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私たちは正しく考えているのか:『考える方法 中学生からの大学講義2』 ブックレビュー#4

スマートフォンでSNSを開けば、瞬時に読める量の文章で、問題に対する“答え”らしきものが数多く提示されている。
殊更に、特定のSNSをやり玉にあげたいわけではないが、世界は140文字(今はそれ以上の文字数での投稿も可能になっているので、短時間で読める文字数)で記述可能であるとの神話を、我々は受け入れ始めてはいないか。

映像と文字・音声をセットにされると、すぐにわかった気になることができる。隙間時間で何かを学び、情報を得るには、短時間の動画というのは都合がいい。
映像とセットになった情報は強力で、我々はそこで語られること・示されることを無批判に受け入れてしまいがちである。

そして、もっともらしく示された情報をもとに、我々は考えがちである。
いちいち前提を確認し、その情報の確からしさに批判の目を向けるよりも、コスパ・タイパがいいからだ。我々はおそらく、本能的に苦労するのが大嫌い(手っ取り早い方法が大好き)だ。

そんな「考える」を改めて考え直すきっかけを与えてくれるのが本書である。

「中学生からの大学講義」とあるが、そこで語られる「考える」は、社会人にとってもハッとさせられることが多いはずだ。それでいて、コンパクトな本書は、忙しい現代人が、「考える」を改めて考えるのに最適だ(ここでも、やはり、手っ取り早い方法を提示してしまうのが、現代人の悲しい性である(自分のことは棚に上げて…というやつでもある)。)。

昨今、「科学」という単語がタイトルに付された書籍が多く見受けられるが、それが果たしてどこまで科学といえるのか。それを考えるヒントが、39頁以下の池内了「それは、本当に『科学』なの?」にある。

我々はすぐに「社会」が許さないといった言葉を使うが、「社会」とはそもそも何かをじっくり考えたことはあっただろうか。「社会」と自分自身の関係性に日々悩んでいるが、「社会」にはあまり関心を寄せないことが多いのではないだろうか。
「社会」について考える学問である社会学を通した視点を提供してくれるのが、165頁以下の若林幹夫「社会とはなんだろう-入門一歩前の社会学」である。

そのほかにも本書は、「考える」とは何か、問いかける文章で溢れている。

読者の知的バックグラウンドに応じて、琴線に触れる箇所もまた様々だと思う。

本書には世界を端的に記述する文章や、もっともらしい正解は書かれていない。
そういった文章と適切な距離感を保てるようになることこそが、「考える」醍醐味でもあるのだ。


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