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睡眠薬で?住宅ローンに落ちた話

一昨年のことである。中古の家を購入しようと銀行の住宅ローンに申し込んだところ、審査に落ちてしまった。

実は、不動産の担当者には「待鳥さんの経歴なら、かなり好条件で借りられますよ」と言われていた。実際、職業や年収、勤務年数、家族構成などを告知する仮審査の段階までは順調だったのだ。仮審査後に銀行から郵送されてきた本審査用の書類には、「頑張らせていただきました」との銀行員の直筆の手紙が添えられ、通常より低金利であるばかりか、「待鳥さんだけの特別プラン」として、オプションのがん保険も無料サービスするという好待遇の契約内容が提示されていたのである。

ただ、懸念はあった。職歴が表の経歴だとしたら、私には病歴という裏の経歴がある。銀行でローンを組むには、団体信用生命保険への加入が条件となるため、本申請書には、仮申請書にはなかった健康状態の告知が必要になるのだ。

私は15歳から原因不明の痛みや倦怠感に悩まされてきた。とはいえ、検査では異常が表れず、明確な診断がついているわけではない。5年以上定期的な通院もしていない。本審査の前に、不動産の担当者に率直に打ち明けると、何が問題なのか分からない、といった様子だった。

「診断はついていないんですよね」
「はい」
「病院に定期的に通院しているわけでもない」
「はい」
「これまでに手術の経験は」
「一度もありません」

担当者は突然、笑い出した。

「慢性疲労や偏頭痛なら、私にもありますよ。ローンを組めないのは、がん患者さんなどですね。待鳥さんの場合、全く問題ありません」

それでも疑い深い私はさらに念を押す。

「慢性疲労といっても、起き上がれないほどの疲労があった時期もあり、2008年から3年間休職しました」

「10年以上前ですよね。あくまでここ5年までの診断名とその通院や投薬、治療歴に関する告知事項に基づいて判断されるので、待鳥さんは大丈夫です」

そういうものなのか、とようやく安心した。実際、告知書には質問事項に正直に従った結果、吹き出物や風邪での通院歴と、内科で処方された薬をひとつ書き込んだだけだった。

そして、落ちたのである。不動産の担当者によると、「待鳥さんの条件ではどの銀行でもお金を借りるのは無理ですよ」と銀行員に耳打ちまでされたという。「私は家を購入できないのか」と愕然とし、社会的に信用できない人物だという烙印を押されてしまった気分だった。

ただ、どうにも理由が思い当たらない。何が問題だったのか。不動産の担当者は「銀行は明言してくれませんが」と前置きした上で、「どうも、薬が引っかかったようですね」と言う。薬といえば、3カ月前、風邪で近所の内科を受診した際、寝付きが悪いからとついでに処方してもらったマイスリーしかない。命に関わるがんと同等とみなされるような、「よく眠れない」ことのリスクとは一体何なのか。まさか、睡眠導入剤の中でも最も軽いといわれるマイスリーでひっかかるとは、思いもしなかったのである。

不動産の担当者も「睡眠薬で住宅ローンが組めないとは思っていませんでした」と驚いていた。私が半ば冗談で「睡眠薬には自死のイメージがつきまといますが、それは関係ないですよね」と言うと、「いや、精神疾患だと疑われた可能性が高いですね。精神疾患だと、まず住宅ローンは組めませんから」と真面目な顔で答える。精神疾患とひとことでいっても症状はさまざまであり、一律に住宅ローンを組めないのはなぜなのか、といった議論はひとまず置いておく。確かに、精神疾患が原因で起こる不眠もあるだろう。しかし、私は一時期仕事で終電前の帰宅が続き、万一のお守りのような気持ちで、寝入りが難しい時に服薬していただけである。

そこで、「不眠」のキーワードでネット検索したところ、「うつ病患者の約85%に不眠が.認められる」「慢性不眠症はうつ病の発症リスクを約2倍高める」といった統計とともに「眠れない」はうつ病のサインであると警告する医療機関などのホームページがいくらでも出てきた。生命保険について詳しい解説を掲載したホームページを開くと、一般的に「睡眠薬=精神疾患を抱えている」と捉えられ、「自殺リスクがある」と見なされるため、加入は認められない、と断言されていたのである。

街中の保険相談窓口でも話を聞いてみた。対応してくれたファイナンシャルプランナーの方によると、近年、保険会社によっては睡眠薬を服用していても個別の事情を考慮し、加入できるケースも出てきているという。例えば、時差のある仕事に日常的に従事するパイロットや夜勤の多い看護師が、仕事上睡眠調整のために服用している場合などに、加入を認められることはある。ただ、どの保険会社でも、基本的には自死のリスクを重くみることに変わりはないという。

実際、私自身は金利の低い大手都市銀行の住宅ローンはすべて断られ、金利の高い住宅ローンしか選択の余地がなくなった。結局、少しでも金利を抑えようとすると、団体信用生命保険はつかないが金利は下がる銀行以外の住宅ローンを選ぶほかなかったのである。それでも、金利は当初銀行に提示された数字の3倍近い。変動金利ではなく固定金利となるなど、銀行とは条件が異なるため一概に比較はできないが、35年でローンを組んだ場合の1年目の支払額は7万2000円(1カ月毎で6000円)上がった計算になる。

私にとって、精神疾患や自死のリスクとしてまず真っ先に思い浮かぶのは「いじめ」「児童虐待」「過労」である。社会はそれらの課題に本気で取り組もうとしているようには思えない。一方、私自身の身体感覚では、「よく眠れない」はもはや「鼻がつまった」と同程度の生理現象のひとつに過ぎない。希死念慮までにはかなりの飛躍がある。しかし、そのような認識は、保険業界の常識からすれば「無知」にあたるのかもしれない。

願わくは、マイスリーを処方された際、医師に「眠れないからと軽い気持ちで睡眠導入剤を服薬しようしていませんか。精神疾患であると一方的に名指され、『自殺リスクがある』として不利益を被ることもあるので、よく考えてくださいね」と警告を受けたかった。

ちなみに、住宅ローンを組んだ直後、すぐに一時的な不眠からは回復した。現在、睡眠導入剤は服薬しておらず、うつ病を発症する気配もない。

私としては、うつ病などの精神疾患と診断されていない人で、「1年間に眠れない日が1日以上あった人」とかの統計も取ってほしい。結構いると思うのだが、どうなのだろう。


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