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桜を見て思い出すもの

おはようさん。令和3年3月29日4時3分です。

何かに触れて、思い出すものってあるやん。

たとえば、「海の匂いに触れるとあの時のあの情景が目に浮かぶ」とか、「あの曲を聞くとあの旅行の思い出がよみがえるとか」ね。

お父さんの場合はね、桜の季節になると、死んだ父ちゃんのことを思いだす。風花から見ると、おじいちゃんやね。

風花が生まれる前に亡くなったおじいちゃん。亡くなってどんくらい経つんやろ。お父さんが23歳の時やから、もう16年やね。そんなにもなるんやね。

おじいちゃん死んだって連絡あって、新幹線飛び乗って、東京から実家に帰りよる時、車窓から見える山桜が、まああちこちでまっ白に、まっピンクに咲き誇ってた。山の緑のなかにぽつぽつと斑点のように色づく桜がやね、きれいというか、なんか不気味に映ったんよね。そんなんをずーっと見ながら、新幹線、乗ってたわ。

春って、なんか空気があったまって、モヤっとするやん。あの感じ。上着を1枚脱ぎたくなるようなあたたかさ。草木や動物がもそもそと動き出す。空にはスギ花粉が舞い出して鼻の奥がぐずぐず痒くさせるあの匂い。んで、目の前には満開の桜。思い出すんやなあ、おじいちゃんのことを。

世間的にはおめでたい季節やん。別れと出会い。卒業と入学。送別会と歓迎会。新入生、新社会人。みんなちょっと、非日常で浮き足立つやん。花見なんかして、昼間っから酒飲むことも許されて、長ーい寒かった冬も終わって、雪も溶けて、ぱーんって、外に出たいやん。

そういう、世の中の晴れやかなムードの中で、おじいちゃんは、息を引き取ったんやなって、考えてまうんやなあ。

光の数だけ影があるし、明るければ明るいほど、影も濃い。梶井基次郎っていう作家も、坂口安吾っていう作家も、桜の木に「死」を見ていたけど、むっちゃわかるわ、それ。お父さん、むっちゃわかる。

いまの風花にはまだようわからん話やねんな。ええんよ、ぜんぜんそれで。

でも、人間はいつか死ぬ。自分も死ぬし、周りの人も死ぬ。こわいことやけど、当たり前のこと。

そのことくらいは、まあ、とむらいマンから生まれたわけやから、ゆっくり伝えていこうかなとは、思うよ。

いつか死ぬ。ってわかった上で、全力で今を楽しんだら、ええやん。

満開の桜は、すなおに、すなおに、きれいやで。また、花見しようね。

ということで時間です。お父さんは今朝も会社行くのが早いから修行はできんけど、6時に起こすわな。

ではではよろしく。

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