(雑記)2年経ったということ

今朝、Google PhotosからiPhoneへ通知が来ました。
2年前の今日は何してた?」というバナー。普段は無視している通知ですが、今日はたまたま開いてみました。

そこには、2枚の写真が表示されていました。
1枚目は、退職届を握りしめ、覚悟を決めた顔の自分。(なんでこんな写真撮ったんだろうか)
2枚目は、当時の職場近くにあった、お気に入りのラーメン屋さんの酸辣麺。

2年前の今日は、前の組織を離れるにあたり、書面を提出した日でした。
そのときの様子は、今でもはっきりと思い出すことができます。こんなに鮮明な記憶なのに、もう2年も経ったのかと思うと、光陰矢の如しとはまさにこのこと、と実感します。


当時の組織は、日本的な大企業で、業界内でも保守的な社風でした。
キャリアは紆余曲折ありましたが、「アジャイル開発」を浸透・普及させるべく、推進担当として数年従事していました。

日常業務と切り離された環境での架空案件トレーニングからアジャイルを学び始め、社内で実験プロジェクトを経験し、最終的には、実案件で部分的に実践する、といったことをしてきました。

架空案件トレーニングでも実験プロジェクトでも実案件でも、開発に入る前段では、仮説検証にも取り組むものでした。
実験プロジェクト以降では、「正しいものを正しくつくる」にも触れ、仮説検証型アジャイル開発を実践していました。


しかしながら、やはり、大きな組織ではさまざまな制約・障害が多く、アジャイルの浸透は困難だらけで、実案件でも結果としては試験的に進めたところで頓挫し、本番開発では実践されることはありませんでした

(社内では相対的に)長く仮説検証やアジャイルに触れていた分、その価値観や考え方、働き方に共感し、次第に真に実践に活かしたいと考えるようになりました。

そのころはちょうど、30歳の節目を迎えたタイミングでもあり、自分の人生を捉え直すなかで、自分の内にある声に耳をすませ、組織を離れる決断をしました。「この組織の中だけではなく、もっと、世の中に価値を届けたい」。
新卒で入社したときには、組織を離れるということは想像もしなかったことでした。


今は、レッドジャーニーという会社で、さまざまな組織の支援を行なっています。仮説検証型アジャイル開発の実践や伴走支援を行いながら、実践する仲間を増やすことをひとつの目標としています。

いろいろな業界の組織や、人々と関わることで、日々学ばせていただいております。ひとつ前の組織で自分がやっていたことの枠組みを、さらに越えたチャレンジをし続けている感覚です。

(少し前まで、これを「チャレンジ」だと認識することさえもできていませんでした。身を置いている環境、実践していることの難易度が遥かに上がっているため、自分のなすべきことに対して求められるレベルも自ずと上がることになります。しかし、自分は「自分の不出来さゆえ」できないのでは、という無力感に打ちひしがれていました。)


本日の仕事を終えたとき、今日、自分がなしたことをふりかえってみました。そうしたときに、ふと、2年前の当時は、自分がこういったことをしていると、どこまで想像できていたのだろうか、と感じました。

仮説検証型アジャイル開発をやるんだ、という想いで踏み出した新しい世界。そこで必要なことは、それまで自分がふれてこなかったこと、世の中でまだ名前がついていなかったことなど含め、多岐にわたります。

早いもので、もう2年も経ってしまいました。本当に早い。
「自分の不出来さゆえ」と、焦燥感にとらわれ、自分のことにばかり目をやり、いっぱいいっぱいになっていた期間もずいぶんありました。無鉄砲に突っ込まない慎重さの大切さも学び、「おそれ」を知りました。

「おそれ」に縮こまりそうになる日もまだまだありますが、「おそれ」があるからこそ、丁寧に進んでいくことができるはずです。そう考え、これからも前向きにがんばりたいと思います。


幸いなことに、今の組織、環境は仲間や周囲の人に本当に恵まれています

困ったら手を差し伸べてくれる人、なにはなくとも私のことを気にかけ、心配してくれる人、そして常に学びを与え続けてくれる人。感謝です。


今日の夕飯は、今朝見た、2枚目の写真にあったラーメン屋さんへ、同じ酸辣麺を食べに行きました。
何度も食べた味ですが、今日、この日に食べたことで、帰り道にあのころの覚悟に思いを馳せることができました。

明日からも、また、前へ進もう。

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