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人生のゴール。その山の頂に待つ答え。

皆様こんばんは。引き続き人生に悩み続けている、私の記事を読んでいただいてありがとうございます。毎日のようにあれこれと考える日々。

何を考えているのか?突き詰めると最後にたどり着くのは、やはり「人生のゴール」について。私にとっては日常的なテーマですが、人によっては重いかもしれませんね。

あなたは本気で人生のゴールを考えたことがありますか?

誰しも、なんとなく自分の人生の終わりを考えたことがあるかと思います。が、本気で「終わり」を考える機会はそうないのでは?と勝手に推測しています。私の場合、常に「終わり」から逆算して人生を設計しているというか、備えているというか。

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私が本気で考える「私自身の人生のゴール」は、妻と何不自由なく笑顔で過ごした老後の中で、苦しむことなく眠りにつくこと。要するに「楽な生活の中で楽に死にたい」ということです。20代の頃からそう考え続けてきて、40代になった今もその想いは変わりません。

そのために何をしてきたかといえば・・・コツコツ積み立て投資をしてきたことくらい。それだけでは楽な老後は手に入らないとわかりつつ、何かを変えることも出来ずにきました。仕事は日々プレッシャーを感じつつ、メンタルヘルスの状態がまた悪化している日々。このままだと2度目の休職という最悪の事態にもなりかねません。

だからこそ、余計に人生の終わりを考えてしまうのです。自分の望む終わりと、現実で待ち受けるものとのギャップがどの程度あるのか?それは誰にもわかりません。わかっていることはただ1つ。

人生とは霧の中での登山である

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先が見えない状態でひたすら前に進み、頂上に到達するまで登り続ける。それが人生です。だから不安や恐怖も生まれるし、夢や希望を持てる人には持てるのでしょうね。

私は完全に前者です。とにかく先のことが不安でたまらなくなり、あらゆることを考えて備えようとする。ある意味、それが自己防衛につながり、将来振り返ってみて、若い頃からずっと考えていて良かったと思える日が来るかもしれない。

人生の終わり。その山の頂に待つ答え。

それを探し続けながら、終わりを迎えることになるのだろうと、漠然と感じてはいます。けれども、それに抗いたい自分が、今この瞬間ここにいる。そう強く思うのは、望んでいた人生を手に入れられなかったとの想いがあるからなのかもしれません。

終わりは望む形で迎えたい。

それだけなのかもしれません。答えはその時にしかわかりませんが、望む形を迎えられるよう、今できることをしなければならない。それははっきり認識しているので、あとは自分次第ですね。

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