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愛宕神社は出世の階段

 東京都港区愛宕一丁目、東京メトロ日比谷線の神谷町(かみやちょう)駅から徒歩5分。突然目の前に現れるのは急な石段。

 知人が「この神社に行ってみたい。この階段が見たい!」と言うので行って来たのが愛宕神社。あちこち街歩きをして、芝の増上寺の方から歩いて行ったので、実際には神谷町駅から行ってはいないのだけれども。
 愛宕神社の近くに着いたのは19時前、神社の目の前を通る愛宕下通りを歩いていたら、先の方で何かに向かって頭を下げている一家。若いご夫婦と幼いお子さん、買い物帰りなんだろうか。お陰様で神社の場所がすぐ分かった。

 先ほどの一家が居た辺りに到着し、横を向くと、少し行った所に大きな鳥居と、真っ直ぐ山の上まで突き抜ける石段が目に飛び込んで来る。

 鳥居の手前には「東京名跡/愛宕神社 出世の石段」と書いてある。
 この急な石段こそが愛宕神社男坂、通称「出世の石段」。

 江戸幕府三代将軍徳川家光公が芝増上寺ご参詣の御戻りの時、愛宕山上に咲く梅をご覧になり「誰か石段をこの馬にて乗り上がり、山上の梅の花を折り取り来たれ」とのご上意。
 一同静まり返りあれやこれやとあった後、讃岐高松藩藩主生駒高俊が家臣の馬術家、曲垣平九郎(まがきへいくろう)が痩せ馬に乗り、石段を一気に駆け上がり、途中からは曲乗りも見せる離れ業。
 山上で馬から降り、本殿で参拝をした後、紅梅と白梅を一枝ずつ手折り、襟に差して、再び馬に乗り石段を駆け下り、家光公に梅の花を差し出し、この手柄により家光公直々に脇差一振りを賜った…。
 と、言うのが、講談『寛永三馬術』のうち曲垣平九郎「出世の春駒」のお話で、この話の石段こそが、今目の前にある「出世の石段」なのだ。

 遠くから見ても急な石段は、近くに行くと益々傾斜が目立ってくる。傾斜角度は約40度。石段だから上れるような物の、坂道だったらズルズルと滑り落ちて、上ることなど出来ないのではないかと感じる傾斜である。
 ふと横を見ると「神社境内及び石段等でのランニング・トレーニング等を禁止致します」との注意書き。
 それはそうだろう。参道と言うこともあるが、この傾斜、何かあったらタダでは済まない…。

 鳥居をくぐると、愛嬌のある可愛らしい狛犬が神域を守っている。

 参拝客が撫でているのか、両前足はやけにテカテカ光っていた。
 吽形の狛犬の先に見えるのが、傾斜のゆるい女坂なのだが、ここまで来たのだから、男坂を上ってやろうではないか。

 この「出世の石段」は、全部で86段、途中休むことなく一気に上がると出世をすると言われている…ということを後で知ったのだが、上り始めると途中で休みたくもなければ、一気に上がってしまいたい。
 何しろ、僕は高い所が苦手なのだ。とにもかくにも恐怖を抑えて、早く安全な場所に行きたい。
 「後ろ見てご覧♪」と知人に言われ、一瞬振り返るも、余りの傾斜に絶句して、そのまま前を向き直してスタスタと平地を求めて歩みを進めてしまった。

 さて、石段を上り切ると愛宕神社の御本殿がある。ホッと一息つき、緑豊かな境内と心地良い水音を立てる池に気持ちが安らぐ。
 御本殿の様子、御祭神については愛宕神社のホームページなどでご覧頂きたい。

 愛宕神社の山上では白猫さんがお休み中だった。どうやら、この白猫さんも有名猫らしい。

  境内を散策した後は、また…あの…坂を………。

 手すりにつかまり、スタスタと降りて行く。写真の人物は僕ではない。
 高い所が苦手な人間にとっては、行きよりも帰りの方が怖い。参道の真ん中はチェーンが張ってあるのだが、両脇はパイプの手すりがある。僕は揺れるチェーンよりも、ガッシリしたパイプ。
 下に到達するまでは恐怖との闘い。チ○コ縮みっぱなしである。下に到達した時の安堵感と言ったら…無事だったことに感謝。

 愛宕神社は、まず「出世の石段」、それから御本殿と末社の数々、小舟が浮かぶ池、青々と茂る樹々と見所が色々ある。
 有名猫にも会えるし、「曲垣平九郎と馬」「西郷隆盛と勝海舟」の顔出しパネルもある。
 23区内にもこんな所があったのかと、ちょっぴり驚きの場所であった。

 行った日時:2016年6月26日 18:50~

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