見出し画像

あなたの身体の舵を握るのはあなたです。

最近TwitterのTLに流れてきた一言に、ふと立ち止まってしまった。

現代では皆、自分の身体の主導権を他人に渡しすぎではないか。本来はもっと自分で責任を持つべきものではないか。

細かい言い回しは違うけれど以上のような趣旨。


自分の身体の主導権を他人に渡す、とは…?

例えば自分のPCが壊れたとき…少しはネットで調べるけれど、私は機械に詳しくないので、触るのも怖くなって詳しそうな人や業者に頼んでしまう。
そして直って帰ってきたら、なぜ調子が悪かったのか理解しようともせず、直ったことに喜んで使い始めてしまう…
(書いていて思ったけれど、なんという無責任!)

このようなことが、PCを自分の身体に置き換えたときにも起こってしまうのだと思う。

確かにこれまで身体について触れてこなかった人にとっては、自分の身体も私にとってのPCと同じなんだと思う。
なんだかよく分からなくて、変にいじると壊れてしまいそうで、詳しい人に頼むしかないものなのかもしれない。

でも、PCなどの機械とは当然ながら異なる。
最も異なることの一つが、「身体の調子が悪い時、元に戻すのは自己治癒力でしかない。」というところだ。

薬や人の力を借りても、最終的に治すのは自分の身体の力だ。
…というのをなんとまあ、わたしも含め忘れがちだと思う。

自分自身にも思い当たるところはあるし、医療者として患者さんに接している場面でもそのように感じることがある。

分かりやすい例を挙げれば、「治してください。」と言われること。
「リハビリをすれば少し良くなるから、自分では何もしなくてもいいや。」という気持ちでいる人が少なからずいること。
これだけ聞くと患者さんが怠惰なように聞こえるけれど、そうさせているのは私たち医療者の方だと思う。

セラピストの視点で考えると

患者さんに身体の主導権をちゃんと渡せているだろうか。

セラピスト自身が、私が治す!治してやる!という心持ちであることを時々目にするし、自分自身にも思い当たる節がある。

もちろんそういう心持ちで勉強することには大いに大賛成!なのだけれども、ちょっと傲慢すぎるのかもな、と最近は思うようになった。

あくまでも身体の主導権は本人にあり、治せるのは自己治癒力のみ。

私たちは良い方に行けるよう導いたり、自己治癒力が働きやすいようにしたり、悪循環に陥っているところから抜け出すのを手伝ったりするのが仕事でそれ以上でもそれ以下でもない。

もう少し経験が浅い時には自分の技術のことで必死だったけれどもようやくそんなことに思いを馳せられるようになった。
身体の主導権を渡せるかは、自分の身体についての気づきを提供できるかどうかがカギなのでは…と最近は感じている。

自分の身体の主導権を握るには


まず第一には自分の身体を感じて知ることだと思う。
PCなどの機械と自分の身体とで最も異なるところは、中身のこと五感を使って感じられるかどうかだと思う。

知らないから怖く感じられるし、感じられないからわからない。
逆に何かの感覚が認識されてそこに意味を与えられれば情報として「知る」ことができる。

何を感じればいいんだ!という人は、まずは呼吸を感じてみてもらいたい。
呼吸には全身の状態も心の状況も反映されるから、自分のコンディションが捉えやすい。

胸の前に手を当てるか、肋骨を挟むように持つようにして静かに呼吸してみる。
コツは手を当てたところだけではなくて背中の方にも空気が入っていっているか感じることだ。

昨日よりはやい?おそい?
深く吸える?吐ける?
右と左に差はある?
吸うときにどこか力んでいるところはある?
心地よく呼吸できている?

定期的に観察出来てきたら、自分の体調との関連を探るのも面白い。
例えば私は緊張状態が続くと左の肋骨が膨らみにくくなる。左の肩に力が入って吸えなくなる。

…そして左の顔が引きつっていくという…面白いなあと思う。

自分の身体の舵を握って

身体はある程度はコントロールできるけれども、すべてをコントロールできるわけではない。
それぞれのリズムで揺らいだり時には大きくバランスを崩すこともある。
時には人や薬の力が必要なフェーズもあるけれども、最後は自己治癒力だということを思い出してほしいなあと思う。

結局必要なことは、自分自身を知ってどうやって自分を大切にしたらいいか知ることだと思うから。

自分が一番自分自身を大切にするべきだし、私もそうありたいと思うこの頃です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?