈夫』ということだ。

そもそも寂しさというものは、田舎に住んでいようが都会のど真ん中に住んでいようが、金持ちだろうが貧乏だろうがどんな人にも必ず存在するものだと思っている。

むしろ人に囲まれた生活をしている都会人の方が、そのギャップで孤独や寂しさを感じることの方が多いのではないのかと思う。

僕も時々寂しさに襲われることがある。ふとした瞬間やSNSでみんなが楽しそうにしている様子を見たり、周りが結婚したというようなことを聞いたりした時にはやはり僕も寂しいなと感じる。

僕は20代後半の頃、千葉県の田舎でも1人暮らしを4年ほどしていた時がある。

その時は最初こそ良かったものの、徐々に寂しさに蝕まれる毎日で、僕は寂しさに負け、誰かれ構わず連絡をし、多くの人の時間を奪い、大切な人をたくさん傷つけてきた。

自分が寂しいからという理由で利己的な行動を繰り返し、寂しさを理由に色々な過ちを犯してしまった。

2度と会ってもらえないような傷をつけてしまったこともあって、それは今でも大きな後悔となって自分にのしかかっている。

精神的な寂しさを外の世界のものでいくら埋めようとしても意味がないことに当時の僕は気づけなかったのだ。

そしてそれと同時に強烈な『虚しさ』にも襲われていた。

自分は何のために今ここにいるんだろう。

自分は何をしてるんだろう。

本当の自分などこなんだろう。

今思うと本当の自分探しなんて意味がないと気づけたが、当時の自分は虚しさと寂しさで毎日不安だらけだった。

でも今は違う。

寂しさは感じるが虚しさは感じないのだ。

それはきっと自分がやりたいことを、自分で選んで、自分で進めているからだと思う。

自分が本当に心から望んだ暮らしを自分で実行できているからだと思う。

だから、寂しさはあっても虚しさは感じていない。

寂しさなんて誰にでもある。

当時は寂しさに加えて虚しさも感じ、自分をコントロールできなかったのが

1番の失敗だったと思っている。

だからもし、これを読んでくださっている方で寂しさを感じている人がいるのだとしたら、それは当たり前のことで、寂しさプラス虚しさを時折感じるのであれば、今の場所はきっとあなたのいるところではないのかもしれない。

それは物理的な場所であるかもしれないし、精神的な居場所が違うのかもしれない。

何かを成し遂げた人(別に何かを成し遂げる必要もないのだが)は必ず孤独だった。

それは誰からも認められなかったという精神的な寂しさから、周囲に誰もいないような場所へ1人で行くといったような物理的な寂しさもある。

本を読んでいるとつくづくそう思う。

社会に対し、何か想いをもち、それを表現しようとしている人は皆一様に孤独だし寂しいのだ。

僕はそれを色んな人の自叙伝を読んで知った。

だから今僕が寂しさを感じている時は、自分の道はこれで良いのだと思うようにしている。

きっと僕は都会に暮らしていたらこの寂しさを誰かと会ったり、ゲームにはまったり物質的な何かに没頭し、その時は良いけれどまた1人になると寂しさに襲われるという負のスパイラルに入ってしまっていたと思う。

人に会うことは悪いことではないし、ゲームにハマることをここで否定しているわけではなくて、寂しさと上手く付き合えないと僕の場合はダメだという話です。誰かを咎める意図はありません。

そうして考えると僕は今寂しさと良い関係を保てていると思う。

けれど僕も人間なので、今後寂しさに負けてしまうこともあるかもしれない。

でもそれでもいいと思っている。過去にした過ちさえ繰り返さなければそれもそれで自分の人生だ。

ただ僕はこの地でやりたいことがあるし、今後の夢があるから今はその寂しさと上手に付き合いながら、1人の時間も楽しんでいる。

余計な雑音のない自然の中で生活をしていると、本当に必要なものだけが見えてくる。

そして何より自然の中で暮らす今の生活がとても好きだ。

決して便利ではないけれど、必要なものは揃っている。

毎日緑を濃くする植物から、毎日少しずつでも変化し続ける大切さを学んだ。

毎日のようにパートナーを探して囀る鳥たちを見て、生きて子孫を残すという原始から続く生命の輝きを知った。

誰にも見られないような場所にひっそりと咲く花を見て、与えられた場所で精一杯輝く尊さを知った。

雨の日に静かに葉を叩く雨音を聞いて、自然の奏でる音がこんなにも人の心を安らかにしてくれるのだと知った。

これらのことは、他の人も、昔の人も散々書いてきたことだけれど、僕はそれを実感を伴って知ることができた。

そのことが何よりも僕の心を豊かにしてくれる。

これから先大変なこともたくさんあるだろう。

だけれど、僕はきっと大丈夫だと思う。

きっと今自分がしている経験は今後、必ず僕の糧になると信じている。

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

更新空いてしまいますが、これからもずっと続けていきますので時たま覗きに来て頂けたら嬉しいです。

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